考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

hiroyan55.exblog.jp
ブログトップ

<   2014年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧

Restart


ダラダラと続いた引越し準備も、ようやく終わり。
ネット環境も整えて、一昨日から新しい生活がスタート。

通勤時間と距離が大幅に短縮されたのだから、
今までよりも、少しは時間にゆとりが生まれることを期待して、
のんびりと荷解きをしています。


そうそう。引越しとは関係ないけど、
心が萎えてしまいそうなとき、僕はよくこの歌を聴いています。
闘う全ての人の心へ....。原曲は中島みゆきです。










[PR]
by hiro-ito55 | 2014-06-29 23:25 | 音楽 | Comments(0)

セルフエフィカシー


「(病気になってから)Nさん、初めて心から笑えるようになったって言ってたよ。」
そう、担当の看護師から聞かされたとき、僕はとても嬉しかった。


右半身麻痺のNさんは、重度の認知症を抱える奥さまと、
築40年のアパートで二人暮らしをされている。

以前は、他の事業所から訪問看護とリハビリを受けていたけど、
担当との関係が上手くいかなくなり、3か月前の入退院を切っ掛けに依頼を受けた。

中断していたデイサービスの利用を、入浴目的で再開する方向でリハビリもスタート。
機能訓練をする中で、Nさんの一番の自信になったのは、
やはり、居室から玄関先まで歩いて行けたことだと思う。

今も、麻痺側の靴の着脱には介助が必要だけど、
それでも、手摺りに捉まりながら立って行えるし、
玄関先の階段も、手摺りと杖を使いながら昇り降りすることができる。

これなら自分の力で送迎車に乗って、デイサービスにも行ける。
僕はそう確信したのだけれど、その喜びをNさんと分かち合えたことが、
彼自身の、セルフエフィカシーを高めることにも繋がったように思う。


そしてそれには、もうひとつのエピソードがある。
健康だった頃は、長年写真や絵を嗜んできたようで、
お部屋には水墨画、花や山の水彩画、風景写真と、
Nさん自身の作品が、所狭しと綺麗に額縁に収められている。

リハビリをしながら、いつも色々な話をしているけれど、
自然に最後は、絵に関する話題になってしまう。


あるとき、僕は思い切ってNさんに尋ねてみた。
「絵を、もう一度描いてみる気はないですか。」と。

そしたらNさんは、テレビの下の棚を指さして、
描く自信はないけど、色紙や絵の具ならいっぱいあると教えてくれた。

だから僕は次の訪問のときに、
Nさんの出身地の、九州の風景写真がいっぱい収められた雑誌を持っていった。
外に出て絵を描くことができないなら、せめて写真を基に描いてみてはどうか。

そう話すとNさんは、
笑顔で「ああ...、やってみようか。」と答えてくれた。
一枚の絵が完成するのを、僕が何よりも待ち望んでいるのだと伝えると、
Nさんは、黙ってただニコニコと笑っていた。


次の訪問のときには、
鉛筆で丁寧に下書きされた、高千穂の瀧の絵を見ることができた。

そしてそんなときだった。
Nさんの言葉を、担当の看護師から聞かされたのは。


朝起きて、
お弁当屋さんが届けてくれたお弁当を食べながら、テレビを視る。
昼も夜もただテレビの前で座って、同じように続く毎日...。
そんな、どこにでもあるような単調な生活。

そこに色を付けていけるのは、もちろん彼自身だと思う。
僕は、それがNさん自身の色になっていくように、
僕自身のできることと向き合っていく。

支援者と被支援者という役割を通して、
そういう関わり方をしていけるなら、それはとても素敵なことだと思う。


b0197735_20153287.jpg









[PR]
by hiro-ito55 | 2014-06-16 20:19 | 作業療法 | Comments(0)

いろは


皆さんは、この歌をご存知でしょうか。

  色は匂(にほ)へど 散りぬるを
  我が世たれぞ 常ならむ
  有為の奥山  今日越えて
  浅き夢見し  酔ひもせず


この歌の解釈には諸説あるようで、一般にこの歌は、
仏教の世界にあるような、人生の無常観を歌ったものだと言われていますが、
僕は、それだけで終わらないような気がしています


試しに、素人の自分なりに解釈してみましたが、

「色の匂いは残っているが、散ってしまった美しい花のように、
この世に生きる私というものが、この先もずっと存在すると誰が言えようか。
(その儚い世に生きて)
毎日、様々な因縁から生まれる一切の事物を、今日も乗り越えてはいるが、
その中で、浅はかな夢や酔いに惑わされることは、ないようにしよう。」

大筋にはそういう解釈の仕方が、自分には一番しっくりとくるのです。


つまり、
人生に於いてあらゆる無常というものが、確かにあることを知りつつも、
自分はただこれに流され、無意味な空想や無力感に囚われまいとする、

そういう、実際問題としてのその人が直面する現実、
これに生きることを覚悟した人だけに言える、
偽りのない決意のようなものを、歌った歌だと思えてくるのです。

もっと言えば、
人生のあらゆる苦難を達観した人、それを仏教だとか儒教だとかといった教えを通さずに、
直に自分の人生と向き合うこと、その本当の意味や味わいを知った、
「やまと心」に目覚めた人に歌える歌ではないか、と感じるのです。
そういう力強さが、きっとこの歌の中にはあるのだと思っています。


また、この歌を全部ひらがなで表すと、

  いろはにほへと ちりぬるを
  わかよたれそ つねならむ
  うゐのおくやま けふこえて
  あさきゆめみし ゑひもせす


になります。

皆さんよくご存知の「いろはにほへと」、
今でいうなら、平仮名を覚えるための50音表となります。

日本語の50音を過不足なく使って、しかもそれを歌で表現するという言語センス、
誰が作った歌なのかは定かではないようですが、とても鋭いものだと思いませんか。


b0197735_21492763.jpg









[PR]
by hiro-ito55 | 2014-06-09 21:51 | 日本人 | Comments(0)

ここ最近、何だかバタバタとしていると思ったら、
原因は、引越し準備のせい。

今の職場に移って一年と数か月。毎日、車で1時間かけて出勤しているけど、
往復2時間の通勤はさすがに疲れるので、今、引っ越しの準備を進めている最中。

部屋を整理していると、
過去の書類やら写真やら、色んなものが次々と出てくる。

せっせと部屋を片づけていると、
ここ一年ちょっとで、自分の考え方も随分と変わっていることに気付く。

その一番の原因は、
やはり、訪問リハビリで、在宅医療に関わるようになったことだと思う。

在宅では、病院や老健のように、
リハビリに必要な器具が、予め用意されているわけではない。

それに、在宅でリハを行う時間は、
担当する患者さんはもちろん、それを支えるご家族と直に向き合う時間でもある。

その人の抱える疾患。介護状況。一日の生活パターンと生活動線の把握。
利用している在宅サービス。ご家族との関係や、生活者としての位置づけ。
介護者の希望。そしてご本人の思い...。

それらをアセスメントして、患者さんやご家族の意思決定をサポートしながら、
毎回の訪問の中では、ひつとつずつ現実化していけるように具体的な支援を行っていく。

必要なものは、その都度工夫したり作ったり。
そして、患者さんやご家族と一緒に悩んだり。
或いは、看護師と相談したり。

その繰り返しの中で、ふと自分には思うことがある。

それは、
何がなんでも在宅で、という強い意思に対して、
自分は腹をくくれているのか、ということ。

「入院するのはイヤだ。」「どうせなら、楽に最期を迎えたい。」
「もう私だけの介護では限界かも。」「施設に入ったほうが妻は喜ぶかな。」
「トイレ介助を娘にしてもらうのは申し訳ない。」.....

在宅でというのは、家族や本人が我慢をしてということではなくて、
家族とともに、その願いや生活を支えることができるかということ。

支援者と被支援者という関係も含めて、
患者さんやご家族の思いを叶えるために、どれだけのことができているのか...。

訪問リハという仕事は、在宅での生活を支えるためにある。
専門職として、できることを見つけていかなければならない。
そのために、これからどれだけ自分は必死になれるのか。

引越しを機に、この一年の自分の在り方を振り返っている。


b0197735_21351439.jpg








[PR]
by hiro-ito55 | 2014-06-02 21:39 | 作業療法 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー