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利用者さんから学ぶ思考 ~その2~

Fさんの前回の台詞、 
歳をとってみないと分からない』 
とは、彼の実情に基づいた思いの吐露である筈で、
彼は本当にそう感じているのでしょう。

そうであるならば、Fさんは 
年齢と思考の間には相関関係がある』 と考えていることになります。


さて、Fさんとの会話の中で出てきた 
六十にして耳順がう』 或いは 『三十にして立つ』 
といった言葉は、孔子の 『論語』 の中に出てくる言葉です。

利用者さんから学ぶ思考 ~その2~_b0197735_20523953.jpg


 正確には、

 子曰く、吾れ
  十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳順がう。
  七十にして心の欲する所に従って、 矩を踰えず
。』
 
 
 となります。

 ついでにこれを訳すと、大体次のようになると思います。

 師が仰るには、
  私は十五歳で学問を志し、
  三十歳で独立した立場を得て、
  四十歳で人生についてあれこれと迷わなくなり、
  五十歳で与えられた天からの命が何であるかを弁え、
  六十歳で人の忠告が素直に聞けるようになり、
  七十歳で自分の思うままに振る舞い、
  そうして道を外れるようなことは遂になかった
。』



孔子は、このような年齢に達したら、 『このようにあれ』 と、
教訓のように言っているわけではないのでしょう。

そうではなく、
り返ってみれば、年齢と共に自然とそのような思考が身に付いていった
という彼の 『経験』 を語っているのではないでしょうか。


つまり、人生における様々な経験を積み重ねるにつれて、
思考も段々と変化し、
例えば三十歳では分からなかった 『天命』 というものが、
五十歳では見えてくるようになった、

これは自然の成り行きであるとしか考えられず、
加齢と共に思考もそのように変化する
ということが言いたいのであり、

であるならばこれは、
加齢と思考の両者の間にある相関関係に気付いた、
孔子の人生観と呼べるもの
 
なのではないでしょうか。



僕ら現代人の思考というものは、
年齢とともに変わる思考の姿というものを、
恐らくあまり好まない傾向にあるのでしょう。

実際に、孔子の話などを持ち出すと、 
何を古臭いことを』 と感じる方は多いと思います。

つまり、素直に耳を傾けられないのです。 

現代人の思考を支配しているのは、 
正しい』 と思うものは、
幼児だろうが、青年だろうが、老人だろうが関係なく 『正しいのだ』 という、
そのような 極めて合理的な思考 の方ではないでしょうか。

このような思考に寄り掛かっている以上、
僕らの仕事で言えば、利用者の気持ちや生活は見えてはこない。



『実際に歳を取ってみないことには、けして分からないこともある。』
それは何も不思議なことでも何でもなく、自然なことなのです。

年齢とともに、経験の厚みとともに 
『思考』 も 『生活』 も 『人生観』 も変わるのですが、
そういう、人間の当たり前な変化に、
この変化を許さない、時間軸を無視した合理的な解釈を布こうとすれば、
相手はこれを受け入れるでしょうか。


前回の最後に、僕が 
『Fさんの言葉は、きっと額面通りに、そのままの形で解釈すればよい。』 
と申し上げたのは、そういった意味からなのです。





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by hiro-ito55 | 2011-05-25 21:24 | 作業療法 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー