人気ブログランキング | 話題のタグを見る

時間の価値と作業療法④

今回は、二つ目の
時間は、過去、現在、未来という直線的な表現が可能である 
という点について。


もし、僕らの経験する時間が、
過去、現在、未来と 直線的に繋がる のであれば、
例えば昔のこと思い出すためには、
常に時系列で一歩一歩遡っていかなければなりません。

50年前のことを思い出すには、1年前のことをまず思い出し、
次に2年前のことを...。
といったように。

もしそうであるならば、
作業療法で 回想法 を用いるためには、
とてつもない時間がかかる筈で、

現実的にこれを治療に用いることは、ほぼ不可能になります。

しかし、昔のある場面を、
その人の心に一気に現在まで甦らせることだって、
実際には可能なことであるし、

そのために回想法は、
今日では有効なツールとして用いることが可能なのです。


このように、僕らの経験する時間は、
記憶と密接に関係しているのですが、

計量的な1分は誰にとっても1分です。

でも、それが本当に万人に均等に流れる時間であるかどうかは、
実は誰にも確かめようがないのです。

なぜなら、均等な1分を計量するには、
計量する 完全なる客観性を持つもの を通さなくては、
確かめようがないからです。

当然、人間は完全なる客観性を持つことはできません。

だから、
それを光の移動距離に託したのです。

光の移動距離という、僕らの経験から切り離した場所に託した以上、
これは一種の 観念 と言うことができます。

誰も光の移動速度に追いついた人はいませんから、
これは経験的実証に基づくというよりも、

そうであろうと仮定した場合に、
物的計算上都合がよいという、

そういう観念です。


僕らが感じる時間は、いつでも経験的です。
光の移動距離 や 直線的繋がり のように、
仮定の下に成り立つ観念ではありません。

そうならば、物的に表現できる時間と、僕らが感じる生きた経験的時間は、
質的に異なるもの であると、
分けて考えるべきなのです。

前者は科学的時間後者は哲学的時間
と一応分けて考えることはできますが、
これは恐らく 人為的な区分 でしょう。

科学的条件、つまり反証が可能な条件というのは、
究極的には真空状態のことです。

真空状態というのは、人為的に作り出した条件です。

時間というものを、その人為的条件に導き出すことは、
僕らの経験的時間から引き離してしまうということです。

その上で、科学的方法でもって測定するのですが、
測定するために引き離したのは、
間違いなく人間の意図によるものです。

だから、科学的時間と哲学的時間とを、
質的に分けて考えることができますが、

それは、人為的区分なのです。


そうれであれば、
時間というものを 『正確に知覚』 するためには、
哲学的、科学的と分けて考えるのではなく、
それらを統合した方法で以って、
対していくしかないのかもしれません。

これは、恐らくまだ誰も成し得ない、非常に難しい問題です。


ただ、今の僕らは、
時間は 流れていくものだということは分かります。

しかし、過ぎ去った過去は、
どこに流れていくかは分からない

分からないが、過去を記憶として留めておくことは可能で、
回想は、この記憶として留められた時間を、
再び繋ぎ合わせて、現在に甦らせることです。

けして、始めから直線的に繋がっていたわけではないのです。

僕らの経験する時間は、直線的ではなく、
ある瞬間に一気に甦るような、記憶と密接に関係しています。
時間の価値と作業療法④_b0197735_2523535.jpg


名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by hiro-ito55 | 2011-07-04 02:53 | 作業療法 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー