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「科学的根拠」と「ある母集団の中での傾向とその分析」 ~医療人の節度~


科学的な根拠というのは、
「同じ条件下或いは、同じ状況下の下では必ず同じ答えが繰り返し導き出せる」
ということです。

つまり、反証が可能ということです。

反証が可能ということは必ず計量化できるということであり、
科学では、計量化できるものだけが扱えることを意味します。

それが科学の守備範囲なのです。

更に付け加えれば、
計量化できるということは、
同じ条件(状況)がいつでも再現可能であるということですので、

それができないものは全て、
真に科学的であるとは言えないことになります。


例えば、
脳血管障害を持つ70歳以上の男性100人を対象に、HDS-Rを実施したとします。

その対象者の中から、同じ15点の人たちをサムプルとして抽出し、
更にその中から記銘力に減点がある人の統計を取り、
そこから更に条件を絞り込んでいって、
共通点やその傾向を分析したとします。

ここから取り出されたデータは、
どんなに条件を細分化してバラバラにして吟味したところで、
真に科学的とは言えません。

これは、「科学的データ」 というよりも、
むしろ 「ある母集団の中での傾向とその分析」 
として扱われるべきものなのです。

この類のデータが科学的ではないという理由のひとつに、
共通の条件を絞り込む過程で 『再現不可能な項目の「漏れ」』 が、
必ず存在することが挙げられます。

再現不可能な項目の漏れは、
絞り込まれた条件の中にまだ埋もれているかもしれないし、

意図的ではなかったにしろ、
項目から選択されずに消去されていったものの中にあったのかもしれません。
 

僕の言う、「再現が不可能な項目」 というのは

例えば、検査の日はたまたま寝不足であったとか、
そのおかげで集中力が持続しなかったり、
はたまた検査をする人間が運悪く自分の嫌いな人間で、
そのせいで検査中に急に眠気が襲ってきてしまったとか、
ただ単にその日は気分的にボーっとしていたり

といったようなことです。

相手は 「人間」 ですから、
検査の日に限ってこのようなイレギュラーな条件が
追加され得ることは当然考えられますし、

それが検査に影響を与える可能性を排除することはできません。


このことは日常的には僕らも経験していることです。

例えば僕らが毎日同じ時間に出勤し、先日と同じ仕事をしても、
いつも同じ作業効率で同じ結果が出せるとは限りません。

何故かといえば、
天気とか気温とか、
今日は挨拶した同僚の返事がイマイチだったとか、
身体の疲れ具合が酷いだとかといった、

「変数的な諸条件」 が仕事に影響を与えているからです。

そして、それらの変数的な諸条件は無限に存在し、
それをひとつひとつピックアップして
因果関係を精査するという作業を完遂させることは、まず不可能です。

このような、再現不可能な変数が多数存在するのは、
ひとつには人間が 「心」 や 「精神」 といった
やっかいなものを抱えているためです。

心や精神は計量化することはできません。

何故なら心や精神の世界では、物理的な法則は通用しないからです。

例えば、想像の中では僕らは翼が無くとも空だって飛ぶことができます。

マッハ10で飛べます。
仕事中でも。

このように、物理的な法則が通用しない世界が確かにあり、
それを 「込み」 で人間というものが存在するという事実を考えると、

そこに 「科学的(と信じている)根拠」 をあまり拡大適用しないほうがよい
という在り方があることに気づきます。

(それを認めるか認めないかが、
 僕が医療人として相手を信用するかしないかの
 ひとつのバロメーターともなるのですが...)

しかし、科学的な根拠の適用は
人間の細胞や器官に対しては有効かもしれません。

例えば、上腕二頭筋に電気刺激を与え、
そこから得られる出力の統計を取り、
その分析をするといったようなことです。

この場合、筋肉の質・量と、
加えた電気刺激の違いによって出力される力の大きさとの間に、
相関関係を見出すことができるかもしれません。

このような人間の組織レベルの場合とは異なり、前述のような
計量化できないものが含まれている「人間全体として」 問題をみる場合は、

「ある母集団の中での傾向と分析」
として扱われるべきものなのです。

特に僕らのような維持期の対象者を治療する分野では、
「〇〇先生の科学的な△△療法」 が上手く適用できないことが多々あります。

それは、上肢や下肢という部分だけでなく、
人間全体或いは、
付随する住環境や家族関係などといった
変数も含めて診ていかなければならないことが、多くなるからです。

(加えて、セラピストとしての腕が悪いという僕の「変数」も存在しますから)

そこには、科学的な根拠以外の、別の物差しが必要なのです。

科学を 「秤」 に例えるとするなら、
秤で測れるのは重さのみです。

「光」 や 「匂い」 や 「質感」 は秤では測れません。

別の計器が必要です。

それでも光や匂いや質感を秤で測ろうとするなら、
その行為は科学に対する冒涜となります。

それを弁えることが、
医療人としての節度ある態度だと思いますし、

そのような俯瞰的な立ち位置を持った 「大人の医療人」 が、
これからは求められていくでしょう。
きっと。
(非科学的希望的観測)




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by hiro-ito55 | 2010-08-26 20:39 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


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