考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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アメリカの末期ガン患者、ブリタニー・メイナードさんの決断が話題になっている。




僕は、彼女の下した決断は、ひとつの尊重すべき選択であったと思う。

世間では、賛否両論などと色々と言われているようだが、
彼女の決断が、人間の生は、死を含めてその人の「生」なのだという本質的な姿勢を、
改めて伝えてくれているのだと考えれば、それは尊重すべき選択として扱われるべきもののはずである。

それが、正しいか正しくないか、という観点からまず論じられているのは、
非常にナンセンスな問いの立て方であるように感じている。


確かに、所属する民族や宗教によって死生観の違いはあるにせよ、
人がどのように自分の死を迎えるか、という問題は、
その人の人生観や美意識と、非常に強く結びついているものだということは、
もう少し考えてみる必要のあることではないだろうか、というのが僕の率直な意見だ。

たとえば、日本には「生老病死」という言葉がある。
僕ら日本人は、人間の一生を、死をも含めた連環の中で捉えてきた。

これは、生まれてから死するまでという、一生のうちで経験する一連の変化を、
その都度の人の在り様として受け入れ、それらと向き合う姿勢を示した言葉だ。

しかしこの言葉とは裏腹に、現代ではどのような社会においても、
「生」以外の「老病死」をネガティブなものとして捉える傾向が強いことも確かで、
技術的にも、生きるためにあらゆる選択をすることが、可能なように思える。

そうであれば、どんな状況になろうとも、兎に角生きることを選ぶこと、
それがどんな選択よりも優先されるべき選択であるという価値観は、
確かにひとつの絶対的な真理に成り得るに違いない。

けれど、
人として生きることを選択するならば、美しく生きたいと思うのと同じように、
美しく老い、病であってもそれを願い、美しく死を迎えたいと考えるのは、
生を全うする人間として、ごく自然な思いでもあるのではないだろうか。


どんなに技術が発達しても、それに伴う多くの選択が可能であったとしても、
老いることや病を患うこと、そしてやがて死を迎えること、
どの時代においても、それらとその都度どう向き合うのか、ということを考えずして、
自分の生について、深く知ることはないと思う。

そしてそれは、その人なりの人生観や生に対する美意識になるのだと思う。


確かに、彼女が自分で死を選択したという事実は、
生を否定することに繋がりかねない、という社会的側面を持つことは否定できない。

しかし逆に、美しく生き続けるため、生を肯定的に捉えるのと同じように、
死というものを肯定的に捉えたがための選択である、と言うこともできるように思う。

また、生物体としての生は、死を選択することで確かに終わってしまうのだが、
死というものを、単なる一個体としての死として扱うのではなく、
その人の人生を思い出す人がいる限り、その人の生は続いているのだと捉えれば、
これを受け入れる人にとっても、その都度の人の在り様のひとつの形として、
人の生と向き合う姿勢を示した選択である、と言うこともできると思う。

そう考えれば、彼女の下した決断は、ひとつの尊重すべき選択なのであって、
それを、正しいか正しくないかと問うことで、解決できるテーマではないというところに、
この問題の本質的性格があるように思う。

だからこの問題には、これが正しいという答えは恐らく存在しない。
社会的に、或いは法律的に正しいとか間違っているとか、
そうやって言いきってしまうことはできるかもしれないが、
この選択が、個人としての人生観や生に対する美意識に直結したものでもある限り、
ひとつの絶対的な真理を打ち立てることは、できないと思う。










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by hiro-ito55 | 2014-11-06 00:17 | 社会 | Comments(3)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー