<   2015年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

僕の宝


毎日、色々な患者さんのお宅を訪問するうちに、
在宅生活を送るご本人やご家族の、切実な思いに気付かされることがある。

たとえば、いつも突然ふいに襲われる孤立感や寂しさ。
それを自分一人ではどうしようもできない現実が、確かにあるのだということも、
そのひとつなんだと思う。

重度のCOPDを患った方と、その夫を一人で介護する妻がいる。
血液検査の結果のこと、痰の吸引のこと、呼吸苦が齎すパニックが怖いこと、
妻自身も抱えている健康不安や夫の予後のこと....、

訪問する度に打ち明けられる内容からは、悩みや不安はいつも尽きることがない。

それらの問題は、根本的には解決できないことであるかもしれないし、
必ずしも解決に拘っているわけではない、
彼ら自身そう分かっていても、それはきっと、癒されることのない不安なのだと思う。


毎日の生活で経験する現実を、とにかく誰かに打ち明けてしまいたい、
そうしなければ、自分を保つこともできなくなってしまいそうな不安....。

その姿を前にしたとき、その負担の何分の一かを分けて貰うことが、
僕がこうして関わることの、ひとつの意味になるのかもしれないと思うことがある。

現状や予後、介助の仕方について、
患者さんやご家族には、わからないことはわからないと正直に伝えることも大事だけど、
そのわからないことを、そのままほかっておくのではなく、
一緒に悩み、考えられたなら、僕にも何かができるに違いない。

そう感じてしまうのは、明らかに僕の信念なのだろうけど、
それを受け止め、分け合うために必要な術を知ることは、
僕自身が、自分で自分の責任を果たすことに繋がっていくように感じる。

それが、僕が訪問リハという仕事を通じて学んだ、大事なことのひとつ。
そして、そういう気持ちは必ず相手にも伝わるのだということも学んだ。



ある患者さんは、こう言って教えてくれた。
「気持ちのない共感というのは伝わるものです。理解なんてできないかもしれないけど、
 痛いよ、辛いよって認めてもらえるだけで、患者の心は救われます。」と。

この患者さんは、人の気持ちや思いを共感したり、共有できたりするということは、
単に私に分かるとか分からないとか、そういうのものではなく、
伝えたもの、伝わったものを確かに受け取ったという、
その感触を、お互いにしっかりと確かめることなのだという大事なことを教えてくれた。

だから、そうして伝えることや伝わることで何かが始まるのなら、
それはきっと、僕の宝と呼んでいいものだと気付くことができた。


これから、在宅医療の充実を訴えるだとか、訪問リハの普及促進を考えるだとか、
そんな大きな設計図のようなものは、残念ながら僕には描けない。

僕は、専門的態度に固執する保守派にも、
いつでも新しい方法論を是とする進歩派にもなりたくはない。

その代わりせめて、直接関わる人たちが抱えるもののうち、
その何分の一かでも、しっかりと共有できる人でありたいと思う。

患者さんやご家族と触れ合うことで、
悩みや辛さにさえも意味があるのだと、そう信じることができたなら、
それが、僕の宝になっていくのだと思っている。


b0197735_22322958.jpg









[PR]
by hiro-ito55 | 2015-04-21 22:38 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(6)

誕生日プレゼント


今日は僕の誕生日。
そのお蔭で、訪問先の利用者さんからプレゼントを頂いた。

b0197735_2085581.jpg


本人曰く、家にあったものを包んだだけだそうだが、
そんな理由なんか全然関係なく、何気ないメッセージとその気持ちが何よりも嬉しい。
だから大事に頂きます。ほんとうにありがとう。

b0197735_2091593.jpg



あと、こんなのも頂いた。

b0197735_2093261.jpg


これは、紙製のバーズデイオルゴール。

裏には直筆のメッセージも書かれていて、
「幸せのお裾分けありがとうございます」って言葉に、思わずジーンときた。

b0197735_2095491.jpg


こちらこそ、いつも素敵な時間を、ほんとうにありがとうございます。









[PR]
by hiro-ito55 | 2015-04-11 20:13 | 日常あれこれ | Comments(7)

外出の悩み


障害者総合支援法の地域生活支援事業の中に、移動支援というものがある。
障害を抱えた方が、円滑に外出できるよう移動支援を行うサービスのことで、
俗に言う外出支援のことだ。

僕の担当している患者さんの中に、このサービスを利用している女性がいる。
移動は車椅子による全介助である。

また、常に呼吸器を装着しているため、
安全面はもちろん、付き添う側は外出中はいつもモニターをチェックし、
呼吸状態に注意を払わなければならない。

だからどうしても、付き添ってくれる人から、
仕事でお供するという雰囲気が全面に感じられてしまうことがあるという。

彼女の場合、付き添いのヘルパーさんと二人で外出することがほとんどなので、
外に出かけることを楽しみにしている彼女にとっては、
そんなときに、外出自体が全然楽しくないものになってしまうことがある。
出かける前から、やっぱり止めようかなと躊躇してしまうことも多いようだ。


普通、僕らが誰かと一緒に出かけるとき、
一緒に連れだっていく人と楽しむことも、外出する目的のひとつに成り得る。
それが望めない場合は、一人で出かけることを選ぶだろうし、僕らにはそれが可能だ。

彼女の場合も、
もし一人で出かけられるんだったら、きっとそうしたいに決まっている。

けれど、外出には必ず誰かの介助を必要とするのだから、
彼女には一人で出かけるというその選択肢自体がない。

外出が、常に誰かと一緒でなければならないのなら、
それはお互いに楽しみながらのことでありたいと望むのは、当然のことだと思う。

たとえ一緒に出掛けてくれる人が、親しい友人ではなく介助者という他人であったとしても、
やはり同じように考えると思う。


呼吸器も付いていて、しかも移動が車椅子の全介助だと、
介助者側は、どうしても常に安全面に気を遣うようになってしまうし、
付き添いの間は一緒に楽しむ余裕がなくなるということも分かる。

でも、たとえば、「今日は一緒に楽しみましょうね」。
介助者側がそう一言言うだけでも、患者側の気持ちはずいぶん楽になるように思う。

それともそれは、介助されている患者側から言わなければいけないことなのか。
僕にはよく分からない。

僕らにとってはごく当たり前なこと、それをするために、
患者さんは、僕らが気付きにくいところで悩んでいることがあるということ、
外出を楽しみたいという具体的な彼女の思いを通して、僕はそのことについて考えさせられた。



b0197735_2218565.jpg









[PR]
by hiro-ito55 | 2015-04-01 22:24 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(4)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー
プロフィールを見る
画像一覧