カテゴリ:医療・福祉・対人支援( 86 )

PCようやく復活

購入してまだ一年なのに...。

自宅のPCが突然作動しなくなり、1カ月の修理の末昨日ようやく戻ってきた。

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でも、全てのデータが初期化されてしまったため、

今まで書き溜めたブログの記事もろとも、全部消えてしまった。

やはりバックアップは取っておくべきだったと、今更ながら後悔...。

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でも嬉しいニュースもあった。

一昨日、ケアマネ試験の合格通知が送付されてきた。

春先から試験勉強一色だったので、無事合格できたことは素直に嬉しい。

来春から実務研修が始まるけれど、それも今から楽しみにしている。

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作業療法士でケアマネの資格を持っている人は少ないようだが、

逆に言えば、僕のような医療職の視点から、違った切り口を作ることもできると考えると、自然とモチベーションも上がってくる。

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中動態の勉強、ターミナルケアへの関心、哲学の実行、

そしてケアマネ実務研修と、これからも忙しい毎日になりそうだ。

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by hiro-ito55 | 2018-12-06 19:19 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

ケアマネの試験勉強してました

久しぶりのブログ更新。

春頃から始めたケアマネ試験の勉強で段々と忙しくなり、

気がついたら4ヶ月もの間、ブログに手をつけていなかった。

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でも、昨日でその試験も終わり、今はちょっとホッとしている。

独学で半年以上も勉強したのは、ホント久しぶりだったので....。

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今年から受験資格が法定資格保有者に限定され、

試験を受ける人の数が激減したとも噂されていたし、

去年までの過去問と比べると、問題の難易度も少し上がっていたように思う。

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正式な合否の発表は12月上旬だが、

ケアマネの試験勉強のおかげで、僕自身が携わっている介護保険分野に対する理解が、

前よりも少しだけ進んだように感じている。

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白紙だった地図の上に、自分自身の立ち位置と見える景色を書き込むことができた、

そんな気分だ。

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さてさて、合否結果は2ヶ月後には判明するが、ひとまず試験勉強からは解放されたので、

またぼちぼちブログの方を更新していきます。

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by hiro-ito55 | 2018-10-15 15:35 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

紫陽花


地域包括から3ヶ月間という期限付きではあるが、

ある85歳の方へ、訪問リハビリを担当させて頂いている。

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いわゆる要支援者への、介護予防を目的としたリハビリという位置づけになる方だが、

85歳というご高齢にも関わらず、一人暮らしをされている。

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その人は、去年までスクールガードの活動をされていた。

老人会や市からの要望があったからではない。

自主的に、小学生の子供たちの安全のために、

雨の日も晴れの日も欠かさず、10年間毎日一人で通学路に立ち続けていた。

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ただただ、子供たちの笑顔や、元気な姿を見られることが何よりも嬉しかったという。

しかし、去年の暮れごろになって体力に限界を感じ、その活動から身を引いた。

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元々、自主的にやっていたスクールガードの活動だから、

たとえそれを止めても、老人会や市からは何の表彰や労いの言葉もない。

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それでも、10年間毎日続けてきたその理由を訊ねると、

その人は、「僕はそんな勲章や表彰よりも、もっと大事にできた宝物があるからだよ」

と答えてくれた。

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言葉の真意が解らず、僕が少し困惑した顔をしていると、

その人は、笑いながら「それは命だがね」と仰った。

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その人は幼いころ、広島に住んでいた。

昭和20年の8月、原爆投下地点から2kmにある小学校で被爆した。

クラスメートのほとんどが亡くなったそうだ。

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「爆弾なんてものは僕の力ではどうしようもできない。

でも、交通事故から子供の命を守るぐらいなら、僕でもできることだと思ってね」

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その人が、どんな思いで通学路に10年間も立ち続けたのか、

その本当の深さを知ることは、僕にはできない。

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部屋には、スクールガードをしていた小学校の児童と卒業生から贈られてきた、

感謝の手紙と色紙が、亡くなった奥さんの写真に並べて飾られてある。

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今日は天気が良かったので、一緒にお庭を散歩した。

満開を迎えた紫陽花の花が、とてもきれいだった。

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by hiro-ito55 | 2018-06-21 20:55 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

患者から早く死なせてほしいと言われたらどうしますか?

このところ忙しく、ブログを更新している時間が中々取れない...。

恐らく秋ごろまではこんな状態かな、と思いつつも、

少しずつは更新していこうと思っている。

               ・

               ・

5年前から本格的に身を置くようになった訪問リハビリという仕事。

その中で、人生の最終段階を迎えている人や、

それに向かっていく人たちへの訪問に携わることも多い。

               ・

今までがそうであったように、

きっとこれからも、それらの人たちの医療やリハビリに携わっていくのだろうと感じている。

               ・

終末期や、医療依存度の高い利用者さんの下に訪問させていただくと、

彼らは、回復する、良くなる、ということから遠く距離を置く人たちであり、

多くを誰かに頼りながら、それでも自分らしい毎日を、

と望む人たちでもあることを、強く感じる。

               ・

時には、エンゼルケアに立ち会ったこともあった。

ご家族たちの笑顔に見送られる最期の姿は、僕にとっても貴重な経験となっている。

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そしてその度に、リハビリって何なのだろうと考える...。

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物理的に有効なスキルを磨いても、

恐らくそれだけでは良いリハビリとは到底言えないということは、彼らが教えてくれた。

               ・

人生における、生活における全ての一瞬一瞬は、二度と再現することのないもの。

僕らが当たり前のように感じる毎日は、

本質的には、けっして当たり前のものではないのだということも、彼らが教えてくれた。

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そして、

繰り返しのない毎日を繰り返す経験を通して、人生は一度きりなのだと言える。

そんなことも、彼らを通じて学んできたような気もする。

               ・

               ・

訪問リハを通じて、人生の最終段階を迎えている人や、

それに向かっていく人たちに携わることが、これからの僕の仕事になる...、

そう強く感じ始めたとき、友人から一冊の本を紹介された。

               ・

患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか? (本当に聞きたかった緩和ケアの講義)

新城拓也/金原出版


               ・

衝撃的なタイトルではあるが、

著者は長年、ホスピス医として終末期医療に携わってこられた方なので、

患者さんの症状やコミュニケーションの取り方について、

或いは、どの時期にどのような介入をするべきかなど、具体的な場面や時期に合わせて、

なぜそうするべきかといった理由を含めて示されているので、たいへん参考になる。

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               ・

少しずつ読み進めて、今3分の1ほどを読み終えたところだが、

その中で、印象に残っている一節がある。

               ・

 できるだけ他人に頼らず、自分のことは自分でする。それが自立・自律であるという信念、

 この信念を持ち続けて生きていくと、自分が弱ったときに、自分が許せなくなります。

 そして、弱った自分を助けようと手をさしのべてくる援助者に対して、その手を払いのけて援

 助を拒否し、さらには、この生を自分の力で終わらせたい、コントロールしたいと考えるので

 す。

 「自己決定」、「自己責任」という原則が、「こんな状態で生きていくのなら、死んだほうが

 よい、早く死なせてほしい」と患者を追い詰めていることはないでしょうか。

 もしそうならば、患者だけでなく、私達を含めた今生きている人々の考え方に、何か根本的な

 考え違いがあるのではないでしょうか。

 「自立とは、依存先を増やすこと」。自立とは、依存の反対語ではない。

 自分に手をさしのべる援助者、さらにはまだ手をさしのべていない周囲の人達をも、自分自身

 が生きていくために依存者として自分の心の中で認めていくこと、これこそが自立なのです。

                                  (本文P.183184

               ・

               ・

終末期医療に携わる者として、

これから何度も読み返しながら、何かにぶつかったときには必ず読み直す、

そんな一冊になるような気がしている。

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by hiro-ito55 | 2018-03-26 21:33 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

客観的な立場の第三者が存在しない

厚生労働省の分科会に提出された統計によると、

訪問リハビリ件数は、ここ数年増加傾向にあるようで、

その傾向は今後も続く見通しであるようだ。

                ・

訪問リハビリに従事するリハ職が増えているのは良いことだとは思う。

けれど、訪問リハビリという仕事はやりがいもあるが、

自分の身は自分で守らなければならない仕事でもあることは忘れてはならないと思う。

               ・

病院や施設では、

決められた場所に利用者や患者さんが集ってそこでリハビリを受けるけれど、

訪問リハビリでは利用者さんの自宅がリハビリを受ける場になる。

そこには当事者同士しかいないし、そういう場で仕事をするのが在宅医療なのだ。

               ・

それはどういうことかというと、客観的な立場である第三者が存在しないということ。

もっと言えば、

何が事実で何が事実でないかをしっかりと証明する人間が誰一人いない場で、

僕らは仕事をするということだ。

               ・

利用者や家族から寄せられる苦情。

医療者側と利用者側間の見解や方針のくい違いであれば修正も可能だろうが、

ケアマネや他事業所を経由して伝えられたものの中には、

明らかに事実と異なるものも含まれていることがある。

               ・

その際に、自分の身をどうやって守るのか。

どこまでが事実であり、どこからが事実と異なるのか。

それを証明することはたいへん難しいし、その困難さを僕も経験したことがある。

               ・

介護力が不足していたり、利用者さん本人の現実検討力に問題があったりする場合、

精神的に追い詰められた状態で生活しているケースが多い。

               ・

他者の言動に過剰に反応するお宅においては、

一旦苦情が出てしまうと、どこまでが厳密に事実であるかを証明することは、

ほぼ不可能に近いことがある。

               ・

言葉は悪いが、100%言ったもん勝ちにされるリスクが存在するのも、

訪問リハビリという仕事だと思う。

               ・

その際に、自分をどう守るか。

アセスメントは、事実をひとつひとつ積み上げて、

それを確認しながら方向性を示していく作業であるけれど、

同時にそれは、自分自身を守るための作業でもあると思う。

               ・

何が事実で、何が事実でなかったのか。

いざという時にそれを証明できるのは、

アセスメントの積み重ねと記録と、その共有しかないのかもしれないが、

それさえも歪められてしまう現実も存在するということは、

個々のリスクマネジメントをよほどしっかりしていかないと、

少なくとも自分の身を、自分の力で守ることはできないということでもある。

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多くの人の目に触れる機会の多い病院や施設で働くこと以上に、

リハ職としてのアセスメントやリスクマネジメント能力を高めなければいけないのが、

訪問リハという仕事であると思う。

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by hiro-ito55 | 2017-12-11 19:10 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

マッサージ依頼ならお断りなんて、そんな姿勢はただの自己満足だと思う


「うちはマッサージ屋ではないんで...。」
病院から退院後に在宅でのケアを始める際、
そういって他事業所からリハビリを断られた利用者さんがいる。

確かに、要介護5ともなると、リハビリでやれることは限られてくる。
家族からの要望が、関節が硬くなるのを防ぐROM-ex.のみであることも多い。
そうなれば、リハビリの内容はマッサージ的なものとなってしまうのかもしれない。

でも、それを理由にして断るっていうのは、正直どうかなと思う。
やはり、利用者や家族から望まれているのなら、その依頼は受けるべきだと思う。


利用者や家族は医療の専門家ではない。
マッサージとリハビリの違いについて、よく知らない人だって当然いるだろうし、
彼らの立場からすれば、そんな違いは、はっきり言ってどうだっていいだろう。

たとえ要介護5の方であっても、
臥床時のポジショニングや、誤嚥防止のためのアドバイス。
可能なリクライニング座位の時間や、医療的な注意点についてのアドバイス。
車いすに座れる時間ができれば、外出の方法について一緒に考える....。

初めはマッサージだけでも、
そこから僕らがやるべきこと、形にできる可能性はいっぱいある。


でも初めから僕らが、マッサージ依頼なんてそんなのリハビリじゃない、
そんな変な拘りを持っていたりすると、その可能性は拾えない。

拾えないことが、利用者や家族からも、どれだけ多くの希望を奪っているのかすらも、
分からなくさせてしまうのだと思う。


たとえば、
ベッドの上からでも、久しぶりに会いに来た孫たちと、同じ空間で過ごすことができた。
家族と一緒に、一度だけ梨狩りに出かけることができた。
週一回のリハビリの時間だけでも、家族と話す機会を持つことができた。
介護を通じて、親父のためにできることを精一杯やってあげられた....。

マッサージの依頼から始まった人でも、
最期まで、人間らしい生活を送ることのできた人はいっぱいいる。
そんな人を、僕は今まで何人も見てきた。

そして、そのお手伝いができたことは、
彼らの生活を支えることができたことの、何よりの証であると僕は思う。


僕らは対人支援の専門家だし、
利用者や家族の思い、そして価値に共感し共有することで、
一緒にそれらを何かの形にしていくのが、作業療法だと思う。

僕らの専門性は、彼らの思いや価値を形にしていく段階で初めて発揮されるものだ。
僕らの価値観が、それら全てに先立ってあるのではない。

それがちゃんと分かっていれば、「うちはマッサージ屋ではない」なんて、
そんな姿勢がどれだけ馬鹿げたものであるのかも、ちゃんと分かるはずだ。


僕らの専門性は誰のためにあり、誰のために使われなければいけないのか....。

マッサージを望んでいるのなら他を当たって下さいなんて、
そんな姿勢は、ただの自己満足だと思う。

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by hiro-ito55 | 2017-07-04 21:02 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

お花見


「あそこにサルノコシカケができとるから、これももう老木なんだろうなぁ」
妻が握ったおにぎりを頬張りながら、樹齢50年にもなる桜の木を見上げ、その人は呟いた。

サルノコシカケとは、茸の一種で、
木の幹にこれがいくつもできると、桜の木もそろそろ寿命を迎える時期になるのだそうだ。

その日は、庭に咲いた桜を眺めながら、家族そろってのお花見。
今年はリハビリの歩行練習がてらだけど、
去年亡くなった娘さんの遺影とともに、無事桜を愛でることができた。

桜の真横には、いつのまにか椿の真っ赤な花が数輪咲いている。
どこからか、鳥が種を運んできたようだ。

そして、数メートル横には剪定したばかりの杉の木が三本並んでいる。
紫陽花は葉を着けたばかり。檜は去年のままの姿だ。


椅子に腰かけ、この一年間庭に起こった出来事を妻から聞かされた。
夏には、毛虫が着いてたいへんだったこと。
秋には、台風で枝が何本も折れたこと。
冬には、息子家族が雪かきの手伝いに来てくれたこと。

妻が話すたびに、「ああ、そうかそうか」と頷く。
今年も変わらず木や花が、それぞれの姿で育ってくれている。
今は、それが何よりも嬉しい。

娘がもういないことと、自由にならない自分の体があること。
それでも季節は、巡ってくるのだとしても。

ひとつの家族に起こった、いくつもの出来事など、
まるで関係がないかのように、月日は流れていく。


その人の望みは、桜の木を見ることだった。
それに触れ、娘と変わらぬ笑顔を交わすことだった。

笑い声の飛び交う桜の木の下で....。


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by hiro-ito55 | 2017-04-09 19:46 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

桜の木


庭の入り口に、大きな桜の木がそびえている。
娘さんが生まれた記念にと植えた木だから、樹齢50年になるという。

毎年きれいな花を咲かせるこの木も、去年は見ることができなかった。
玄関から、ほんの15メートルほどの距離にあるのに、
その距離が、途方もなく長いものに感じられた。

今年も諦めかけていた。

でも、ほんの少しだけ春めいた日に、
何か月ぶりだろう、外の空気を吸うことができた。

午後の暖かな春の空気を、全身で味わうようにゆっくりと顔を上げ、
その人は、まだ咲かぬ桜の木を眺めている。

その木に、その手で触れるまで、まだ10メートル以上の距離がある。

何でもない距離だったはずなのに、
椅子に腰かけ、傍らに立つセラピストに娘の思い出話をすることが、
今のその人の心を落ち着かせている。


なぜ、自分の力で歩きたいのか。
それは、桜の木を自分の目で見たいから。歩いて、自分の手で触れたいから。

頑張りたいからじゃない。
自分にもできることを、家族やセラピストに見せつけたいからでもない。
ただ、自分で植えたあの桜の木を見たいだけ。


毎年毎年、満開の花を咲かせるたびに一番に喜んでくれたのは、
障害を持って生まれてきた娘だった。

不自由な体を不憫に思うこともあった。
こんな形でしか生を与えることができなかったことを、申し訳なく思うこともあった。

でも、今年も元気に咲いてくれたこと、娘の笑顔を見られたこと、
満開のその木を眺めるたびに、家族でいることの幸せをいつも感じることができた。

その木には、
成長とともに重ねた年月と同じだけ、今も変わらぬ大切な思いが詰まっている。

だから今年も、あの桜を一緒に見たい。
咲き誇る桜の木に、今年も変わらぬ姿を見せられるように。


歩きたいと思うその人の願いは、桜の木を見ること。
歩いて、自分の手でそれに触れることなんだ。


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by hiro-ito55 | 2017-04-01 21:53 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

この仕事をしていて嬉しいこと


この仕事をしていて、嬉しいことがひとつある。

それは、歩行練習や筋力強化など、
満足なリハビリができなくなるほど、その人の状態が悪くなってしまったとき、
ご本人やご家族の方から、「それでも来てほしい」と言って頂けること。

その言葉は、僕があくまで機能や能力の回復に拘ったリハビリをしていたら、
けっして言われることのない言葉だと思う。

もちろん、訪問してもやれることはごく限られてしまうけれど、
それでも待っていてくれるということは、そこに何らかの意味や価値があり、

それがたとえ数値化できないものであったとしても、
或いは、効果を上手く説明できないものであったとしても、
僕は全然かまわないと思う。

利用者さんやご家族にとって、
そして僕にとってもそれは、かけがえのない時間であるに違いない。

実際に僕にできることは、ほとんどないかもしれない。
一緒に時間を共有できたとしても、それだけなのかもしれない。

でも、
僕らが在宅医療に関わる意味は、そういうところにもきっとあるのだとも思う。


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by hiro-ito55 | 2016-10-05 20:31 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

エンゼルケアを終えて


先日、看護師さんのエンゼルケアに立ち会った。
長女さんの懸命の呼びかけにも拘らず、その方は二度と息を吹き返すことはなかった。
そして、父親の最期を看取ったの長女さんは、母と交代で一年以上も介護に携わってきた。

自分にとって大切なその人が、老いや障害によって、誰かの手を借りなければ、
生きていくことが困難になる瞬間は、たぶん誰にでもやってくる。

そのときに、愛する人への介護を選択するということは、
自分にとって大切な近しい人と、ともに奮闘していく毎日を通して、
一緒に生きることを目指す厳しさに、自ら身を置く決断をするということだ。

そうして時に、自分にとって大切な人のことが、無条件には愛せなくなる瞬間もあり、
そうした辛い現実とも、しっかりと向き合わなければならなくなることもある。
それは、とても悲しいことなのだと思う。

けれどそれでも、介護を受ける側にしても、介護者にしても、
同じように奮闘していく毎日であることに変わりはない。

実際に介護を進めていけば、
そこには、一緒に生きることを目指して、懸命に介護を続けているという思いもあれば、
その苦労を、頼みたくて頼んでいるわけではないという思いもあるかもしれない。
介護を通してそんな毎日が、やがて巡ってくる可能性はきっと誰にでもある。

けれど介護に関わる以前は、
その本当の大変さについて知らないというのが、ごく一般的な感覚なのだと思う。

だから、誰もがとても戸惑うことになるのだし、
今回、父親の最期を看取ったご家族たちも、
介護が始まってから大変なご苦労をされて、ここまでやってきた。

仕事の有給休暇を介護の時間に充てることや、昼夜交代で休みを取りながら看る毎日は、
介護を受けるご本人も含めて、家族としての生活そのものを一変させてきた。

だからこそ、在宅医療・介護に関わる僕らが、
彼らの苦労に少しでも寄り添い、ともに奮闘することが大事になるのだし、
在宅生活の質を支えるという意味において、その関わりは強い意味を持つのだと思う。

介護は、喜びと悲しみが激しく入れ替わる毎日に、
当事者である彼らが戸惑いながらも、それでもめまぐるしく進んでいくものだ。

いいことばかりではない。でも、辛いことばかりでもない。
そうやって、最後まで人間らしく生きようと奮闘する彼らに対して、
その時々で、彼らに寄り添うケアというものが、僕らはできたのだろうか。

エンゼルケアを終えた後、
大切な人を見送るご家族の姿を見て、僕は今までの自分の姿を振り返っていた。


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by hiro-ito55 | 2016-08-18 21:07 | 医療・福祉・対人支援 | Trackback | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー