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雪です。

単純に 『雪』 です。
僕の住む愛知県でも、積雪を観測しました。

ベランダからもこの通り。

 雪です。_b0197735_15483513.jpg


近所の子供たちが、畑に積もった雪で嬉しそうにはしゃいでいる姿を見ると、
これが平日でなくてよかった、と思うのは僕だけではないようです。

ただ、大人は素直に喜べないだけです。

 雪です。_b0197735_15493970.jpg


それに、あんまり寒いと、エアコンも効かないんですね。
頻繁に 『プシューッ』 といって風を送るのを止めてしまいます。

『プシューッてなんだよ!?そこ、頑張りどころだろ。』 
と、思わずエアコンに突っ込みを入れたくなるのですが...。
 
予報では午後には雪は止むとのことでしたが、
まだ積もりそうな勢いです。




# by hiro-ito55 | 2011-01-16 15:56 | 日常あれこれ | Comments(0)

 共生機能集団の補完

先日、 『ロジックの飛躍と適正化』 というタイトルで記事を書きましたが、
酒井穣さんのブログ 『NED-WLT』 でも、
コミュニティーについての大変興味深い記事を書いておられるので、
興味のある方は一度覗いてみてることをお勧めします。

データ的な裏付けがきちっとなされているので、説得力があります。

タイトルは 『コミュニティーが見直されつつある背景』 です
(僕の記事の右下の 『エキサイトブログ』 のところにもリンクを張ってあるので、
そこからジャンプできます。)。



その記事から、一部抜粋させていただきます。

日本では、少子高齢化によって地域コミュニティーの重要性が高まっているにも関わらず、そもそも日本人は他人と付き合いたがらない傾向があるとすれば、「なんらかのルールを自発的に共有しようとする人々の集まり」である地域コミュニティーを活性化していくのは相当難しいチャレンジと言えそうです。
コミュニティーが持っている「助け合いの精神(互酬性)」は利用したいものの、コミュニティーへの参加自体に気が乗らないという状態なのです。このギャップ(問題)を埋めようとしているのが、どうやら各種のNPO(非営利団体)のようです。 


(中略)

NPO法人も立派なコミュニティーの一種なので「ひたすら、サービスを行うコミュニティー」と「ひたすら、サービスを受ける孤立した個人」に分断されているという部分は、相当気になります



僕も現在、
地域や共同体についての考察を纏めている最中ですが、
下線部分の酒井氏の 『役割の分断』 に対する違和感は、
僕も全くの同感です。

介護保険制度を利用した各種在宅サービスも、
実はこれと同じで、 
『サービス提供者』 と 『サービス利用者』 という、 
『役割を固定化されたもの』 であると思うからです。

これについて、まだ書きかけの文章ですが、僕の考察を載せておきます。



現在、老健の抱えている大きな問題のひとつに、 
『入所している期間の長い利用者が少なからずいる』 
という問題があります。

ご存知の通り、老健の役割は 『利用者の在宅復帰の支援』 にあり、
そのために介護や医療などの様々なサービスを提供するもので、

利用者の早期の在宅復帰を実現することが望ましいとされています。

しかし、現実には、
家族が利用者を自宅に引き取ることを渋っていたり、
利用者が自宅に帰っても、妻(夫)も要介護者となって
他施設に入所中であるため、
一人暮らしをせざるを得なかったりするケースも存在します。

つまり、入所者の在宅復帰を目指すはいいが、
その 『受け皿』 がしっかりと機能しえないケースが、
少なからずあるということです。

これは、共同体や家族が、 
『共生機能集団』 としてはもはや機能していない、

もしくは機能するには能力的に不足し、
受け皿としては大きな負担となっているという事実を、
少なからず示しているのではないでしょうか。

そして、
このような 『長期入所』 の可能性を持った 『予備軍』 が、
現在の長期入所者よりも遥かに多いであろうことは、
老健に 『入所待ち』 をする人が全国に相当数いる現状を見ても、
容易に推測できます。


この問題に対して国は、
施設利用者の在宅復帰の推進を、更に推し進めていく方針で、

そのために介護保険下での在宅サービスの充実が、
急務であるとしています。

つまり、
共生機能集団である共同体や家族の能力的な不足を、
介護保険サービスで補おうという方針であるのですが、

現状はそれほど効果は上がっていないと言えるでしょう。 

そうでなければ、
老人の 『孤独死』 ということが、
昨今これほど多く話題に上ることもない筈です。


その効果が上がらない原因のひとつに、
『介護保険サービスを提供する者は、
介護保険サービス以外のサービスを提供してはならない』
というルールの存在があります。

これは、
『定められた時間通りにきっちり自分のサービスのみを提供する』 
ことを、厳密に規定することであり、

本来、人情的に 『してあげたいこと』 も 『認めてあげたいこと』 も、
提供したりされたりすることができないことを意味します。

もし、うっかりしてしまえば
それは 『法律違反』 となり、厳罰に処せられます。

これは、 『役割の固定』 のためのルールなのです。

このルールに則る限り、
サービス提供者は、あくまで提供者としての役割を、
利用者は、あくまでサービスを提供される者としての役割を、
それぞれ外れることはできません。

介護保険が
『利用者とサービス提供者』 との 『契約』 に基づくものである以上、
これはいたしかたのないことなのかもしれませんが、 

『贈与の往還』 という共同体の基本コンセプトを考えたとき、
現在の介護保険下での在宅サービスでは、
質的に、共同体を補完するための機能を十分に発揮することは、
今後もできないでしょう。


もはや、介護保険サービスの枠内で
地域を考える段階ではなくなっているということは、
介護・医療関係者の間では気付かれつつありますが、

介護保険も
共同体や家族の共生機能集団の不足を補う方法のひとつにすぎない
と捉え直した上で、

それと他の 『贈与』  をいかに組み合わせていけるか、
という 『もう一段大きな枠組み』 で
考えていく必要があるのではないでしょうか。

そうでなければ、
介護保険サービスのみに頼らなくてはならない高齢者の 『孤独』 は、
ますます深まっていくように思われるのです。




# by hiro-ito55 | 2011-01-11 20:39 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

 『ロジックの飛躍』 と 『適正化』

『少子化問題』 『高齢化問題』 『超高齢化社会』。
こういった言葉を、僕らはほぼ毎日のように目にしたり、耳にしたりします。
僕らの社会の構造が変化してきている証拠ですね。

しかし、そもそも 『少子化』 や 『高齢化』 というものは、 
『何を基準に』 したものであるのか、
という問いは見落とされがちです。

いや、見落とされがちというよりは、
ほとんど無視されてこれらの事柄が論じられている
というのが、現状ではないでしょうか。

僕はここにロジックの飛躍があるように思えてなりません。


例えば、

『まだまだ作業療法士の数が足りないので、養成校をどんどん増やしましょう』

という方針は、

『そもそも作業療法士になりたいと思っている人が現状で何人存在するのか』
『存在するとして、今後そのような人は増え続けていくのか』

といった考察が抜けているとしたら問題ですよね。


実際、養成校の中には
既に定員割れをおこしているところもありますし、
学生の募集を停止している養成校もあります。


『少子化』 問題や 『高齢化』 問題もこれと同じで、

『そもそも高齢化(少子化)とは、
何と比較してどれだけの人数に達したら
高齢化(少子化)していると言えるのか』

『高齢化(少子化)しているとして、
今後それは何を基準にして適正化を目指すのか』

といった筋道が見えてこないということです。

いや、具体的には
65歳以上の人口が総人口の21%以上に達したら 
『超高齢社会』 と呼ぶのだ、
という人がいるかもしれませんが、

では、その 『超高齢社会』 の21%という数字は 
『何を基準にして』 そう設定しているのか、
という問いの答には成り得ません。

この 『問い』 つまり 
『何を基準にしているのか』 という考察がスッポリ抜けてしまうと、

例えば、
『少子化対策として、出産を奨励する政策を立案施行したとしても、
産科や保育所が不足し』 たり、

『高齢化対策として施設数を増やしたが、
思った以上に高齢者が集まらない』 

という結果を招くということです。

そのような結果は、明らかに失敗です。


もちろん、この結果にはバラつき、
つまり地域差というものがありますが、
僕らが 『少子化』 や 『高齢化』 というものを考えるとき、
その言葉をそのまま鵜呑みにして考察していくことは、
少し危険であるように思えるのです。

何故なら、 『少子化』 『高齢化』 という言葉自体に、
それを 『問題である』 と捉える意識が、
既に刷り込まれていると思えるからです。

問題に対しては適正に処理されなければならない
という思考が働きます。

しかし、その適正状態がどのような状態なのか分からないのであれば、
そもそもその問いの立て方自体が問題であるのです。

もし、僕らの社会が世間で言うところの 
『少子化』 や 『高齢化』 といった 
『異常な状態』 に向かっているのではなく、

むしろ今までの出生率の高さや、
高齢者人口の比率の低さの方が 
『異常』 であったと捉えることは、
できないのでしょうか。

僕らの社会が、どこかで均衡な人口構成状態に戻り、
それがその社会の適正な構成状態であり、
現在はそれに向かう移行期である、
と考えることは不可能なのでしょうか。

それを社会の回帰的な成り行きであると考えれば、
今までのそれと 『相対的に比較』 して、

現在の社会が、
僕らの目に 『少子化し、高齢化しているように映る』 だけではないか
とも思えてくるのです。

もしそうであるならば、
出生率を上げて高齢人口の相対的減少を目指すのではなく、
高齢者が増えた(と見える)社会でも、
混乱なく移行していける社会を目指すべきではないのか。

そして、『少子化』 や 『高齢化』 を論ずるときには、
そのような 『問い』 の立て直しを図るべきなのではないのか
と思うのです。

仮に、そのような根本的な問の立て直しがあれば、
人口構成変化の流れに逆らうような対策は減少し、
ロジックの飛躍による失敗は避けられるように思えるのです。





# by hiro-ito55 | 2011-01-09 21:54 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー