対幻想について


前回の記事、『本当の自由』の最後に、

人との繋がりを、対幻想と言い切ってしまう人にとっては、
 人参一本で足りるという事実は、更に永遠に絵空事なのかもしれない
。』

と書きましたが、
対幻想』についてよく分からないという方がいらっしゃいましたので、
少しだけ補足しておきます。


人との繋がり幻想と捉えてしまう思考的傾向は、
脱構築主義(ポストモダニズム)と呼ばれる思想と、
深く関わっています

脱構築主義とは、大雑把に言ってしまえば、
文化伝統人との繋がり、そういったあらゆるものは、
他と対比し相対化することで、その価値が現れるという思想です


つまり、
そのもの自体が持つ価値というものが、初めからあるのではなく、
ものの価値というものは全て、相対化して対比されることで、
人為的に初めて生まれる
とします。

この考え方の延長上に、
グローバリズムというものも生まれました


そしてこのような、
あらゆるものの価値が、相対化を絶対化することで、
人為的に作り上げられるものだ
という考えは、

ひとつには、ソシュールの言語学文化人類学に対する、
彼らなりの解釈によっても支えられています

ポストモダニストソシュール言語学の解釈に依れば、
人間は言語を持つことによって、
自然から切り離された存在規定することができます


そしてそこから、
人間を人間足らしめている理由は、
人間が作り出した言語というものを使って、
自分たちを恣意的自然から切り分けたからであり


そうであるならば、
言語に依存した人間の世界認識そのもの
恣意的に作り上げられたものだという、

言語人の世界認識
人が勝手に作り出した幻想であるという結論に達します

確かに、文化というものは言語に基づいてはいますが、
彼らによれば、言語自体が人間の恣意的な作り物で、
それによって作られた世界というものも、恣意的なものなのだから、

例えば『日本的文化日本人的ということに対しても
それらは人が作り出した共同幻想とも呼ぶべきものであり
それ自体にそもそも実体はないのだという考えに結びついていきます

この、社会人が共同的に作り上げた幻想と捉える考え方は、
例えば、自分自身に対しては『自己幻想』、
他人に対しては『対幻想』、
という文脈で語られ、

これらは纏めて、共同幻想論という名の下に、
現代の知識人を中心に、世の中に浸透していきました

PT、OT、介護職など、僕らコメディカルの中には、
地域共同体コミュニティーの在り方を、
この共同幻想論に基づいて考える人たちがいて、

それが、
ひとつの流れになっていること
は、僕も知っています

しかし、残念ながら
僕自身はこのような考え方には、全く与しません

文化伝統まで含めた、人との繋がりは、
共同幻想と呼べるような、僕らの観念上の出来事ではないでしょう

人との繋がり恣意的な幻想と捉える考え方は、
例えば僕らの仕事でいえば、日々利用者と共有する時間
或いは同職種、他職種、ボランティア等との繋がりまでも、
自分たちが作り上げた観念上の出来事として語るということです

それによって、
自分自身の知的好奇心は満たされ、これに酔うことはできたとしても


そのもの自体が持つ価値というものに正面から向き合い考えながら
これをそれぞれに支え活かしていく


そういう、僕らに与えられた当たり前の道を、
己自身社会の一員として現実に処しながら
それぞれに切り開いていくことは、恐らくできない


人との繋がりを、
恣意的な幻想という、観念上の出来事に逃がしてしまった時点で、
現実と向き合う効力は失うであろうし

そして何よりも
そこに僕は知識人たちの斜に構えたNihilismNarcissism
というものを、見ずにはいられない



前回の記事の中で僕が述べた
同じ腹痛なら、初めから人参一本で足りる
ということの意味は、専門性を放棄しろということではなく
現実を活かすために、専門性を用いよということで、

自分たちの専門性を活かすために、
例えば現実を、幻想相対的価値といった、
自分たちの知的好奇心の都合のよいように解釈し、
これを捻じ曲げて利用してはならないということ
です。

こういった話が、非常に解りにくいこと事実であろうし、
また、知識人になればなるほど
現実観念的に捉える傾向は、確かにあるのかもしれません

ですので、これは、
僕自身の自戒も込めての話、ということになります

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by hiro-ito55 | 2013-01-03 19:36 | 哲学・考え方

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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