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他に置き換えることができないもの


思いを胸に、懸命にリハビリに取り組む人がいる。

いつか書いたことがあるけれど、
それぞれの願いや、その願いに向かって取り組む直向きさは、
それらはどれも、他のものには置き換えることのできない、その人自身の姿になっている。

その一所懸命さを前にして、共に少しずつでも歩もうと思えたとき、
僕はふと、その姿はきっと詩に似ているんだということに気付く。


功しは多い。しかし、人間はこの地上に詩人として住んでいる。
             ― フリードリヒ・ヘルダーリン ―



その人にとっての問題、それを方法論や理屈からではなく、
切実に経験しているところから、一緒に考えていくと、

その在り様は、言葉では言い難い経験を、
誰もが、何とかそれぞれの形として表そうとしているのだ、
ということに気付くと思う。

ものの在り様に肉薄した詩は、他の言葉で置き換えることができない。
それと同じように、直向きに取り組む人の在り様もまた、
僕や、他の誰かに置き換えることができないものだと思う。

もし「○○はこうだ」という理が先にあって、それに合わせて各個があるとするならば、
それぞれの人生観もまた、観念的なものになっていくだろう。

けれど、人が人としてあるため、
自分自身の在り様を見つめる方向に、日々の経験を見直していくのなら、
その姿は、詩人としてあるように思う。

大事なのは、
ものや人の姿は、僕らの経験の中にこそ生きてあるということ。

だからもし、その経験を言葉に出来たとき、
その言葉は、けっしてその人の姿と切り離すことはできない。

そうして生まれた言葉は、
それが、他の言葉で置き換えることができないことを考えれば、
そんなとき、詩はもはや詩人の特権ではなくなっているのかもしれない。


今はまだ、
ひょっとしたらその姿は、言葉では言い難いものかもしれない。

けれど、それを何とか形にしていきたい、
そういう直向きな姿から、共に探していけるものがあるのなら、

たとえそれが、人の目に未熟な姿と映ろうとも、
僕はその在り様というものを、一緒に見定めていきたいと思う。


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Commented by ポコペン at 2014-07-18 18:43 x
いとちゅーさん、いつも見させて頂いてますよ~♪
その人がその人らしくあるためには、他の人と比べてもしょうがない。
価値や意味って、その人自身が決めていくこと、それが大切だってことが私にはよく伝わりました。
気付いてみれば当たり前のことなんだけど、患者様を前にした私たちが、自分たちの専門性を乗せる前に、常に振り返ってみる必要がある大事な大事な姿勢だと思います。

一人一人の姿って、そう、きっと詩のような掛けがえのないものに違いない、それを大事にしていきたいし、自分自身のできることをその姿勢を崩さないところから始めてみたいと、改めて思い直すことができました。
Commented by hiro-ito55 at 2014-07-19 19:13
ポコペンさん、こんばんは(^・^)。
そして、丁寧なコメントをありがとうございます。

今は人も物も、相対化されることで、その価値が最終的に決まると思い込んでいる人が、とても多いように思います。
しかし誰だって、自分流にしか語ることも経験することもできないという、当たり前のことを考えてみれば、自分が相手に対してどのように接していけばいいのか、そういう自分自身の経験の仕方に自ずと反省が向くように思います。
僕はこの仕事を通じて、そのことを学びました。

ポコペンさんは、確か病院か老健で働いていらっしゃるのでしたよね。その中で、ポコペンさんの感じることを形にしていこうとすれば、そこにはたいへんな困難があるかもしれませんが、お互い頑張っていきましょう。

またいつでもご意見お寄せください(^・^)。
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by hiro-ito55 | 2014-07-02 23:01 | 作業療法 | Comments(2)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


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