自分の言葉で語るということ


人はいつから大人になるのか

やや哲学的な問いですが、
自分の経験を、自分の世界を、
自分の言葉で語れるようになったとき


人は大人になれる

少し前に、そんなふうに書いた覚えがあります。


自分の言葉で語れるとは、
社会的常識を身に着けていくこととは、少し違います

どんなに有名で、人前では常識的な振る舞いをしていても、
情緒が、とても未熟なままの人は、世の中にいくらでもいます


例えば、1+1はいつでも2です。

年齢性別社会的地位に関係なく、
これは常識です。

常識だけれど、
このような、正しいこといくら知っていたとしても

自分の世界を、
自分の言葉で表現することにはならない


社会的通念常識、つまり、
みんなが正しいとする意見をいくら言えたとしても
自分自身や他人のことについては、何も語れぬままです。

自分の言葉で、
自分の世界を語っていくためには、

やはり、自分の経験と直接に向き合い
そこから語れる言葉を、大事にしなければいけない


自分が直接経験しないことを、
を以ってあれこれ言うのが学者です。

医療介護の世界に、を利用するのはよいのですが、
初めに理ありきの如く、全てを語ろうとするのは、
人の経験を、というもので縛ってしまうということです。

『事』は『言』だ、とよく言われますが、
纏まりのない言葉でも、事に触れて言葉を発するのが人間であり、
経験言葉によって、僕らの意識の上に捉えられるのです。

しかし、
纏まった言葉を捉えないと、
事は僕らの意識に、漠然としたまま残っているだけです。

だから、
その経験しっかりと我が物にするために
人は自分なりの言葉を必要とするのです。

そう考えれば、
本来、一般化とは何の関係もないところに、
普通の意味で、言葉を使用する僕らの日常生活があり
それを見定める絶え間ない言語生活の中に、僕らは生きています

言い換えれば、
事(人の経験)は、言葉によって読み取られるのを待っているのであり、
というものが、に先行して在るのではない
ということ。

そこに気付くことができれば、
作業療法士としても、一人の人間としても、
汲み取れる経験言語の幅は、広がると思うし、

僕の経験から言えば、
利用者は、そういう人と出会えるのを待っています

僕らが、
自分の言葉で語り出すためその手掛かりは、
以前の記事で書いたような、個別性共有や、共感の中にありそうです。
 ↓↓
個別性への共鳴と、普遍的であるということ
物は見ない、物の名を呼ぶ


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by hiro-ito55 | 2012-11-18 16:26 | 哲学・考え方

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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