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靖国参拝と日本人

今日のNHKで、
今年の8月15日の靖国神社への公式参拝を、全閣僚が見送った
というニュースを見ました。

政治のことには詳しくありませんが、
恐らく、そこには政治的判断が働いたのでしょう。

閣僚が靖国に参拝した結果得られる利益よりも、
参拝しないで得られる利益の方が大きい、

彼らはそう判断したのでしょう。たぶん。

8月15日に政府の閣僚が靖国に公式参拝すれば、
日本と中国や韓国など東アジア各国との関係が一時的にしろ拗れて、

その 「拗れ」 は政治に限らず、
経済の分野にも影響することは、
今や誰にでも予想がつくことです。

その結果、得をするのはアメリカかもしれませんし、
日本政府としてはそれを恐れているのかもしれません。

この政治的判断の詳しい分析は専門家にお任せするとして、
僕個人の意見としては 「参拝しろ」 とまでは言いませんが、
「参拝してもいいんじゃないか」 とは思います。

というのも、
亡くなった人をどのように国内で祀るかは、
その国の人が決めることで、

基本的に他の国の人がどうこう言う問題ではないと思うからです。

「死者をどう扱うか」。

それはその国の持つ宗教観と強く結びついています。

そしてそれは、原初的で根源的なところで、
同じ共同体であることの確からしさ、

つまり共同体のアイデンティティーを形成しています。

そこに横から異を唱えるということは、
相手のアイデンティティーの否定を意味しますし、

それは日本人を認めないということと同義です。

中国や韓国から靖国の参拝に異を唱えてくるのは、
戦犯と呼ばれる人たちを 「合祀」 しているからだと言われていますが、

悪人も善人も死んでしまえばただの仏様
というのが、日本人の宗教観です。

現に、明治政府にとっては敵であった徳川幕府の創始者は、
日光で東照大権現として今も祀られていますし、

天皇家にとって反逆者であった平将門の墓も、
現代まで残されています。

易姓革命によってその都度、
自らの王朝の正当性を主張してきた儒教文化圏のように、

滅ぼされた前王朝は 「悪」 であり、
その 「悪」 は死んでも変わらないとする思想とは、
根本的に死者に対する扱いが違うのです。

そのように主張すればいいと思いますし、
死者をどう扱うかは、日本人のアイデンティティーに関わることですから、

政治的判断で扱う問題ではない
と個人的には思うのですが、

政治家という立場でものを見れば、
見方も行動もまた違うものになるのでしょうね。




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by hiro-ito55 | 2010-08-10 20:38 | 哲学・考え方 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


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