カテゴリ:医療・福祉・対人支援( 90 )

言葉にできないことも

僕はリハビリで自分のやることを、人に伝えるために言語化するという作業を、

あまりしない方だと思う。

               ・

敢えて言語化しないということではなくて、

言語化できないことが、あまりにも多すぎると感じるからだ。

               ・

それに、言語化できないことを、強引に言葉に変換すると、

どうしてもそっちの方に、意識が引っ張られてしまうのも嫌な感覚だ。

               ・            

人は言葉によって捕えたものは意識化しやすい。

でも、詩人や文人ならいざ知らず、

普通の人が、言葉でうまく表現できるものというのはごく僅かで、

本当は、言語表現に至らない経験も相当しているはずなのに、

言葉で伝えるという事に頼りすぎると、そういうプロセスがあることを無視しがちになる。

               ・

意識しないものは、その存在すらも忘れてしまうのが普通だからだ。

結果それは、コミュニケーションにおける「拾う」「感じとる」という、

自分の作業そのものの視野を、狭いものにしてしまいかねない。

               ・

確かに、言葉にして伝えるのも大事なことだし、

それによって、相手に伝えようと努力するのも大事なことだ。

でも、今言語化できていないことがあって、それを言葉で言い表せるまで待つのも必要だ。

               ・

自分自身に対してだけじゃない。

相手に対しても、そういう姿勢を見せることは大事なことだと思う。

間や受容や共有というのは、ノンバーバルな場で展開されることも多いからだ。

               ・

言葉での表現には限りがある。

言葉での表現に頼りすぎると、それを忘れがちになる。

               ・

忘れると、知らず知らずのうちに、相手にも言葉による等価の表現を求めてしまう。

そういったときの言葉は、相手への凶器になることだってある。

               ・

言語的・非言語的な意味を含めて、コミュニケーションは成り立っているから、

相手に何かをしっかりと伝えるということは非常に難しい。

               ・

でも僕らが、言葉で言い表せることは伝え、

言い表せないことは、その場ではそのままにしておく姿勢を、意識的に示すことで、

コミュニケーションを持続可能な、或いは良好なものとしていくことはできると思う。

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by hiro-ito55 | 2019-01-20 16:47 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

支援の敗北とならないためにも

ケアマネからALS(筋萎縮性側索硬化症)の男性の方へのリハ依頼がきて、

訪問が始まった。

               ・

近隣の病院を退院され、

在宅での生活がスタートしたところでのリハ依頼となり、2週間が経過した。

               ・

下肢筋力は屋内独歩が何とか可能なレベルで、

嚥下、咀嚼機能にも問題はないのだが、上肢筋力低下が著しく、

特に食事や更衣などの生活動作に支援が必要なためというのが、当初の依頼理由。

               ・

と、ここまで書くと、OTの腕の見せどころだと思うかもしれないが、

そう簡単にはいかない。その方は、独居生活なのだ。

               ・

通常であれば、手指や上肢の筋力や可動範囲を評価して、

そこから補助具や福祉用具の使い方の練習や導入の検討へと、話を進めていくところだが、

独居の場合、補助具の脱着、或いはセッティングなど本人の力で行っていけるのか、

という問題をまず考慮しなければならない。

               ・

それが不可能であれば、現実的な意味で、

補助具導入によって課題となっている動作を、すぐに解決に移すことは難しい。

               ・

今回依頼を受けた方も、

結局、現実的に補助具として使えたのは、スプーンに取り付けた太柄のグリップだけ。

万能カフ脱着もスプリングバランサーのセッティングも、自力では不可能なレベルにある。

               ・

援助者間で現実的な具体策を導き出し、それを早く実行に移す必要があるのだが、

病状の進行も速く、スプーンを持つ左手の握力もどんどん低下し、手指の拘縮も進んで、

もはや手を使い道具を使用すること自体が不可能な段階になっている。

               ・

食事だけではない。上衣の着脱や洗顔など、

道具の使用も含めて、とにかく上肢を使った動作が不可能になりつつある。

               ・

今は訪問介護を利用して、ヘルパーさんに諸々の介助をお願いすることを検討中だが、

現在は要介護認定の申請中で、暫定的なケアプランで介入しているため、

どのような頻度でどこまでの関わりが可能なのかといったことも、まだ不透明なまま。

               ・

このままでは、援助が後手後手に回ってしまうという悪循環に陥ってしまいかねない。

               ・

経験的に、重症筋無力症やALSなど、

進行性の疾患を抱えた方に対する援助を行う場合、援助者側による支援が課題解決に追い付かず、

支援に関わる者たちの間では無力感を感じることが多いが、

               ・

そうならないためにも、

病状の進行に合わせた支援と、予測される問題を先取りして具体的な支援策を打ち出し、

それを適時実行していける体制の構築が急がれている。

               ・

支援の敗北という、最悪の結果とならないためにも。

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by hiro-ito55 | 2019-01-15 21:40 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

今年も一年が終わります

今年も多くの利用者さんと、それを支えるご家族の方たちの下に訪問させて頂いた。

               ・

一カ月の訪問件数が140件を超えるような時期もあったけど、

常に忘れちゃいけないなと思ってたのは、僕らが向き合う相手は人であるということ。

どんなに忙しくても、それだけはずっと心がけていた。

               ・

忙しいからといって余裕がなくなると、心が無くなる。

分かりやすくいえば、やっつけ仕事になってしまうということ。

               ・

そんなときの専門性は、凶器にだってなりうる...。

今まで、そんな事例をいくつも見てきた。

               ・ 

それを回避するためには、障害や病気をじゃなくて、

障害や病気を抱えた人をみるという発想を、いつも持ち続けることだと思っている。

               ・

そしてそれが、簡単なようでとても難しいことも知っている。

だからそれを知った分だけ、僕も成長させられてきたのかもしれない。

               ・

今年もあっという間に一年が終わっていく...。

未熟な自分であるとしても、人としてできることを来年も探し続けていきたい。

               ・

今年もありがとうございました。

               ・

               ・

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by hiro-ito55 | 2018-12-31 16:19 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

人として接してほしい

ときに、他所のステーションで起こった出来事も、情報として入ってくることがある。

その中で驚いたのが、胃瘻造設の利用者さんに、看護師が経管栄養を注入しながら、

同時に、口腔清拭を実施していたという話があった。

               ・

それを聞いた誰かが言っていた。

それは看護師として非常識というか、むしろ人権の問題に関わる行為だと。

               ・

その通りだと思う。

だって、食事をしながら歯を磨く人なんていないのだから。

               ・

百歩譲ってそれが自ら行っている行為であれば、

それは奇行と呼ばれるものの類に入るのかもしれないけれど、

               ・

そうではなく、それが他者から強制された行為や状態であるならば、

それは、人としての尊厳を損ねる行為だと思う。

               ・

               ・

以前勤めていた老健でも、こんなことがあった。

施設行事のため、職員が入所者さんたちをエレベーター前に誘導中、

車いすを介助しながら、並んで頂かなければいけない方が何人もいらした。

               ・

エレベーター前には、段々と車いすに座りながら順番を待つ人たちの長い列ができてくる。

その状況を見ながら、「〇〇さんと△△さんたちは、そこに置いておいて」、

「◇◇さんたちは、その後ろに順番に並べて」と声をかけ続けている職員がいた。

               ・

僕はその声かけに、とても不快な思いを覚えた。

               ・

だから思わず「すみません。利用者さんに「置いておいて」は失礼じゃないですか。」

と、その職員に話しかけたことがあった。

でも、結果的にはシカトされて、凄く不愉快な思いをしたんだけれど...、

               ・

誰だって忙しいときはあるし、他人のことに構っていられないことだってある。

胃瘻に栄養を注入しながら、口腔清拭を行っている看護師も、

車いすの介助をしながら誘導する職員も、或いはそんな状況だったのかもしれない。

               ・

でもそのことが理由で、

人の尊厳を無視するような行為を正当化することはできないし、

そんな行為を実際に行えてしまう人のことを、僕はうまく理解することができない。

               ・

なんだろう...。

物じゃないんだよね。僕らが向き合っている人たちって。

そう思って接することって、当たり前のことだと思うんだけれど...。

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by hiro-ito55 | 2018-12-21 20:45 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

PCようやく復活

購入してまだ一年なのに...。

自宅のPCが突然作動しなくなり、1カ月の修理の末昨日ようやく戻ってきた。

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でも、全てのデータが初期化されてしまったため、

今まで書き溜めたブログの記事もろとも、全部消えてしまった。

やはりバックアップは取っておくべきだったと、今更ながら後悔...。

               ・

でも嬉しいニュースもあった。

一昨日、ケアマネ試験の合格通知が送付されてきた。

春先から試験勉強一色だったので、無事合格できたことは素直に嬉しい。

来春から実務研修が始まるけれど、それも今から楽しみにしている。

               ・

作業療法士でケアマネの資格を持っている人は少ないようだが、

逆に言えば、僕のような医療職の視点から、違った切り口を作ることもできると考えると、自然とモチベーションも上がってくる。

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中動態の勉強、ターミナルケアへの関心、哲学の実行、

そしてケアマネ実務研修と、これからも忙しい毎日になりそうだ。

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by hiro-ito55 | 2018-12-06 19:19 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

ケアマネの試験勉強してました

久しぶりのブログ更新。

春頃から始めたケアマネ試験の勉強で段々と忙しくなり、

気がついたら4ヶ月もの間、ブログに手をつけていなかった。

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でも、昨日でその試験も終わり、今はちょっとホッとしている。

独学で半年以上も勉強したのは、ホント久しぶりだったので....。

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今年から受験資格が法定資格保有者に限定され、

試験を受ける人の数が激減したとも噂されていたし、

去年までの過去問と比べると、問題の難易度も少し上がっていたように思う。

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正式な合否の発表は12月上旬だが、

ケアマネの試験勉強のおかげで、僕自身が携わっている介護保険分野に対する理解が、

前よりも少しだけ進んだように感じている。

            ・

白紙だった地図の上に、自分自身の立ち位置と見える景色を書き込むことができた、

そんな気分だ。

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さてさて、合否結果は2ヶ月後には判明するが、ひとまず試験勉強からは解放されたので、

またぼちぼちブログの方を更新していきます。

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by hiro-ito55 | 2018-10-15 15:35 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

紫陽花


地域包括から3ヶ月間という期限付きではあるが、

ある85歳の方へ、訪問リハビリを担当させて頂いている。

               ・

いわゆる要支援者への、介護予防を目的としたリハビリという位置づけになる方だが、

85歳というご高齢にも関わらず、一人暮らしをされている。

               ・

その人は、去年までスクールガードの活動をされていた。

老人会や市からの要望があったからではない。

自主的に、小学生の子供たちの安全のために、

雨の日も晴れの日も欠かさず、10年間毎日一人で通学路に立ち続けていた。

               ・

ただただ、子供たちの笑顔や、元気な姿を見られることが何よりも嬉しかったという。

しかし、去年の暮れごろになって体力に限界を感じ、その活動から身を引いた。

               ・

元々、自主的にやっていたスクールガードの活動だから、

たとえそれを止めても、老人会や市からは何の表彰や労いの言葉もない。

               ・

それでも、10年間毎日続けてきたその理由を訊ねると、

その人は、「僕はそんな勲章や表彰よりも、もっと大事にできた宝物があるからだよ」

と答えてくれた。

               ・

言葉の真意が解らず、僕が少し困惑した顔をしていると、

その人は、笑いながら「それは命だがね」と仰った。

               ・

その人は幼いころ、広島に住んでいた。

昭和20年の8月、原爆投下地点から2kmにある小学校で被爆した。

クラスメートのほとんどが亡くなったそうだ。

               ・

「爆弾なんてものは僕の力ではどうしようもできない。

でも、交通事故から子供の命を守るぐらいなら、僕でもできることだと思ってね」

               ・

その人が、どんな思いで通学路に10年間も立ち続けたのか、

その本当の深さを知ることは、僕にはできない。

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               ・

部屋には、スクールガードをしていた小学校の児童と卒業生から贈られてきた、

感謝の手紙と色紙が、亡くなった奥さんの写真に並べて飾られてある。

               ・

今日は天気が良かったので、一緒にお庭を散歩した。

満開を迎えた紫陽花の花が、とてもきれいだった。

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by hiro-ito55 | 2018-06-21 20:55 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

患者から早く死なせてほしいと言われたらどうしますか?

このところ忙しく、ブログを更新している時間が中々取れない...。

恐らく秋ごろまではこんな状態かな、と思いつつも、

少しずつは更新していこうと思っている。

               ・

               ・

5年前から本格的に身を置くようになった訪問リハビリという仕事。

その中で、人生の最終段階を迎えている人や、

それに向かっていく人たちへの訪問に携わることも多い。

               ・

今までがそうであったように、

きっとこれからも、それらの人たちの医療やリハビリに携わっていくのだろうと感じている。

               ・

終末期や、医療依存度の高い利用者さんの下に訪問させていただくと、

彼らは、回復する、良くなる、ということから遠く距離を置く人たちであり、

多くを誰かに頼りながら、それでも自分らしい毎日を、

と望む人たちでもあることを、強く感じる。

               ・

時には、エンゼルケアに立ち会ったこともあった。

ご家族たちの笑顔に見送られる最期の姿は、僕にとっても貴重な経験となっている。

               ・

そしてその度に、リハビリって何なのだろうと考える...。

               ・

               ・

物理的に有効なスキルを磨いても、

恐らくそれだけでは良いリハビリとは到底言えないということは、彼らが教えてくれた。

               ・

人生における、生活における全ての一瞬一瞬は、二度と再現することのないもの。

僕らが当たり前のように感じる毎日は、

本質的には、けっして当たり前のものではないのだということも、彼らが教えてくれた。

               ・

そして、

繰り返しのない毎日を繰り返す経験を通して、人生は一度きりなのだと言える。

そんなことも、彼らを通じて学んできたような気もする。

               ・

               ・

訪問リハを通じて、人生の最終段階を迎えている人や、

それに向かっていく人たちに携わることが、これからの僕の仕事になる...、

そう強く感じ始めたとき、友人から一冊の本を紹介された。

               ・

患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか? (本当に聞きたかった緩和ケアの講義)

新城拓也/金原出版


               ・

衝撃的なタイトルではあるが、

著者は長年、ホスピス医として終末期医療に携わってこられた方なので、

患者さんの症状やコミュニケーションの取り方について、

或いは、どの時期にどのような介入をするべきかなど、具体的な場面や時期に合わせて、

なぜそうするべきかといった理由を含めて示されているので、たいへん参考になる。

               ・

               ・

少しずつ読み進めて、今3分の1ほどを読み終えたところだが、

その中で、印象に残っている一節がある。

               ・

 できるだけ他人に頼らず、自分のことは自分でする。それが自立・自律であるという信念、

 この信念を持ち続けて生きていくと、自分が弱ったときに、自分が許せなくなります。

 そして、弱った自分を助けようと手をさしのべてくる援助者に対して、その手を払いのけて援

 助を拒否し、さらには、この生を自分の力で終わらせたい、コントロールしたいと考えるので

 す。

 「自己決定」、「自己責任」という原則が、「こんな状態で生きていくのなら、死んだほうが

 よい、早く死なせてほしい」と患者を追い詰めていることはないでしょうか。

 もしそうならば、患者だけでなく、私達を含めた今生きている人々の考え方に、何か根本的な

 考え違いがあるのではないでしょうか。

 「自立とは、依存先を増やすこと」。自立とは、依存の反対語ではない。

 自分に手をさしのべる援助者、さらにはまだ手をさしのべていない周囲の人達をも、自分自身

 が生きていくために依存者として自分の心の中で認めていくこと、これこそが自立なのです。

                                  (本文P.183184

               ・

               ・

終末期医療に携わる者として、

これから何度も読み返しながら、何かにぶつかったときには必ず読み直す、

そんな一冊になるような気がしている。

              ・

              ・

              ・

              ・

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by hiro-ito55 | 2018-03-26 21:33 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

客観的な立場の第三者が存在しない

厚生労働省の分科会に提出された統計によると、

訪問リハビリ件数は、ここ数年増加傾向にあるようで、

その傾向は今後も続く見通しであるようだ。

                ・

訪問リハビリに従事するリハ職が増えているのは良いことだとは思う。

けれど、訪問リハビリという仕事はやりがいもあるが、

自分の身は自分で守らなければならない仕事でもあることは忘れてはならないと思う。

               ・

病院や施設では、

決められた場所に利用者や患者さんが集ってそこでリハビリを受けるけれど、

訪問リハビリでは利用者さんの自宅がリハビリを受ける場になる。

そこには当事者同士しかいないし、そういう場で仕事をするのが在宅医療なのだ。

               ・

それはどういうことかというと、客観的な立場である第三者が存在しないということ。

もっと言えば、

何が事実で何が事実でないかをしっかりと証明する人間が誰一人いない場で、

僕らは仕事をするということだ。

               ・

利用者や家族から寄せられる苦情。

医療者側と利用者側間の見解や方針のくい違いであれば修正も可能だろうが、

ケアマネや他事業所を経由して伝えられたものの中には、

明らかに事実と異なるものも含まれていることがある。

               ・

その際に、自分の身をどうやって守るのか。

どこまでが事実であり、どこからが事実と異なるのか。

それを証明することはたいへん難しいし、その困難さを僕も経験したことがある。

               ・

介護力が不足していたり、利用者さん本人の現実検討力に問題があったりする場合、

精神的に追い詰められた状態で生活しているケースが多い。

               ・

他者の言動に過剰に反応するお宅においては、

一旦苦情が出てしまうと、どこまでが厳密に事実であるかを証明することは、

ほぼ不可能に近いことがある。

               ・

言葉は悪いが、100%言ったもん勝ちにされるリスクが存在するのも、

訪問リハビリという仕事だと思う。

               ・

その際に、自分をどう守るか。

アセスメントは、事実をひとつひとつ積み上げて、

それを確認しながら方向性を示していく作業であるけれど、

同時にそれは、自分自身を守るための作業でもあると思う。

               ・

何が事実で、何が事実でなかったのか。

いざという時にそれを証明できるのは、

アセスメントの積み重ねと記録と、その共有しかないのかもしれないが、

それさえも歪められてしまう現実も存在するということは、

個々のリスクマネジメントをよほどしっかりしていかないと、

少なくとも自分の身を、自分の力で守ることはできないということでもある。

               ・

多くの人の目に触れる機会の多い病院や施設で働くこと以上に、

リハ職としてのアセスメントやリスクマネジメント能力を高めなければいけないのが、

訪問リハという仕事であると思う。

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by hiro-ito55 | 2017-12-11 19:10 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

マッサージ依頼ならお断りなんて、そんな姿勢はただの自己満足だと思う


「うちはマッサージ屋ではないんで...。」
病院から退院後に在宅でのケアを始める際、
そういって他事業所からリハビリを断られた利用者さんがいる。

確かに、要介護5ともなると、リハビリでやれることは限られてくる。
家族からの要望が、関節が硬くなるのを防ぐROM-ex.のみであることも多い。
そうなれば、リハビリの内容はマッサージ的なものとなってしまうのかもしれない。

でも、それを理由にして断るっていうのは、正直どうかなと思う。
やはり、利用者や家族から望まれているのなら、その依頼は受けるべきだと思う。


利用者や家族は医療の専門家ではない。
マッサージとリハビリの違いについて、よく知らない人だって当然いるだろうし、
彼らの立場からすれば、そんな違いは、はっきり言ってどうだっていいだろう。

たとえ要介護5の方であっても、
臥床時のポジショニングや、誤嚥防止のためのアドバイス。
可能なリクライニング座位の時間や、医療的な注意点についてのアドバイス。
車いすに座れる時間ができれば、外出の方法について一緒に考える....。

初めはマッサージだけでも、
そこから僕らがやるべきこと、形にできる可能性はいっぱいある。


でも初めから僕らが、マッサージ依頼なんてそんなのリハビリじゃない、
そんな変な拘りを持っていたりすると、その可能性は拾えない。

拾えないことが、利用者や家族からも、どれだけ多くの希望を奪っているのかすらも、
分からなくさせてしまうのだと思う。


たとえば、
ベッドの上からでも、久しぶりに会いに来た孫たちと、同じ空間で過ごすことができた。
家族と一緒に、一度だけ梨狩りに出かけることができた。
週一回のリハビリの時間だけでも、家族と話す機会を持つことができた。
介護を通じて、親父のためにできることを精一杯やってあげられた....。

マッサージの依頼から始まった人でも、
最期まで、人間らしい生活を送ることのできた人はいっぱいいる。
そんな人を、僕は今まで何人も見てきた。

そして、そのお手伝いができたことは、
彼らの生活を支えることができたことの、何よりの証であると僕は思う。


僕らは対人支援の専門家だし、
利用者や家族の思い、そして価値に共感し共有することで、
一緒にそれらを何かの形にしていくのが、作業療法だと思う。

僕らの専門性は、彼らの思いや価値を形にしていく段階で初めて発揮されるものだ。
僕らの価値観が、それら全てに先立ってあるのではない。

それがちゃんと分かっていれば、「うちはマッサージ屋ではない」なんて、
そんな姿勢がどれだけ馬鹿げたものであるのかも、ちゃんと分かるはずだ。


僕らの専門性は誰のためにあり、誰のために使われなければいけないのか....。

マッサージを望んでいるのなら他を当たって下さいなんて、
そんな姿勢は、ただの自己満足だと思う。

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by hiro-ito55 | 2017-07-04 21:02 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー