考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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頑固一徹


先日、新規訪問の依頼があったので、
リハビリを始めるため、その方のお宅におじゃまする。

70歳代の男性で、電機工事関係の仕事をしていた職人さん。
元職人さんとあって、なかなかの頑固者だというのが、僕の第一印象。

奥さんを呼ぶときも、いつも「おい!」の一声。
後は奥さんが近くに来るまで、ぶすっとして黙っている。

挨拶をしても、じっと僕の目を見つめて、
「何しに来た。帰ってくれ。」と、取り付く島もない。

頑固一徹。
そんな言葉がぴったりの人だった。


でも僕は、一見頑固者という人が、実は嫌いじゃない。
むしろ親近感を覚えてしまう。

頑固に見える人ほど、
上辺だけの優しさや親切心を見抜いてしまうもの。
人に対して、そういう鋭い感覚を持っている人が多い。

だから僕も、
僕自身の出来ることに対して、一所懸命に向き合わなければ、
という気持ちを新たにさせられる。


「俺は何もできん人間だからな。」
一回目の訪問で、彼はそう言い放った。

職人らしく、自分の腕一本で家族を支え、
そのことにずっと誇りを持ってきた。

でも今は逆に、
自分が支えてきた家族に、支えられている自分がある。

家族にしてあげられることで満たされてきた人生。

それが逆転してしまったのは、
彼にとって、どれほど耐え難い現実であっただろう。

今の自分の姿と向き合うのは、
男としてのプライドが、ズタズタにされる瞬間でもあったのかもしれない。


僕のおじいちゃんがそうだった...。
病院でリハビリを受けるときは、「こんな幼稚なことをさせるのか」
と言うのが、おじいちゃんのいつもの口癖だった。


でも、
どんなに小さな変化でも、どんなに無様な歩き方でも、
一所懸命に取り組むその人の姿、それを笑う権利など、誰にもない。

そこに価値があるかどうかは、
他の誰かじゃなくて、その人自身が決めること。

一所懸命に取り組む本当の意味は、その人にしか分からない。


だから二回目の訪問のとき、彼にそんな話をしてみた。

そして僕は、彼の両手を取ってみた。
ベッドから台所まで...。彼の手を取って、一緒に歩いてみた。


一回目、二回目...。
仏頂面で目も合わさずに、無言のまま僕の動きに従って歩く彼。

でも三回目。
相変わらずの仏頂面の彼の目に、うっすらと涙が浮かんでいた。

それを見た奥さんが、
「できるじゃない」と嬉しそうな声を上げる。

そして、
「歩けるに決まってるだろ」と、奥さんに向かって負けずに毒付く彼。

それはまるで、
こんなこと、俺には朝飯前なんだよと言わんばかりの態度。

でもそれは、
頑固者が、何年か振りに人前で見せた、笑顔の瞬間でもあった。


「また来てな。」
帰り際、そう答えた頑固者の顔は、いつもの仏頂面に戻っていたけど、
僕を真っ直ぐに見つめたその目が、印象的だった。


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by hiro-ito55 | 2014-04-21 21:53 | 作業療法 | Comments(0)

Fighting Spirit


その人が闘うもの。
それは、人としての形であったように思う。

かつて、
誰かを支えて生かすために、選んだ自分の人生。

闘いの中、それが、その人の生涯を賭けて臨むはずだった夢だということを知った。
そしてその夢は、まだまだ始まったばかりだったということも...。

僕に出来ることも、その人に出来ることも、限られていくばかりの闘い。
その中で、夢は大きく捻じ曲げられてしまった。


あれから一年...。
その闘いの中で、その人を支えていたものは、いったい何だったのだろうか。
人からの優しい言葉や、励ましの言葉だったのだろうか。

でも、ときとしてそれが、
とても辛く惨めに感じることだって、無かったとは言えないと思う。


誰かを生かすために描いた夢が、
誰かから生かされる日常に変わってしまった人生。

それを思うと、
今その闘いの意味は、どこにあるのかと考えてしまうかもしれない。


だから僕は望んだ。
その闘いが、その人の形になることを。
どんな形であろうとも、その姿が、誰かを生かす形になって伝わっていくことを。


うんと胸を張ってみたらいい。
支えてきたのは、誰かからの優しい言葉や、励ましの言葉ではなく、
いつだって、その人自身が闘ってきたという事実にあるのだから。

僕の願いはただひとつ。

闘いの中、その意味や価値を問うよりも、
誰かを生かして自分も生きる道を探すこと。

たとえ、どんなに悲しく無様な姿に見えようとも、
それが、生きる人の役割であり、人としての形であってほしいということ。


その人が闘うものは、
それはきっと、その人のカタチ。

人である限り、最後まで、
誰でも誰かを生かして、自分も生きる存在であるというそのカタチを、
僕は信じていたい。


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by hiro-ito55 | 2014-04-15 20:46 | 作業療法 | Comments(0)

今回は小児です。
学齢期のお子さんで、小児麻痺を患っています。

上下肢ともに痙性が強く、
特に足首は、寝ている状態でもご覧の通りの外反尖足位。

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お母さんの話では、
寝転んでいる間も、装具を履いたりして対処してきたそうですが、
痙性が強いため、装具の中で足の位置がずれてしまい、
その結果、皮膚に傷ができてしまったことも、時々あったそうです。

なので今回は、
ゴムバンド2本を使って、外反尖足用のアイテムを作ってみました。
用意するのは、サッカーでレガース(脛当て)を止めるために使うゴムバンド。

元々、運動中に足に巻くものなので、適度に伸縮性があります。
そして、マジックでしっかりと止めることができます。
大抵のスポーツ用品店なら売ってますし、値段は2本セットで600円ぐらいです。


作り方はとってもシンプル。
ゴムバンドの一本を、両踝の上の位置で巻いて(上の写真)、
もう一本の端を、内踝の位置のところで斜めに縫い付けます(赤矢印)。

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で、後は上の写真のように、8の字に足に巻きつけます。
(内踝から小指側に引っ張っていき、足の裏を経由。
 その後、親指側から足の甲を抜け、外踝付近で止めます。
 緑矢印の部分の裏側が、マジックになっています。)


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これで、外反が完全に防げるわけではないけれど、
利点は、ゴムバンドは弾力があるので足が窮屈にならないし、
動いても皮膚に傷ができないので、児にとっては負担が少ないことです。

逆に欠点はというと、
マジック部分の粘着力の耐久性が、どれだけあるかということ。
仮に、数日から数週間でダメになってしまっては、
いくら安く購入できたとしても意味がないので。

これについては、作ったばっかりなので何とも言えませんが、
使い切った後の満足感にも依ると思うので、興味のある方は一度試してみて下さい。


*関連記事:『ハンドメイド自助具と補助具
      『ハンドメイド自助具と補助具 ―その2―








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by hiro-ito55 | 2014-04-08 21:44 | 作業療法 | Comments(0)

その人の決断


「今までこんなに丁寧にして頂いて、ありがとうございました。」
玄関先で、少し涙ぐんで挨拶される奥さまの姿が印象的だった...。

昨年から、
途中数か月の中断を経て、訪問リハを継続してきた。

医師から、余命一年の宣告を受けたご主人を自宅に引き取り、
それから約一年もの間、献身的に介護を続けてきた奥さま。

そのご主人を、
療養型の病院に入院させることを決めたという。

理由は、奥さまの介護疲れ。


訪問リハの介入が始まったのは、退院されてから一か月ほどのこと。
それから二か月ほど経った頃だった。

最初はターミナルとしての関わりのつもりだったけど、
状態がどんどん上向いていき、一時的だけど屋内歩行まで行えるようになって、
自宅トイレまで、歩いていけるようになった。

デイサービスにも、週に3回も通えるようになった。

新に利用が決まったデイサービスでは、リハビリも行って頂けるということで、
訪問リハとしては目標達成という結論に至り、
開始から4ヶ月を経過した時点で、リハとしての関わりが終了。

時折見せる、子供のような人懐っこい笑顔が印象的だった。



それから数か月。
その後も継続してケアを行っていた訪看ナースから、
状態が思わしくなくなり、毎日の介護がたいへんになってきている、
という話を聞かされる。

そして、訪問リハの再開。
でも今度は本当に、ターミナルとしての関わりだった。

寝返りから起床、座位保持まで、ほぼ全介助で行う状態。
そして日中の傾眠傾向と、繰り返される誤嚥性の肺炎...。


口数もめっきり減ってしまったご主人に、
「ほれ、あんたしっかりしなさい。」
と頭をぺしぺし叩いて、後ろからぎゅっと抱きしめて話しかける奥さま。

けれどその彼女自身も、
座椅子にもたれ掛かり、日中もコクリコクリと居眠りをされてしまう...。

気力ではカバーできないほど、心身ともに疲れている様子だった。

デイサービスや訪問介護、訪問看護のサービスも継続していたけれど、
自宅での介護に限界が近づいているのは、誰の目にも明らかだった。


だからケアマネと相談し、受け入れ先の病院を探し始めたのも、
共倒れを防ぐためには、避けては通れない選択だったと思う。

そしてそのとき奥さまは、覚悟したのだと思う。
自宅ではなく、病院での看取りを...。



別れ際、深々とお辞儀をしながら、
「私の力が至らず...。今まで、ほんとに親切にして頂いてありがとうございました。」
そう挨拶をする奥さま。

反対だと思った。
今まで一所懸命に頑張ってきたのは、奥さま自身であったはず。


一年前、自宅での看取りを選択したけれど、
その時の覚悟と、今彼女自身が向き合っている覚悟は、全然違うものになってしまった。

でも、
その願いが叶わなくなったのは、誰のせいでもないと思う。

今、僕には上手い言葉が見当たらないけど、ご主人のために頑張った一年間、
その意味だけは、忘れないでいてほしいと願っている。


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by hiro-ito55 | 2014-04-01 21:28 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(2)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー