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生活者として、してほしいリハを探すこと


終末期や進行性難病の患者さん。
この一年余り、彼らと接する機会が随分と増えた。

その中で、リハビリというものが、
時には、回復という目標から得られる希望ではなかったりすることもある、
ということを、何度も経験してきたように思う。

人として、生きるために残された時間が本当に限られていたり、
それまで出来ていたことが、明日も出来る保証なんてどこにもなかったり....、
彼らが直面する現実は、そういうとてつもなく残酷なもの。

それでも生まれ育った家で、自分が生活してきたその場所で、
家族や友人に囲まれて、最期まで人間らしく生き抜くことを望んでいる。
その望みは紛れもなく、生活者として生きるという意思なのだと思う。

リハはそんな状況の中で依頼され、進められるものだけど、
僕は彼らに、「回復」のためのリハビリを安易に掲げることはできない。


でももし彼らが、MSEといった機能訓練を望むのであれば、
僕は、彼らとともに頑張っていくことを選択するだろう。

たとえ、自力座位をとることが不可能であると分かっていたとしても、
機能訓練から得られるものが、何も望めないと分かっていたとしても、
その残された時間に、自分の価値を賭けているのなら、
僕は、その時間や努力を、大切にしたいと思う。


そしてもし、
残された時間や出来ることが限られていく中で、
それでも、そこから新たな「形」を望み、それを探しているのなら、
その可能性について、ともに考え、悩み、見つけていきたいと思うだろう。


或いは逆に、頑張る姿も、新たな形も望まない、
ただ、セラピストが来たときにだけ、ともにすることのできる経験、
一緒に何かができる時間と場、それを感じるだけで充分な場合だってある。

「形」や「目標」を作ろうとしているのは、
ひょっとしたら、僕が作り出したただのエゴなのかもしれないし、
リハビリでは、それを望んでいない場合だってあるのだから。



機能訓練をしながら頑張る姿、そこに自分の価値を賭けてみること...。
「形」を探し、具体的にそれを支援してほしいと望むこと...。
セラピストと一緒の時間と場がある、それだけでも生活の一部になっていくということ...。

それらは全て、
生活者として生きるという意思の中に籠められた思い。

その思いに触れ、支援の方向付けを行っていくのならば、
僕はその都度リハビリというものについて、よく考えなければならないと思う。

どんなものでもいい。
その中で彼らに対し、僕だからこそ出来ることがもしあるのならば、
せめて、伝えることだけはしていきたいと思っている。










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by hiro-ito55 | 2014-08-20 00:01 | 作業療法 | Comments(0)

フツーにやりたい....。


僕は今の仕事で、小児のリハを担当することがあります。
症状の強さや程度、意識される場面などは、児によって様々ですが、
年齢や身体の成長に合わせて発達するはずの感覚統合がうまく進んでいない場合、

手が上手に使えない。
物との接触を通した適切な感覚を得られにくい。
物や形、材質に合わせて、力をうまくコントロールすることができない。
自分のボディーイメージを上手に捉えられない etc....。

それらの特徴が、
動作や遊び、或いは運動場面において、
複雑に絡み合った形で、顕在化してしまうことがあります。

たとえば、
力を入れ過ぎて字がきちっと書けない、
縦笛の穴をしっかりと押さえられない、
粘土や絵の具を触ったときに不快な感覚があって、それらで遊ぶのを嫌がる、
などなど....。


鉛筆に輪ゴムを巻いて指の滑り止めにしたり、
お箸を改良して摘みやすくしたり、
縦笛の穴に分かり易く色分けして目印を着けてみたり、

そうやって、道具を少しでも使い易くするため、
できるだけ、その児に合わせた環境を整えながら練習していますが、
中には、時々それをひどく嫌がるようになった児もいます。
途中でぐずって、大泣きしてしまうこともしばしば....。

そんなときは、どんなに丁寧に訊いてみても、
僕にも、母親にも、けっして口に出して嫌がる理由を言おうとはしません。

児はみんな繊細です。
セラピストの提案する環境整備を、素直に受け入れているように見えても、
必ず心のどこかで、みんなと同じようにフツーにやりたいと思っています。


どうして僕だけ、
こんなゴツゴツしたものを巻きつけて、字を書かなければいけないの。

どうして僕だけ、
手袋にうまく指を通すことができないんだろう。

普通にお箸を持って、普通に鉛筆を握って、普通に笛を吹いて...、
そうやって僕は、みんなと同じようにやりたいだけなのに。


それらはみんな、児に芽生えてきた自尊心だと思います。

でもその自尊心は、
「こうすれば鉛筆が握りやすくなるよ」、
「ここに目印を着ければよく見えるよ」といった、
楽に道具や指先を使えるようにするための、こちら側の提案や工夫と、
対立してしまうことがあります。

何がフツーなのかといえば、それは分からないけど、
それでも僕らは、児が自尊心を保ちながら、それを上手くコントロールできるように、
手助けをしていかなければならないだろうと思います。

もし適切な形で、自尊心を保つ機会を持てないまま過ごしていってしまえば、
中学、高校、或いは成人と、この児が成長したときに、
きっと、自分自身を深く傷つけてしまうようになると思う。

だから、
できる工夫と、受け入れてもらえる提案、
そのバランスを考えることで、児の成長をうまく促していくことが大事だと思います。

その調和から生まれるひとつひとつのものが、
やがて、その児にとってのフツーになっていく。

児自身が、自信を持ってそう感じられるようになること、
それがいちばん大事だと思います。












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by hiro-ito55 | 2014-08-13 00:04 | 作業療法 | Comments(2)

「できること」と「しなければならないこと」に籠める思い


その方は、20年以上も前に関節リウマチを患いました。
今は、糖尿病や骨粗鬆症とも闘っています。

そして、その方のご主人が末期のガンであると診断されたのは、ごく最近のこと。

既に体の色々な部分に転移していて、
医師からは、積極的な医療を施せる段階ではなくなっていると説明を受け、
自宅での看取りを勧められたそうです。

家では、ご主人と精神疾患を抱える息子さんの三人暮らし。
今までは、ご主人が毎日の家事や買い物を手伝っていたのですが、
もう、無理をさせられない状況にあります。


訪問リハでお話を伺ったときには、
一番苦労しているのは、食事のことだと話して下さいました。

週二回、ヘルパーさんにも入って頂いていますが、
リウマチと骨粗鬆症を抱えながら、一日三食、三人分の食事を一人で毎日作るのは、
身体への負担が大きく、たいへんな重労働になっています。

友人からは、食事の宅配サービスの利用も併せて勧められたそうですが、
「料理を作るのは家での私の仕事」だと言って、頑として断ったそうです。


客観的な立場から、今、身体的負担が増していることを考えると、
一時的にしろ、宅配サービスも利用していくことが、
ベターな選択であるのは間違いありません。

けれど、ご本人が「できる」「やりたい」と思っているのなら、
その思いを汲み取り、そちらへ支援の方向付けを行っていくのも、
必要なことであると思います。

つまり、支援する側というか、少なくとも作業療法士として関わる以上は、
その方が価値を見出しているものを肯定し、
どうすれば、その活動の質を最大化できるように支援していけるのか、

そこに焦点を当てて、支援の形を探っていくことも、
自律支援の基本になってくると思うのです。

それがたとえ、
末期ガンという、ご主人の病気の発見によって強調された思いだとしても。
或いは、看取れる最期まで、家族として生活したいという願いによって、
強調された現実だとしても....。


そして先週の訪問日。僕らは話し合いながら、
まずはできるだけ座って調理できるように、台所に椅子を用意して頂きました。
そこから、調理器具の見直しも試してみることにしました。

包丁はリウマチ用の、関節に負担の掛からない形状のものを提案し、
まな板は、プラスチック製の薄くて軽いものに変えてみました。

あとは、食材もときにはカット野菜を利用するなど、
できるだけ、身体に負担の掛からない選択を行って頂けるように話を進め、
物理的に可能な調理活動の再構築を、一歩ずつ進めています。


そして、身体的負担と同じくらい、
注意深く見守っていかなければいけないと感じているのは、
精神的な支援の必要性についてです。

夫が末期ガンだと診断されたその日から、
息子さんと二人で、三日間家の中でずっと泣き続けていたそうです。

ガンを患ったのは、勿論その方のせいではないのだけど、
「どうしてもっと早く気付いてあげれなかったのか」
「私が無理をさせてきたから、夫は体を悪くしたんじゃないか」と、
話しの端々から、今でもずっと自分自身を責めている様子が窺えます。

今は気が張っているせいなのか、
訪問日には、以前にも増してよく喋るようになったことが気掛かりです。

確かに、ご主人のガンの進行を止めることはできないし、
病気を抱えたご主人と、その辛さを必死に受け止めているこの方の苦しみを、
背負うことも消し去ることも、きっと誰にもできないでしょう。

けれど、背負ってしまったものに直接はたらきかけることはできなくても、
関わる人には、それぞれ何かできることはあるように思う。

ケアマネや看護師とも相談していく過程で、
単に、物理的にどうこうするというだけではなく、
これからは、夫や息子を私が支えていかなければ、という思いや行動が、
新たな負担に繋がらないようにしなければならない....。

OTとしては、その方が価値を見出しているものを、肯定の形で受け止め、
活動の質を、最大化できるように支援していけるように。

そのために必要なものを提示していく。
その過程で、僕にも何かができるはず....。


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by hiro-ito55 | 2014-08-06 00:01 | 作業療法 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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