スクリーンの奥の尾崎豊


この週末、『復活、尾崎豊』を観てきました。
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以前、
尾崎豊について~僕の中のリアリスト~』の記事の中でも書きましたが、
僕にとっては、青春時代の何年間を、
彼の歌圧倒されて過ごした記憶があります。

今回、講演された映像は、
最後のツアーとなった1991年Birth Tour初日の映像

僕は、大人になってからの尾崎のライヴは、
実は一度もまともに見たことがなかった

十代の頃
からへ、からへ、
振り子のように揺さぶられる心を持て余しながら、

それでも、そこからその都度立ち上がれてこれたのは、
それだけのエネルギー自分自身に備わっていた証拠であり、
そこに尾崎の歌や生き方を重ね合わせもした

けれど、
友を知り自分を知り社会との繋がりを知るうちに

やがて、自分の内腑を聴衆に曝け出すような彼の歌と、
真正面から向き合うことに、耐え切れなくなっていった

知ることが、人の成長の、深化の代名詞であるならば、
ちょうどそれと反比例するように、
僕は、尾崎から意図的に目を逸らしていったように思う

知るとは、
自分の姿にはっきりとした輪郭を与えることであり、

知ることによって、
人は誰かからの借り物の言葉ではない
自分の言葉によって、世界を言い表すことができる

それは、弱さではなく、
距離感を学ぶことと同義だと思いたい



かつて、尾崎と対談した作家の村上龍は、
彼の目を見て、『獰猛なる異物表現した。

その目まともに見られる人は、
けして多くはないだろう
、と。


彼の歌貪るように聴いていた僕は、
或いは、この獰猛なる異物が放つ光魅せられていたのかもしれない

そして、
彼が闘ったのは、
イデオロギーでも、群衆でも、大人社会でもない
獰猛なる異物を抱え込んだ自分自身なんだと、
今更ながらに思う

そして、大人になった尾崎は、
スクリーンの奥笑顔を絶やさない

路上に掲げた旗を見よ』と、
強烈なパフォーマンス圧倒しながら、
様々な挫折苦悩から復活した、尾崎豊の姿そこにある


アンコール後の挨拶
You cannot miss it , みんな、頑張ろうね。
笑顔聴衆語りかけスクリーンの奥に消えていった彼が、
とても印象的だった。

彼も、調和という名の距離感を探していたのだろうか...。
僕にはそう思えてならない

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by hiro-ito55 | 2012-12-09 17:20 | 音楽 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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