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今を懸命に処すること


以前の記事の中で、
以下のようなことを書いたことがあります。


過去の経験を深化し、拡大し、具体的なものにしていくために、
人の経験があるのだと考えてみる。

人生経験が豊かになるほど、
過去の確信は、より具体的になってくると考えてみる。

確信は、理想の卵だけれど、
一般的に言われる理想は、みんな未来に置いてしまう。

理想を未来に置くから、
人は過去の経験を、未熟なものだったと考えてしまいがちで、
過去の確信を、いかに深化させていこうかと、
そういう努力の下に自分の経験を捉えてみる
ということには、なかなか思い至らない。

言語化できなかった、或いは具体性を持たなかっただけで、
自分の過去の確信を、自分の経験によって深めていくのだと考えれば、

人は自分のひとつひとつの経験に、
もっと謙虚になることができるのではないかと思うのです。



若い頃を中心に、人は
あの時、ああすればよかった、こうすればもっと違っていた
などと考えがちですが、

自分の人生について振り返って、無闇やたらに反省することは、
あまり意味のないことで、

そんな反省をしているがあったら、
今を懸命に処していくことに、
もっと真剣であるべきだと思います。

例えそれが完璧でなくても、
今を処すことのひとつひとつの積み重ねでしか、
僕らは自分の歴史というものを
未来に繋げていくことは出来ない

今を懸命に処して生きる人は、
それが、自分を肯定するという、
健全な精神の働きなしでは成し得ないことを、知っている。

無闇やたらな反省は、結局、
自分自身の経験を、
現在の自分という、歴史的審判者の視点でもって、
過去を見下すようなもの

そんな、自分は常に進歩し続けているという病的な盲信
僕は信じない

現実に処することに手いっぱいな人に、
そんな盲信はほとんど意味をなさないし、
無縁なものでもあると思う。


そんなふうに考えるのも、
過去に小林秀雄以下の文章に触れて、
それを思い出したからかもしれません。


*注):文中の『歴史』を『人生』に置き換えると、
    分かり易いかもしれません。


歴史から、将来に腰を据えて逆に現在を見下す様な態度を学ぶものは、
歴史の最大の教訓を知らぬ者だ。

歴史の最大の教訓は、将来に関する予見を盲信せず、
現在だけに精力的な愛着を持った人だけが
まさしく歴史を創って来たという事を学ぶ処にあるのだ。

過去の時代の歴史的限界性というものを認めるのはよい。
併しその歴史的限界性にも拘らず、
その時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたかに対する
尊敬の念を忘れては駄目である。

この尊敬の念のない処には歴史の形骸があるばかりだ。
現在は将来の予見の為に犠牲に出来る様なものではない。

予見とは実際には寧ろ
遅疑なく現在に処そうと覚悟した人々だけに訪れる
光の如きものである。

歴史は断じて二度繰返されるものではない。


今を懸命に処すること_b0197735_171399.jpg

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by hiro-ito55 | 2012-06-17 17:19 | 哲学・考え方 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー