その人の悲しみは、その人のもの


この仕事を通じ、人と接している中で、
どうしても割り切れないもの、そんなものに出会うことがある。

たとえば、
その人の悲しみは、その人のもの。
それを見つけたとき、どう処理してよいか戸惑うことがある。

理論的に、或いは分析的にと、経験から浮き上がった言葉にしてみれば、
それはすぐに、抽象的で空虚な絵空事と化してしまう。

およそ人間、
喜びや悲しみ、苦悩、そういった生きることに対する実感は、
全員が、同じように知らなければいけないというところにはないから。

その人の悲しみは、その人のもの。
誰のものでもない。

それを理解するのに、科学的な任意な考えが入り込む余地はない。
そういう反省のないところに、人への共感や共有などないだろう。
また、合理的な解釈から、僕らがそれらに出会うこともけっしてない。

その人の悲しみは、その人のものだけれど、
それに触れれば、それはいつでも割り切れないもの。

たぶんそれは、
容易に近づき共感することを拒む、そんな力を持った言葉のようなものかもしれない。

だからこれに出会い、向き合ったとき、
他人はそれぞれ、己自身に向かって己自身の言葉で語りかけることでしか、
これに上手く対することができないだろう。

人の一切のものを、正しく客観的に説明する必要はないけれど、
そうやってみんな、互いに生きていく上での実感を我がものにしようと、
その深さに触れるものなのかもしれない。


その人の悲しみは、その人のもの。
そこには同時に、戸惑う僕もいる...。



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by hiro-ito55 | 2014-01-21 00:01 | 哲学・考え方

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー
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