プロとは、自分自身と向き合う姿勢そのもの


自分が作業療法士となって、約十年
その間、病院老健訪問デイサービス
と、色々な職場で仕事をしてきました。

どの職場も、求められる技術や才能に違いがあったし、
今、振り返ってみると、
その時々で、それに自分が正しく応えられてきたかというと、
甚だ疑問だと、感じています。

この仕事を始めてから、
これが自分の天職であると思ったことは一度もないし、
自分はOTには向いていないんじゃないかと憤ることも、
しばしばありました

OTに限った話ではないですが、
これを学んでおけば絶対に大丈夫、安心
というものは、どの世界にも存在しないし、
寧ろ、日常的に『これで大丈夫だろうか』という不安の方が多いものです。

その不安が自信のなさに繋がるという悪循環から、
技術者としての、或いは人間そのものの成長や発展を奪い去っていく

恐らく、世間ではその期間をスランプと言うのでしょう。

僕もこのスランプを、何度も何度も経験したから言えるのですが、
それは、時にとても耐え難いと感じられるような、孤独な時間です。

そして、そこから逃げ出すために、
周りの人や環境、人との相性のせいにしたりしがちなのもよく分かります。

しかし、
こことは相性が合わない』『あいつの下では自分の力を発揮できない
というのは、単なる逃げ口上であることも事実で、

のこの十年の収穫といえば、
そのことにやっと気付いたということでしょうか。

そもそも、人との相性や、人や環境への安心感というものは、
自分の家族や友人と過ごすような、
プライベートな世界において求めるもの
で、

そういう軸を職場に持ち込んでしまうと、
自分自身を冷静に見る目が曇ってしまう

冷静にというのは、
自分が今しなければいけないこと第一に考え、それに取り組めているか。
正しいか、正しくないかではなく、
自分がそれに最善と思えるような技術を身に着け、臨もうとしているか

ということで、

もし、それが出来ていなければ、どんなに尤もらしく取り繕っても、
全ては、結果から逆算した言い訳にしか過ぎない


求められるものは、プロフェッショナルとしての自分
実にシンプルで、ただそれだけのものなのです。

人というものは、
どうしても結果から逆算して、物事の良し悪しを判断しがちですが、

それを判断する前に、自分がどういう立ち位置で物事に臨んでいるか、
その姿こそを、自分自身がまずは問うべき
で、

そうすれば、
自分に足りないものやできることが、ひとつひとつ解ってくる


それを問う前物事の正否を判断することが、
自分自身を見る冷静な評価の目を曇らせ、成長そのものを妨げてしまう

世の中どこを見渡しても、
例えその分野のプロフェッショナルと呼ばれる人でも、
全てにおいて不安などなく、完璧な自信を持っている人間など、
恐らくいない
でしょう。

不安だからこそ、
自分を磨いて、自分に確実にできることを身に着けていく


きっと、不安なく完璧に熟す人をプロと呼ぶのではなく、
そういうひとつひとつのプロセスの果てに、
本当のプロフェッショナルというものはある筈
で、

極言すればプロとは、
自分自身と向き合う姿勢そのものではないか
と思います。

そう考えれば、その時々で
目の前の要望に、自分が正しく応えられてきたかどうかではなく、
確実にプロへと向かっていくように歴史を作ってきたのか、
ということを、自分自身に問わなければならない


そうしてこの十年間を振り返ってみると、
取り組む姿勢も技術も、まだまだプロの姿からは遥かに遠い自分がいます

だから、
少なくともこれからの十年は、自分にプロの姿堂々と問い続けていける
そんな十年にしていこうと思っています。

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by hiro-ito55 | 2013-02-21 20:46 | 哲学・考え方

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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