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違いを認めること


としさんのブログで知ったのですが、
作家の乙武さんがイタリア料理店の入店を拒否されたことを、
自身のツイッターで呟いたことが、先週話題になっていました。

今回の彼自身の言動は、
健常者との違いを再認識させられたために出たものだと僕は思っていますし、

乙武さん自身は後で否定してはいますが、
お店の実名までツイッターで公表したところをみると、
介助してもらって当然』とする考えが、彼自身の中にあったのかもしれません。

もし、
『してもらって当然』という考え方が彼自身にあったとすれば、
それは、実は乙武さん自身が自分は障害者であり、
その立場から主張しているからこそ、取ることが可能な態度であったはずです。

しかしそれは、
彼自身が常に主張しているような、健常者も障害者も同じだという考え方と、
矛盾するように思うのです。

だから僕は、
彼の言動に、少なからずの違和感を覚えてしまいました。


どのような場面においても、
差別する、されるということは勿論いけないことですが、
健常者と障害者は、やはり同じではないのです。

もし、
健常者と障害者の間に壁が存在するならば、
この問題は、両者の違いを受け取り、それをどう扱うか、
終始一貫して、そこに注意が注がれなければならない筈
です。

問題を受け取ったときに、
両者が同じでなければならない、というところから捉え始めるのと、
両者の違いを認めるところから捉え始めるのとでは、

健常者が障害者に、
或いは、障害者が健常者に接したときの態度も、大きく違ってきます。

結果として同じなのではなく、
方法や手段として違いを同じにしていくことが、生きやすい社会であるのか、

或いは、違いを当たり前のこととして受け取れることを目指していく、
それが生きやすい社会であるのか、
ということは、根本的な問いの投げかけ方であろうと思います。

それを考えたとき、
僕自身は、健常者と障害者が違っていること、
それを認めるというのは、何も特別なことではなく、

それは例えば、
僕と僕のブログを読んで下さっているあなたが違う、
ということと、同じではなかろうか
と思うのです。

もし、
人としての僕とあなたは違うし、
同じに扱われないのは当たり前のことというのは認めるけれど、
健常者と障害者は同じに扱われるべきで、その違いは認められない、と考えるならば、

それは、人と人との間で、健常者と障害者の違いだけを
解消されるべき、且つ存在してはならない特別な違いとして、見ていることになります。

もし、健常者も障害者も同じであると本気で考えているならば、
そもそも片方の立場からの主張を、一切してはいけないことになるはずですが、

そのように考える人たちは、バリアが存在する場面に出くわすと、
片方の立場を強調して、それはおかしいと主張し、
違いを解消するように求めてきたりします。

しかし、
健常者と障害者が同じであると主張するために、
逆に自分の置かれた一方の立場を強調して、その考えを主張するというのは、
随分とご都合主義的な態度のように思えるし、
論理的に考えれば、矛盾する主張なのではないでしょうか。

僕の感じる違和感は、実はそれなのです。


繰り返しますが、差別はあってはならないことです。

しかし、
その差別をなくすために、みんな同じにするのが良い社会であるとは思いません。

大切なのは、自分の理想を押し付けるのではなく、
そういう違いがあることを認め、その違いが不快なものとならないように、
感謝や親しみ、信頼で繋いでいく努力


つまり、『してもらって当然だ』と考えるのではなく、
少しでもその違いをお互いに認められるようにしていく、
多様性を許容していくような努力
だと思います。

そうだとすれば、ハード面もソフト面も含めて、
バリアフリー化という課題もそういった側面で捉え直し、
そこからのアプローチが求められる問題でもありそうな気がします。

僕が思うのは、
殊更、自分の立場を強調すること、
或いは、『みんな同じ』であるのが生きやすい社会なのではなく、
『みんな違っていること、それを認める』のが、
きっと生きやすい社会なのではないか
、ということです。

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Commented by とし at 2013-05-27 20:07 x
難しいですね~
みんな立場が違うから、考え方だってそれぞれ。
認め合って、共生していくことって大事だけれど、とてつもなく難しいコトなような気がします。

乙武さんは、「手伝ってもらって当然」ではなくて、「手伝ってもらえるに違いない」という確信を持っていたのだと思います。
いままで断られたことがないのであれば、そう思って然るべきでしょう。
彼の周りの環境が、彼にとってとても居心地がいいものであったことがわかります。
でも、世の中の障害者はそうではない…

乙武さんは、やっぱりいろんな意味で特別な障害者なのだと思った出来事でした。

ところで、いとちゅーさん…

ここでアップを使うとはっ!!!
おかげで私のパソコンの背景がスゴイことになってしまいました…
今週末をお楽しみに~♪
Commented by hiro-ito55 at 2013-05-27 22:53
としさん、コメントありごとう!(^_^)。
重要な気付きを頂きました。

そう、とてつもなく難しいことだと思うから、それを表現しようとすると、
僕もなかなか上手い言葉がみつかりません(^_^;)。

でも、難しいからこそ、
人によって、環境によって、或いは時代によって捉え方が違うからこそ、考えなくてはいけないことだし、
僕はそれを言葉によって表現したいと思うのです。

そして今回の場合は、としさんの言うように、
「手伝ってもらって当然」ではなくて、「手伝ってもらえるに違いない」という確信を持っていた、
と考えた方が、仰る通りきっと彼の心情に近いですね。
ご指摘、ありがとう(^_^)。
そして、クマ吉アップ画像をありがとう(^o^)丿。

P.S.:先週は、声量(呼気量)が少なくて心配しました。
    今週もスパルタリハビリでおじゃましますが、くれぐれも体には気をつけてね(^_-)。
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by hiro-ito55 | 2013-05-27 18:12 | 社会 | Comments(2)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー