Windows10での日本語入力・変換トラブルの解決

Windows10に変更して、先日から文字入力のトラブルに悩まされてきた。

ネット上の文字入力画面で、
日本語の入力・変換をするたびに、画面がフリーズしてしまうトラブルだ。

色々な情報から、問題はたぶんIMEにあるだろうと推測できたので、
いくつかの方法で試してみたが、なかなか上手くいかない。

パソコン音痴なのでストレスばかり溜まっていたが、
下記サイトで紹介されている方法を試したら、見事解決することができ非常に助かった。

もしWindows10に変更して、自分も同じ症状に悩まされているという方がいれば、
一度こちらの方が紹介されている方法で試してみるといいと思う。
          ↓↓↓
【IME】Windows10 日本語入力時にフリーズする問題の解決方法


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# by hiro-ito55 | 2016-08-24 23:01 | 日常あれこれ | Comments(0)

エンゼルケアを終えて


先日、看護師さんのエンゼルケアに立ち会った。
長女さんの懸命の呼びかけにも拘らず、その方は二度と息を吹き返すことはなかった。
そして、父親の最期を看取ったの長女さんは、母と交代で一年以上も介護に携わってきた。

自分にとって大切なその人が、老いや障害によって、誰かの手を借りなければ、
生きていくことが困難になる瞬間は、たぶん誰にでもやってくる。

そのときに、愛する人への介護を選択するということは、
自分にとって大切な近しい人と、ともに奮闘していく毎日を通して、
一緒に生きることを目指す厳しさに、自ら身を置く決断をするということだ。

そうして時に、自分にとって大切な人のことが、無条件には愛せなくなる瞬間もあり、
そうした辛い現実とも、しっかりと向き合わなければならなくなることもある。
それは、とても悲しいことなのだと思う。

けれどそれでも、介護を受ける側にしても、介護者にしても、
同じように奮闘していく毎日であることに変わりはない。

実際に介護を進めていけば、
そこには、一緒に生きることを目指して、懸命に介護を続けているという思いもあれば、
その苦労を、頼みたくて頼んでいるわけではないという思いもあるかもしれない。
介護を通してそんな毎日が、やがて巡ってくる可能性はきっと誰にでもある。

けれど介護に関わる以前は、
その本当の大変さについて知らないというのが、ごく一般的な感覚なのだと思う。

だから、誰もがとても戸惑うことになるのだし、
今回、父親の最期を看取ったご家族たちも、
介護が始まってから大変なご苦労をされて、ここまでやってきた。

仕事の有給休暇を介護の時間に充てることや、昼夜交代で休みを取りながら看る毎日は、
介護を受けるご本人も含めて、家族としての生活そのものを一変させてきた。

だからこそ、在宅医療・介護に関わる僕らが、
彼らの苦労に少しでも寄り添い、ともに奮闘することが大事になるのだし、
在宅生活の質を支えるという意味において、その関わりは強い意味を持つのだと思う。

介護は、喜びと悲しみが激しく入れ替わる毎日に、
当事者である彼らが戸惑いながらも、それでもめまぐるしく進んでいくものだ。

いいことばかりではない。でも、辛いことばかりでもない。
そうやって、最後まで人間らしく生きようと奮闘する彼らに対して、
その時々で、彼らに寄り添うケアというものが、僕らはできたのだろうか。

エンゼルケアを終えた後、
大切な人を見送るご家族の姿を見て、僕は今までの自分の姿を振り返っていた。


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# by hiro-ito55 | 2016-08-18 21:07 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

平和


人は、善悪の判断によって悪魔になるのではない。
思想の違いによって悪魔になる。

自分を律する判断ではなく、
思想の相違によって、平気で人を殺すことのできる悪魔になる。

臆病な心は人を支配したがるものだ。
そして、それが成されなかったとき、
その衰弱した精神は、最も残酷な姿を人前に曝け出す。

自分と他人との違いを認めることのできない、
臆病な心を社会に向かって使役する人間は、もう人間とは呼ばない。
思想の家畜だ。

主義主張を掲げることよりも、人が人であるために大事なことがあるとすれば、
それは、生きることへの敬虔を忘れずに持つことに違いない。

誰にとっても、生きることが経験することと同義であるように、
自分の直接経験をとことん信じることで、
他人もまた、同じ道を生きているのだと気づくことができるのだと思う。

そこに目を向けた人間は、
社会化された主義主張を掲げる人間よりも、よほど人間らしく生きることができる。

僕らが生きるということの根源には、
集団化も一般化も合理化も必要のない次元で、命への敬虔が確立していなければならない。

本当の平和が成るというのは、自分の経験を純化していくことに心血を注いだ、
そういう人たちの総意が、ある形になることなのだと思う。


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# by hiro-ito55 | 2016-07-15 20:31 | 哲学・考え方 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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