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本当の言葉が見つかるまで...


僕が、このブログを通して知り合えた方の中に、
数か月前に大切な人の余命宣告を受け、今も苦しんでいる方がいます。

内容がプライベートなことなので、ここで詳細を書くことはできませんが、
今、相手にどのような言葉を掛けていいのか分からない時を過ごし、
その苦しみのせいで、その人と出会った意味さえも分からなくなっている...。

大切な人を前にして言葉を失ってしまうということが、
こんなにも耐え難く、辛いものであるのかという思いの中、
それでもどうすることもできない現実が、その人を苦しめています。


前回少し触れたように、大切な人と共に過ごせる時間に限りがあること、
それがはっきりと分かってしまったとき、
掛ける言葉の全てを失い、絶句するしかない現実に直面してしまう...、

確かにそれは、
誰にとってもとても耐え難く、辛いことであると思います。

でも僕は、言葉に絶することがあってもいいと思うのです。

そう言ってしまうと、
あまりにも無責任な言い方になってしまうのかもしれませんが、
大事な人の傍にいて、そこにあるあまりにも生々しい現実に感じる心が深いほど、
きっと人は、言葉に絶するものに違いないと思うのです。

そして何よりも、人に共感することや、何かを共有できるというのは、
言葉に絶することと同じだと思うのです。


人は、残念ながら、相手がどんなに大切な人であっても、
自分以外の人について、その全てを理解することはできません。

けれど、一緒に時を過ごし、共感しながら限りなく近づくことはできると思うのです。
そして、その距離を縮めていくのは、言葉を失う時間であると思います。

言葉というものは本来、
僕らの不安定な心を、しっかりと見定めるためにあるもの
です。

共感するものが、悲しみや苦しみである場合、
沈黙の中で、与えられたその現実に真正面から向き合っていくのは、
とても辛いことかもしれません。

けれど、
言葉を失えば失うほど、その絶句した経験に向き合う分だけ、
その後には、お互いを知るための本当の言葉を見つけることができると、
僕は信じています。

そして反対に、言葉が見つからないときに、その心に無理して言葉を探せば、
見定められる心まで無理をする、そういうものだと思います。


人生は、死も含めてその人の一生です。
死はその人にとって一回だけ訪れるもの。

そして、今この瞬間というのも、
誰にとっても、二度と繰り返すことのない一回切りのものだと思います。

だから、
たとえ言葉を失う時間であっても、それは大切な人と過ごせる一度きりの時間。

確かにどんな命にも限りがあり、
その終わりに向き合うのは苦しいことだけれど、

やがて本当の言葉が見つかるまで、
今はその一度きりの時間を、何よりも大事にしていってほしいと願っています。


本当の言葉が見つかるまで..._b0197735_18184662.jpg



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by hiro-ito55 | 2013-10-13 18:25 | 日常あれこれ | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


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