考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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歩行困難となってリハが開始された方。
下肢の痺れにより屋内を這って移動することも多くなっており、
歩行能力改善目的にて介入が始まった。

初回面接では、ケアマネさんからの情報もあり、屋内移動能力の向上を希望された。
本人から、トイレまでは楽に移動できるようになりたいと、
具体的な訴えを聞き出すこともできた。

しかし、最初にそういった表面化したニーズを捉えることはできたとしても、
どうしてそういう訴えが出るのかといった動機について、
もう一歩踏み込んで的確に捉えるのは難しい。


リハを進めるうちに、
歩けないことで何を問題と考えているのかが、明らかになってきた。

事前の情報では、「最近は自宅に閉じこもりがち」とあったが、
聞けば、整形の定期受診や息子さん付き添いでの買い物、娘宅への外泊と、
外へ出る機会は少なくない。

言葉の微妙なニュアンスかもしれないが、
どうやら、完全に一日を屋内で過ごす毎日ではなさそうだ。

定期受診に行くためには、玄関の上り框や外の階段も越えねばならず、
トイレに歩いて行けるようになったぐらいでは、能力的に不充分なのは明らか。
買い物には車いすも使用しているようだが、娘宅で過ごすにはそんなわけにはいかない。

でも、平地歩行と階段昇降、
或いは、車の昇降や人込みでの移動に求められる能力や環境の違いを、
的確に捉えることができていないからといって、それは本人のせいではない。

歩けないこと自体を、本人は確かに問題として捉えている。
しかし、その背景には、それを問題として捉えるための動機があり、
それを明確にして課題や目標を、段階付けして提示していくのは、僕らリハ職の役目だ。
ともに進めるリハだからこそ、深いところでの課題や目標の共有が重要となる。


整形の定期受診、買い物、外泊。
本人は、それら全ての生活場面での移動能力向上を望んでいる。

トイレまでの移動能力向上の訴えは、
彼の中での能力向上を実感するための、ひとつのバロメーターに過ぎない。

また、主介護者である息子さんからは、
屋内でも屋外でも、リビングから一歩外に出るときの移動介助がたいへんだとか、
親父がもう少し歩けるようになれば、自分も安心して外出できるだとか、
外出するたびに、親父が自分に気を遣っていることが心苦しいだとか、
そういった思いがあることも分かってきた。

つまり、本人や息子さんの思いであったり期待であったり、
それらを踏まえての「歩行能力向上」だということが分かってきた。


最初のニーズを、顕在化したニーズと呼ぶなら、
後から出てきたニーズは、潜在的なニーズと呼べるかもしれない。

それを真のニーズとは言わないまでも、
潜在的なニーズ或いは、社会的なニーズが明らかになってきたところで、
例えば、どこまで息子さんが継続的に介助できる能力を持っているのかや、
歩行能力の回復がどこまで可能で、必要な歩行補助具は何が適切かといった判断など、
今後必要となってくるであろう課題や変更点が見えてくる。

それら全てを、リハだけでカバーすることはできないかもしれないが、
それを踏まえてリハを進めるのと、そうでないのとでは、
同じ歩行練習でも、取り組むための意味が違ってくる。

その人における建設的なリハを行うためには、
ニーズや課題や目標を、本人にも見えるように常に賦活していくことが必要だ。

それらを早期に把握し、
そこから具体的な支援の形に結び付けていく洞察とスキルこそ、
対人支援の場面でリハ職に求められる、一番大事なニーズ(要求)なのかもしれない。

さあ、この人のために具体的に何ができるか。
自分も試される。


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by hiro-ito55 | 2015-11-25 20:37 | 作業療法 | Comments(0)

受け入れの少なさを実感


訪問で外を廻っていると、デイサービスの送迎車をよく見かける。
僕の住む地域でも、デイサービスを手掛ける所が増えてきているようだ。
中には、ショートステイの利用が可能なところもある。

自宅に閉じこもりがちな利用者さんたちが、
機能維持や社会交流の場としてデイを利用する。

また、介護を担う家族のレスパイトの時間を確保するために、
デイやショートを利用する場合だってある。

でも、経鼻栄養の患者さんを受け入れてくれるところが、実は非常に少ない。

現在、痰の吸引を必要としている利用者さんが、何名かいらっしゃる。
呼吸リハをした後には、毎回ご家族に痰の吸引をお願いしている。

どの家庭も、デイサービスやショートステイの利用を望まれているが、
今のところ、受け入れに手を挙げてくれるところは見つかっていない。

痰吸引器を常備していても、実際のところは、
誤嚥や窒息などの事故を恐れて断られているというのが、現状なのかもしれない。


そもそも、
経鼻栄養が適用になる患者さんは、嚥下機能が著しく低下しているため、
痰や唾液などでも誤嚥しやすく、そのために一日に何度も吸引が必要となる。

ご家族は、退院前、或いは退院時に吸引器の使い方を教わるが、
経鼻栄養の患者さんは、介護度が重度である場合も多く、
ヘルパーや訪問看護をフルに利用したとしても、在宅での介護負担は大きい。

しかし、こういったケースでは、
在宅生活を支える介護者の、レスパイト確保が重要となるにも拘らず、
吸引を適時行える体制にないという理由で、受け入れを断られてしまう。


確かに、
運動器リハを売りにしたリハビリ型や、のんびりと半日を過ごすための民家型、
集団でのイベントや催し物で賑やかに過ごせる大規模型など、
一見すると、デイサービスも利用者の多様なニーズに応えているかのように見える。

しかし、痰吸引のような処置が適時必要となる利用者さんとなると、
それに対応してくれる所を探すのは難しい。

経鼻栄養の患者さんの、在宅での絶対数は少ないといっても、
ニーズがある以上、受け入れてくれる事業所もそれなりにあってほしいと思う。


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by hiro-ito55 | 2015-11-13 21:16 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

メロディー


この世の中に、響かない音などあるだろうか。

広い世界の片隅から、頼りなく放たれたシグナルも、
重なり合うことでメロディーとなる。

飛ばされた波長は、それが誰かの許に届いたなら、
そこできっと何かの意味を持つ。

孤独な音たちが、共鳴することで新たなメロディーとなる。

音は、あなたの中にある。 
その場所は、全てのものから唯一守られている場所。


限られた時の中で、不安になることもある。
ときに、誰かにとっては小さな、どうでもいいことに拘るかもしれない。

けれど、一歩一歩、歩くその姿が、偽りなく生きること。 
一所懸命なその姿が、何かで満ちているからこそ、心打たれる。

自分の音を信じ、聴き逃さないようにと耳を澄ます。 
音の欠片は、あなた自身であるための、ひとつひとつ大事なメッセージ。

あなたの音は、あなた自身の可能性。
それが伝わることで、やがてかけがえのないメロディーになってゆく。

孤独なメロディーが重なり合う。
誰かがきっと、そこにいる。


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by hiro-ito55 | 2015-11-05 21:52 | | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー