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スニーカーと外着と杖と散歩


「私、障害者だからね。ろくに外も出歩かれんのよ...。」
「こんなこと言うと、軽蔑されるから黙ってたけど、
 何よりも嫌なのは、そんなふうに卑屈になってしまう私自身のこと。」

だからその人は、自分を守るために孤独を選んだ。
誰にも語らず、誰にも頼らず、誰にも分からない場所でひっそりと。


「私は大丈夫。ちゃんとお留守番しているから、行ってらっしゃい。」
「来週、孫が来るの。久しぶりだから楽しみだわ。」

大切な家族に囲まれ、笑顔でニコニコと、
不満も漏らさずに、ただ満ち足りている毎日を送っているふりをしていた。


けれど自らの手で、どんなに堅牢に築き上げた孤独でさえ、
現に感じるその痛みが、それが確かに両刃の剣であることを教えてくれる。

その痛みはきっと、ツナガリを絶ってしまった痛み。
自分を守るはずであった孤独が、皮肉にもいつしか自分自身を傷つけていく。


だから僕は、一緒に散歩してみようと言った。

驚いたその人は、
それでも次に会うときには、スニーカーと外着を準備して、待ってくれていた。
もちろん、杖もしっかりと握りしめて。

最初は、家の前の公園まで。
そして徐々に距離を延ばして、町内の散策に出掛けていく。

近所の人に会う度に立ち止まり、楽しげに会話をするその人は、
聞けば20年振りの散歩だということに、今度は僕が驚いてしまう。

「今のあの人、見ない間に随分と老けたわよ。」
「ここの空き地ね、前は工場が建っていたのよ。」

そう笑いながら話してくれるその人は、
流れてしまった年月に、ほんのちょっぴり後悔しているように見えた。


その人の抱えてきた孤独は、いつだってその人のもの。
どう向き合うかは、その人しだいだと思う。

ただ、それを一緒に解いていこうと、同じ方向を向くことができるなら、
その孤独は、それに触れる人の孤独でもあるような気がする。

だからどんな些細なことでも、
それを我がもののように感じ、見定めようという素直な僕らの能力、
それを信じることで、その人の何かが変わるなら、
人同士交わる意味は、或いは、そんなところに在るのかもしれない。


次に会うときも、きっとその人は笑顔で待っている。
スニーカーと外着と杖を準備して。


スニーカーと外着と杖と散歩_b0197735_17282558.jpg



Commented by ポコペン at 2014-03-02 17:51 x
いとちゅーさんこんばんは。コメント失礼します。
一人ひとりの患者様にきめ細やかなリハビリをと、私もいつも心がけているつもりですが、もう一度それがきちんとできているのか、私自身を振り返るよい機会になりました。
同じOT同士で勉強会や検討会で切磋琢磨することも必要だけれど、いとちゅーさんのブログを拝見していると、やはり自分の感じることに一人じっくりと耳を傾ける、そういう時間って絶対必要なんだと痛感させられます。
だって、患者様は自分を診てほしいって思ってリハで頑張っているんだから、私たちも患者様と同じものを感じられることを基本にしなきゃいけないと思います。
そこから、私たちは専門家だから、専門性をうまくそこに乗せて、患者様と共に答えを探していけばいいんだと思います。
答えが見つからなくて、力になれなくて涙が出てしまうこともありますが、そういう真っ直ぐな気持ちは捨てちゃいけないなと思っています。
いい記事を書いて頂きありがとうございます。また明日から頑張っていける気がします!
Commented by hiro-ito55 at 2014-03-03 15:34
ポコペンさん、こんにちは(^_^)。
そうですね。ポコペンさんの仰るように、患者さんはセラピストと常に一対一で向き合っています。
だから僕らも、それに対してきちっと応えなければいけない。そういったときに、専門家としての自分と、一人の人間としての自分、この二つを分けて臨むことは、できないだろうと思います。
やっぱり人同士のことだから、専門性を磨くのと同じぐらい人間性も磨いていかなければ、相手に対して失礼だと思うのです。

コメントありがとうございます。ポコペンさんの真摯な姿、僕の力にもなりました(^o^)/。
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by hiro-ito55 | 2014-02-24 17:30 | 作業療法 | Comments(2)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー