考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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道の駅ドライブ


今日は急遽、午後から半日休暇を頂けて天気も良かったので、
気ままにちょっと遠出のドライブに出掛けてみた。


愛車である二代目のエイトを繰り出しての遠出。

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そして何となく辿り着いたところが、藤川宿という岡崎の道の駅。

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昔の東海道の宿場町だった場所で、広重の浮世絵にも描かれているらしい。

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へえ~....。

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その後、ぶらぶらと駅舎内を見学したり、周辺を歩いてみたり....。
ボーっとしたまま時間だけが過ぎたけど、お土産だけは忘れずに買ってしまった。

これはステーションにいる看護師さんたちの分。

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岡崎と言えばやっぱり「味噌」、なんでしょうねきっと。


こっちはとっしーさんの分。彼女は「禁バナナ味」なのでイチゴ味を買ってみた。

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もちろん、自分用も忘れずに。

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これを見て思い出したんだけど、「つけて味噌かけて味噌」が、
全国区の商品だと信じ込んでいた、そんな学生時代が懐かしい。


最後に、愛車のエイトをパシャリ。

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いい気分転換になりました(^・^)。









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by hiro-ito55 | 2015-09-15 19:33 | 日常あれこれ | Comments(0)

知覚すること。これは経験の端緒、つまり認識の始まりのことを指す。
でも、この知覚するということについて、僕らは普段あまり深く考える機会がない。

例えば、美術館やギャラリーで絵画を鑑賞する場合、
その絵というものは、自分が見えている姿をしてそこにあるものだと、
そう信じながら僕らは見ている。

けれど、画家に見えている黄色や赤といった色の豊かさに比べれば、
僕らが知覚できるその色の種類や奥行きは、きっとうんと少なく浅いものだろう。

何故なら僕らは芸術家と違って、
毎日が、生物体として生きていくことを強いられている。

ほとんどそのために、あらゆるものを知覚し、
それに基づいて生きていると言ってもいいほどだと思う。

例えば、道端に落ちている石ころはただの石ころ。
そう済まして通り過ぎたとしても、僕らの生活には何の支障もない。

道端に落ちている石がどんな石であるなどと、
その個別性を知ることは、生きていく上では必要のないものだからだ。

逆に、石ころが落ちている度に立ち止まり、
それについていちいち検討していたら、僕らの生活は成り立たない。

必要のないものを意識しないことは、
生物体として生きていく上で、けして悪いことではないし、
むしろ日常生活を送る上では、ごく自然なことに違いない。

でも、必要で判断される知覚が、知覚の全てではないということも、
忘れてはならないことだと思う。
そして、そのことに気付かせてくれるのが、きっと芸術というものだと思う。

前にも書いたことがあるけれど、
例えば、音楽について知識をいっぱい持っている人よりも、
たった一曲でも感動できる人が、その音楽の何たるかを知っているものだと思っている。

しかしそれでもそれは、芸術家の知覚からはほど遠い経験であるかもしれない。
けれど、作品を前にして、ああだこうだとすぐに語り出すよりは、
よほど深い理解が得られているように思う。

やはり、絵や音楽や詩といったものは、
まずはじっと見たり聞いたりして、よくよく感じるものなのだ。

芸術作品は、それぞれに固有なリズムを持っているのだから、
そのリズムを感じるように見たり聞いたりすることで、
僕らの知覚もまた、少しだけ、豊かなものになるのだと思う。

先日、招待券を頂いたので、今度久しぶりに美術館まで足を運ぼうと思っている。


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by hiro-ito55 | 2015-09-08 20:46 | 哲学・考え方 | Comments(2)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー