紫陽花


地域包括から3ヶ月間という期限付きではあるが、

ある85歳の方へ、訪問リハビリを担当させて頂いている。

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いわゆる要支援者への、介護予防を目的としたリハビリという位置づけになる方だが、

85歳というご高齢にも関わらず、一人暮らしをされている。

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その人は、去年までスクールガードの活動をされていた。

老人会や市からの要望があったからではない。

自主的に、小学生の子供たちの安全のために、

雨の日も晴れの日も欠かさず、10年間毎日一人で通学路に立ち続けていた。

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ただただ、子供たちの笑顔や、元気な姿を見られることが何よりも嬉しかったという。

しかし、去年の暮れごろになって体力に限界を感じ、その活動から身を引いた。

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元々、自主的にやっていたスクールガードの活動だから、

たとえそれを止めても、老人会や市からは何の表彰や労いの言葉もない。

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それでも、10年間毎日続けてきたその理由を訊ねると、

その人は、「僕はそんな勲章や表彰よりも、もっと大事にできた宝物があるからだよ」

と答えてくれた。

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言葉の真意が解らず、僕が少し困惑した顔をしていると、

その人は、笑いながら「それは命だがね」と仰った。

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その人は幼いころ、広島に住んでいた。

昭和20年の8月、原爆投下地点から2kmにある小学校で被爆した。

クラスメートのほとんどが亡くなったそうだ。

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「爆弾なんてものは僕の力ではどうしようもできない。

でも、交通事故から子供の命を守るぐらいなら、僕でもできることだと思ってね」

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その人が、どんな思いで通学路に10年間も立ち続けたのか、

その本当の深さを知ることは、僕にはできない。

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部屋には、スクールガードをしていた小学校の児童と卒業生から贈られてきた、

感謝の手紙と色紙が、亡くなった奥さんの写真に並べて飾られてある。

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今日は天気が良かったので、一緒にお庭を散歩した。

満開を迎えた紫陽花の花が、とてもきれいだった。

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# by hiro-ito55 | 2018-06-21 20:55 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

患者から早く死なせてほしいと言われたらどうしますか?

このところ忙しく、ブログを更新している時間が中々取れない...。

恐らく秋ごろまではこんな状態かな、と思いつつも、

少しずつは更新していこうと思っている。

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5年前から本格的に身を置くようになった訪問リハビリという仕事。

その中で、人生の最終段階を迎えている人や、

それに向かっていく人たちへの訪問に携わることも多い。

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今までがそうであったように、

きっとこれからも、それらの人たちの医療やリハビリに携わっていくのだろうと感じている。

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終末期や、医療依存度の高い利用者さんの下に訪問させていただくと、

彼らは、回復する、良くなる、ということから遠く距離を置く人たちであり、

多くを誰かに頼りながら、それでも自分らしい毎日を、

と望む人たちでもあることを、強く感じる。

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時には、エンゼルケアに立ち会ったこともあった。

ご家族たちの笑顔に見送られる最期の姿は、僕にとっても貴重な経験となっている。

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そしてその度に、リハビリって何なのだろうと考える...。

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物理的に有効なスキルを磨いても、

恐らくそれだけでは良いリハビリとは到底言えないということは、彼らが教えてくれた。

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人生における、生活における全ての一瞬一瞬は、二度と再現することのないもの。

僕らが当たり前のように感じる毎日は、

本質的には、けっして当たり前のものではないのだということも、彼らが教えてくれた。

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そして、

繰り返しのない毎日を繰り返す経験を通して、人生は一度きりなのだと言える。

そんなことも、彼らを通じて学んできたような気もする。

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訪問リハを通じて、人生の最終段階を迎えている人や、

それに向かっていく人たちに携わることが、これからの僕の仕事になる...、

そう強く感じ始めたとき、友人から一冊の本を紹介された。

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患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか? (本当に聞きたかった緩和ケアの講義)

新城拓也/金原出版


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衝撃的なタイトルではあるが、

著者は長年、ホスピス医として終末期医療に携わってこられた方なので、

患者さんの症状やコミュニケーションの取り方について、

或いは、どの時期にどのような介入をするべきかなど、具体的な場面や時期に合わせて、

なぜそうするべきかといった理由を含めて示されているので、たいへん参考になる。

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少しずつ読み進めて、今3分の1ほどを読み終えたところだが、

その中で、印象に残っている一節がある。

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 できるだけ他人に頼らず、自分のことは自分でする。それが自立・自律であるという信念、

 この信念を持ち続けて生きていくと、自分が弱ったときに、自分が許せなくなります。

 そして、弱った自分を助けようと手をさしのべてくる援助者に対して、その手を払いのけて援

 助を拒否し、さらには、この生を自分の力で終わらせたい、コントロールしたいと考えるので

 す。

 「自己決定」、「自己責任」という原則が、「こんな状態で生きていくのなら、死んだほうが

 よい、早く死なせてほしい」と患者を追い詰めていることはないでしょうか。

 もしそうならば、患者だけでなく、私達を含めた今生きている人々の考え方に、何か根本的な

 考え違いがあるのではないでしょうか。

 「自立とは、依存先を増やすこと」。自立とは、依存の反対語ではない。

 自分に手をさしのべる援助者、さらにはまだ手をさしのべていない周囲の人達をも、自分自身

 が生きていくために依存者として自分の心の中で認めていくこと、これこそが自立なのです。

                                  (本文P.183184

               ・

               ・

終末期医療に携わる者として、

これから何度も読み返しながら、何かにぶつかったときには必ず読み直す、

そんな一冊になるような気がしている。

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# by hiro-ito55 | 2018-03-26 21:33 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

季節の感じ方

昨日、市内を車で走っていると、隣市との境に位置する標高千メートル程の山々に、

うっすらと雪が積もっているのが見えた。

風が強かったため雲の流れも速く、山頂付近は白く隠れていた。

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僕はふと思った。

今は雨雲や雪雲の流れもスマホで確認すればすぐに分かる。

いつどこに降雪や降雨がありそうなのかも、ある程度予測することができる。

スマホやIT技術そのものが存在しなかった時代にはなかったことだ。

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現代は街にはビルやマンションなど、高い建物があちこちにあるのが当たり前な風景だが、

そんなものがなかった時代、景色は今よりも随分と広いものだったろう。

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街角に立ち、そこから見渡せる景色は、今よりも遥かに遠くまで見渡すことができた時代。

遠くで雨が降っていることも、今より身近に感じることができたのではないか。

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僕ら現代に生きる人間は、

テクノロジーによって必要な情報をすぐに入手することができる。

けれど、直接に物事を経験する機会は奪われているのではないか。

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例えば、季節を感じること。

カレンダーなどなかった時代、人には人それぞれ、

その人自身が感じる季節というものがもっとはっきりとあったのではないか。

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あの人が亡くなったのは、庭の梅の蕾が付き始めた季節だと覚えていれば、

来年も再来年も、梅の蕾が付き始める頃にちょうど一年が過ぎたのだと合点する。

その日が、正確に一年でなかったとしても、それで事足りていれば一向に差し支えない。

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そういう季節の感じ方と、カレンダーの日付を確認してちょうど一年だと思う知り方と、

どちらがより豊かな感じ方であっただろうか。

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星を読み、日の陰りの早さを感じ、

農民には農民の、牛使いには牛使いの抱えるそれぞれの時間や季節というものがあった。

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それで過不足ないのだとすれば、

それは、それだけ季節や時間というものが自分の生活に密着しているということだと思う。

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僕は想像する。

はたして、現代に生きる僕らの感受性というものは、

テクノロジーの進歩と同じくらい前に進めているのだろうかと。

直接に経験する機会は、深まっているのだろうかと。

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現代に生きる僕らは、今という時代からその影響を受けざるを得ない。

どんなに自由な発想を持っていたとしても、

それは現代という、僕らを取り囲む時代や世相の影響から独立的であることはない。

                ・

自分自身が、現代という時代からも自由になっているという発想自体、

それまでの自分の経験を否定するという、危険な着想だ。

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単純に昔に返れという空しい空想を思うのではなく、

自分自身が生きる時代というものに自覚的であるということ。

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それを意識的に省みるだけでも、

豊かな人生を送るための、充分なヒントに成り得るのではないか、

そんなふうに思っている。

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# by hiro-ito55 | 2017-12-24 16:26 | Comments(2)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー