人は生かす存在でもあるということ


人は誰でも自分のフレーム(枠)というものを持っています。
この自分自身の枠というものは、非常にやっかいなもので、
それは、ときとして自分自身の成長を妨げる壁にだって成り得ますが、

反対に、
自分の枠を肯定的に自覚することで、そこから多くの気付きが得られることがある、
そういう事実に目を向けることも、
後々の自分自身の成長にとっては、大事なことであろうと思います。


自分自身のフレーム。
僕の場合で言えば、OTの目的はその人自身や誰かを生かすこと、
そのお手伝いをするということなのかもしれない、と考えるようになったことです。

何かを行うとき、それに相応しい身体技法を身に着けていくことや、
周囲の環境に働きかけていくことは、そのための手段になっていきます。

例えば万能カフ。
カフを使うことの意味には、それを使って食事や書字ができるようになることがあります。

或いは、リハビリで運動することの意味には、
筋力アップして座位になれること、または歩けるようになることetc...があります。

そして、
食事ができるようになったことで、その人にとって何が変わるのか、
歩けるようになったことで、周りとどのような関わりが出来ていくのか、
支える人にとっては何が変わっていくのか、

僕らは、できないことをできることにして終わりにするのではなく、
できるようになったことで広がっていく可能性の方に、目を向けていきます。

それはときとして、
リハビリというものが本人だけではなく、周りで支える人にとっても、
自分のできることの発見へと導いてくれるものだったりします。

その発見を、利用者とそれを支える家族と共に探していけるのは、
関わる者としての、大きな喜びでもあります。

そして、そんなとき僕は気付くのです。
一人で生きている人間など、誰もいないということに。


人はよく「生かされる存在だ」と言われますが、
僕は人は同時に「生かす存在」でもあると思っています。

患者であろうと健常者であろうと、
人である限り、やっぱりそれは変わらないだろうと思います。

誰しも互いに「生かして生きる」という、大きな連環の中に自分が在るということ。

そういう視点が欠落したまま、
自分が生かされていることだけを素直に受け入れて、それに心から感謝できる人、
みんながみんな、そんなに強い人間であるはずがありません。

常に誰かに頼らざるを得ない人にとって、
自分が生かされている存在であることを意識させられること、
ときとしてそれは、人としての尊厳を奪うことにだって成り得る
と思います。


たとえば終末期の患者さんや、難病を患った患者さん。
今もその人たちは、確かに大切な家族や誰かに支えられて生きています。

けれど、
車椅子に座って、一度でいいから家族と一緒に紅葉狩りに出掛けられるようになること。
自分と同じ境遇の人のために、あると便利だと気付いたものを作ってあげること。

そういった患者さんの姿は、大切な家族や誰かを支えることに繋がっていきます。

彼らを見ていると、
人としての自立心は、自分自身も誰かを生かす存在であるのだということ、
それに気付くことで、しっかりと培われていくものだというように思えてなりません。

だから、
どんなに人の手を借りなければ生きていけない人だって、きっと誰かを支えて生きている。
一人で生きている人間など、誰もいない。
その気付きを与えられて、人は自立した存在に戻っていけるのだと思います。

そしてそれを、患者さんと一緒に探していくことは、
誰かを生かすためのお手伝いをしている、ということになるのかもしれません。

その人自身や誰かを生かすためのお手伝いを。
今はそれが、僕にとって多くの気付きを齎してくれる自分自身の枠でもあるし、
きっとこれから、多くの人と関わっていく強い意味になるのだと思っています。

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by hiro-ito55 | 2013-10-22 00:01 | 作業療法

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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