2013年 11月 21日 ( 1 )

音を拾うこと


オーケストラの指揮者は、たいへん耳がいいと聞いたことがありますが、
例えばMozartは、オーケストラの演奏を一度聴いただけで、
その全ての音を、五線紙の上に正確に落とすことができたという。

ヴァイオリンの音も、ビオラの音も、チェロの音も...。
全ての音を聞き分けて、譜面上に正確に並べていくことができたらしい。

けれど僕らには、
同じ演奏を聴いても、一度で正確に全ての音を聴き分けて、
それを譜面上に並べていくことなど到底できない。

とすれば、
確かに同じ音楽を聴いて、同じ音を感じているはずなのかもしれないけれど、
僕らには最早、それは聴こえていないということと同じことなんだと思う。

でもひとつだけ言えるのは、
できる限りの音を拾おうと、一所懸命に聴くことぐらいはできるということ。


聴きながら音を拾うこと...。
人同士の繋がりも、それと似たようなところがあるのかもしれない。


例えば、こんなことを考えてみる。
この仕事を通じて、出会うことのできた利用者さん。
その出会いは、数ある偶然の中のひとつだと思う。

その中で、思うことや感じること、或いは伝えたいこと、
そんなことを、ふとしたことでも確かに感じ取ることができる人がいる。

そして拾い上げたそれらを、利用者と共に考え悩みながらも、
その人の描く生活や人生のリズムの上に、上手く乗せていくことのできる人がいる。

始まりは偶然であったとしても、
それら拾い上げた幾つかが形となり、いつしか必然のものとなっていく...。

その形を作り上げていく過程はどこか、
奏で上げられるひとつひとつの音を丁寧に拾い上げ、
秩序正しくひとつの纏まった形として、譜面の上に落としていくことと似ている。



だからせめて、
どんなに短い関わりでも、
彼らの発する音のひとつひとつを、拾い上げられる人、
そんな人でありたいと僕は思う。

どんなに小さな努力でも、
そこに意味があることを、しっかりと伝えられる人、
そんな人でありたいと僕は思う。


たとえ小さな一歩でも、その人にとってはその一歩が必然となり、
そこに価値が生まれてくる事実を伝えられること、

それは、
溢れ出てきた音を拾い上げ、それをしっかりと聴き分けていく作業に似ている、
僕はいつも、そんな気がしている。

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by hiro-ito55 | 2013-11-21 00:01 | 作業療法 | Trackback | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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