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作業療法を世間に広げる?


先日のあるちょっとした会合で、
もっと作業療法の素晴らしさを、世間一般に広げなければいけない』 
力説する臨床数年目のOTさんに出会いました。

こういうのは、案外とよく聞くセリフです。
そして、こういうことを語る人にお会いすると、
自分の経験から本当にそう感じているのかどうかを、
確認したくなります。



1.それ相応の価値を求める

もし、その考えが自分の経験に基づく実感
というものから来ていないのなら、
同じ 『作業療法の素晴らしさを』 という考えでも、
僕はまた、ずいぶん違うように受け取ってしまう。

実際に話をすれば分かることですが、
自分自身の実感から語る人の場合、
作業療法に本当に興味があり、
真摯に向き合う謙虚な姿勢というものが、感じられます。

けれど、
その部分が希薄なまま、
いきなり全体のシステム如何だとか、作業療法の地位だとか、
世間一般の認知度だとかに関心が向く人からは、
その姿勢がほとんど感じられません

人というものは、興味や関心が、自分が直に向き合っているもの、
そういった自分の身の丈に合った部分に対して向けられ、
それに対する創意工夫や努力が最大であるうちはいいが、

自分が関ることは、全体としてこうあらなければならない』 
という 『それ相応の価値』 を外に求めてしまうと、
謙虚さが失われるのではないかと思う。

そして、『それ相応のもの』 とは、
地位見返りや、外部からの評価であったりする。

そういった、
相対的な視点からでしか自分の仕事に価値を見出せない人から、
作業療法を世間に広げることが、
さぞこれからの我々に課せられた使命であるかのように言われても、
同じOTでなくても、
そんなことは大きなお世話だと、ついつい言いたくなってしまう。

謙虚さを失ってしまうのは、
そのままの自分の仕事に誇りが持てなくなってきているのか、
或いは、本当の意味で作業療法に関心がないのか、
そのどちらかにあり、

そういう人ほど、こうあるべきだというイデオロギーや、
相対的な価値観に頼りたくなるものです。



2.誇りや関心を持てている人と、一様な意見しか言えない人

分かり易いように、簡単な例二つ挙げてみます。
二つとも、ニュースで見たものですが、
ひとつめは、
先日、NHKが東北三陸鉄道の取材をした時のものです。

短いニュースでしたが、高校を卒業して、
地元の三陸鉄道に就職した、ある一人の青年を映し出していました。

青年は、
線路のポイントをいつでも間違いなく切り替えられるように
ハンドルに油を差しながら何度も点検したり、
信号機の汚れを取るために雑巾で一所懸命に磨いたりしていました。

そして、マイクを向けられると、
少しでも早く一人前になるために頑張っていきます。』 
コメントしていました。

その姿を見て、立派だなと感心したのです。

こういう人は、自分の仕事に誇りを持っている
今回は、たまたま取材を受ける機会があって、
テレビを通して自分の仕事が全国に流れたが、

テレビカメラのないところでも
たとえ周りからつまらない仕事だと思われていても
恐らく彼は、同じように一所懸命に信号機を磨いていると思う。

そういうことは、
自分の仕事関心を持って臨み、
そのことに誇りを持っているからできることであって、
こういう人は立派だと思う。


一方で、今年の3月だったか、
これもテレビでやっていたことですが、
ニュースで東大の合格発表の現場を取材したものがありました。

インタビュアーは、合格者一人一人にマイクを向け、
4~5人の合格者のコメントが流されていました。

びっくりしたのは、みんな一様に 
世界で活躍できる人間になりたい』 『グローバルな仕事をしたい』 
と、口を揃えて言っていたことです。

判を押したように、みんな同じ答だったことにびっくりしました。

故郷に帰って親父の仕事を継ぐために東大で勉強します』 と、
一人ぐらいそういうことを言える人がいても面白いと思うのですが、

冗談でも何でもなく、
みんな一様に 『グローバルに活躍したい』 と、
そう答えていました。

編集というバイアスも当然掛かっているとはいえ、
こういう一様な意見というものには、
背後に決まって相対的価値観イデオロギー隠れています。  

今の例でいえば、『グローバル基準』です。

グローバルであれば素晴らしいというのは今の時代のイデオロギーで、
イデオロギーでものを喋ると、
立派な考えや志を持っている勘違いしてしまう。

グローバルとまではいかなくても、
現代の僕らも、
相対的に評価されて価値のあるものこそ、
本当に価値のあるものだと考えてしまう

相対的でないものは、それは主観的だついつい考えてしまう

しかし、そう考えてしまうことが、
最早、相対主義のループの中に閉じ込められてしまっているのだ
ということが、最近ではよく分からなくなってきています。



3.自分の仕事に謙虚であるという姿勢からしか、良さは伝わらない

それ相応の価値を認められたものは、
確かに相応に価値のあるものかもしれないが、
最後にものの価値見極められるのは自分自身なのであって、
他人ではない

ならば、その自分の眼力を磨いていくことに、
まず一所懸命になればよいのであって、

そこに、
主観的だとか客観的だとか相対的だとかは、関係のないことなのですが、
その部分が、どうも分かりにくくなってきています


先の三陸鉄道の青年の話でいえば、
彼の仕事が、もし彼の主観的な価値に基づくものであれば、
それを見た他人からの共感や、共鳴、感動などは得られないはずです。
彼のやっていることは彼の主観なのですから。

けれど、彼の仕事への姿勢というのは、
主観的でも客観的でもないし、 
他社の鉄道社員の仕事っぷりと自分の仕事っぷりを比較するという
相対的なものでもない。

そこにあるのは、
自分の仕事に真摯に向き合う姿勢と、謙虚さだけですが、
そうだからといって、
彼の仕事に価値がないわけではない

ないどころか、
それが、他人からの共感や共鳴を得るのです。

そういったことは、
作業療法でも同じことだと思います。

共感共鳴してくれるのは、
利用者であっても一般人であっても構わないのですが、
仕事に真摯に向き合う姿勢と、謙虚さが伝われば、
いくらでも他人から共感や共鳴は得られるものです。

そうすることで、
身の丈に合った作業療法の素晴らしさが伝わっていくのです。

しかし、
経験を積んでいくほど、
そういう大事な基本姿勢忘れがちになっていくことに、
僕らは、本当に注意深くあらねばならないと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-05-09 22:01 | 作業療法 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー