実用性と表現性 ~その人なりの動作や作業と詩の共通点~


こんなに背中が曲がっているのに、杖を着いて上手に歩いている人。

以前勤めていたデイサービスや老健など、
今までに、そんな高齢者の方に何人もお目に掛かりました。

彼らを見ていると、
言葉と同じで、人の動作にも実用性と表現性という二つの側面があるのではないか
そのように思ったことがあります。

日常的に当たり前に行っている動作は実用的なものだ、
と一応は言えるかもしれませんが、
その人なりのご飯の食べ方や歩き方というのは、
ただ実用的であるだけだとは言い切れないのではないか、と思うのです。

動物ではないのだから、
ただ効率的に歩いたり、食べたりして一日を送る、
僕らはそういう実用性だけで生活して、生きているわけではない。
色んな動作や行動の中に、『その人なりの△△』が必ずあります

結論から言えばリハビリは、
その人なりの動作を守っていけるようにお手伝いをするのであって、
それを実現するために、専門的な知識や技術が求められる、
そういう仕事ではないかと思うのです。

その人が納得しなければ、
いくら効率的で合理的な方法を提案しても、
現実的にはなかなかその人の動作にはなっていかないことを、
僕は今まで何度も経験しました。

だから僕らは、それがその人にとっての『もの』に定着するまで、
作業なり動作なりの実用性と、表現性の一致するところを見つけ出し、
それにアプローチしなければならない

そういう仕事をしているんだと、今は思っています。


実は、人の動作や作業を分析して、
それがどういう性質や関係性を持っているのかを知り、
その構造を理解するということは、その問題の半分を捉えているに過ぎず、

残りの半分は、
いかにして、『その人なりの△△』として生かしていくのか、
というところを考えていかなければなりません。

リハビリという仕事は、そういう僕らの挑戦の中にだけ生きているのであって、
専門的な知見や技術を利用者の前で披露する、
それだけでは、たぶん何も生かしていくことはできない。


確か、臨床に出て一年目のことだったと思うのですが、
病院で頸髄損傷の方を担当させて頂いたことがありました。

ベッド上でほぼ一日を過ごされているその方の希望は、
『せめて自分の手で食事ができること』
でした。

食事台の高さや形状、
箸への自助具の取り付けや手首への固定方法、食べるときの姿勢など、
僕なりの、その人が食事をする姿を頭で思い描きながら、
出来る限り実用的な方法を、繰り返し提案していきました。

その過程で思い知らされたことは、
ご本人が『こんなふうにして食事をしたいんじゃない』と感じてしまえば、
こちらがどんなに実用的な方法を提案しても、それを採用してくれない
ということ。

その人にとって『これが私の食事動作なんだ』と納得したものでなければ、
それは動作としての意味がない
ということ。

なぜ、食事動作を練習するのか、
なぜ、僕らはそのための環境を整えるのか、
その根本を考えてみると、
それは、本人が『自分で食べたいから』と願っているところにあるかと思います。

利用者は、
機能的、或いは能力的に問題がある、そのことだけから願うのではなく、
その人にとっての動作、その姿を獲得するために願うのです。

実用的な面で、どんなに優れた方法なり環境なりを提示できたとしても、
それだけでは、本人は自分の動作として受け容れてくれないというのは、
そういうことだということに、そのとき何となく気付きました。

そしてそういう捉え方は、
言葉の世界でいえば、詩と接することと似ているのかもしれません。

詩は、
他の言葉では置き換えることのできない、その言葉自身が持つ表現力と、
表現された言葉の意味が相手に伝わるという伝達機能、
その二つを兼ね備えています。

例えば、業務連絡をするときに使うような言葉は、
相手に意味が正確に伝わればいい言葉です。
正確に意味が伝わるのなら、他の言葉で置き換えてもいい、そういう言葉です。

そのような、伝達機能だけを備えた言葉のように、
他の言葉に置き換えることが出来る言葉というのは、詩には成りえません

詩は、
そこで使われるその言葉自身の持つ表現力と、
その言葉の意味が十分に僕らに伝わることで、感動や共感を与えてくれます


詩に感動したり共感したりするのは、
他の言葉では置き換えることができないという、
僕らの、言葉への信頼によって支えられています。

表現しただけで、意味が分からない詩、
或いは、意味は分かるが十分に表現しきれていない詩に、
僕らが感動したり共感したりすることは、まずあり得ない。

実用性と表現性の一致するところを見つけ出せない動作や作業に、
利用者が納得したり、受け入れたりしてくれることがないのは、
それとよく似ているのではないかと、僕は思っています。

そう考えれば、僕らの提案する方法はどうあるべきか、
その方向性は、自ずと明らかになってくるように思うのです。


僕らは、効率性や合理性だけで生きているわけではない。
反対に、意味の分からない矛盾や無駄の中だけに生きているわけでもない


だから、
リハビリにおいて、動作や作業を再構築する際には、
それらの実用性と表現性の、一致するところを見つけ出さなければならない、
というのは、僕には充分理に適った捉え方でもあるのです。

― 利用者が納得したり、受け入れたりできる動作や作業 ―。

それは、
詩が言葉への信頼によって支えられているのと同じように、
動作や作業への信頼によって支えられている
と、僕は思っています。

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by hiro-ito55 | 2013-06-10 21:18 | 作業療法

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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