Humanity
2015年 01月 26日
訪問のたびに、妻の前で強がる人がいる。
できるのにやらないと愚痴れば、お前の介護がいけないんだと悪態をつく人がいる。
動けない自分が嫌だから、お前なんかもう来なくていいと言い放つ人がいる。
そうして気に入らないことは、いつも家族や誰かのせいにする。
でも、どんなに憎まれ口を叩いても、
向き合っているのは、「夫の障害」や「母の認知症」ではなく、
「障害を抱えた夫」や「年老いた母」だとしたら....。
目の前にいるその人は、いつも誰かにとって大切な人。
だから、本気で怒ったり責めたり愚痴ったり。
そうして後で悔んでしまっても、そこにはみんな人間らしさが宿っている。
それに触れる僕らにだって、人間くささが見え隠れ。
ともに泣いたり悔んだり。たまには一緒に笑ったり。
二度と繰り返すことのない瞬間の、全てが喜びではないけれど、
ともに何かを探している、その姿はいつも個性的。
妻や息子が気に入らない。自分の不甲斐なさが許せない。
その気持ちももみんな、一緒に生きているからこそのもの。
愚痴や不満も引き出して、ぶつける相手が僕ならば、
それを受け取る瞬間は、きっと人間らしくなっている。
一緒に何かをする限り、人と思えなくなったらお仕舞いだ。
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at 2015-01-28 18:47
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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by
hiro-ito55 at 2015-01-29 19:22
ぬか床さん、こんばんは(^o^)。
いつも共感して頂いて、ありがとうございます。
人間らしさって、人それぞれ。科学のように便利な法則なんてないのだから、それぞれが感じるように知る、その無私のような姿勢を大切にすればいいのだと思います。
僕の場合は作業療法士ですから、そこから自分にできることを見つけ、治療に繋げていく。
それが、接する僕個人の個性の発露で、そこに人間らしさがある。そんなふうに思います。
いつも共感して頂いて、ありがとうございます。
人間らしさって、人それぞれ。科学のように便利な法則なんてないのだから、それぞれが感じるように知る、その無私のような姿勢を大切にすればいいのだと思います。
僕の場合は作業療法士ですから、そこから自分にできることを見つけ、治療に繋げていく。
それが、接する僕個人の個性の発露で、そこに人間らしさがある。そんなふうに思います。
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by hiro-ito55
| 2015-01-26 17:59
| 医療・福祉・対人支援
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Comments(2)