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量より質を求めて二極化


九月五日厚生労働省から、
認知症に対する五か年計画、通称『オレンジプラン』が発表されました。
オレンジプランといっても、
 アメリカ合衆国国防計画のことではありません。)
     ↓↓
     オレンジプラン


オレンジプランは、
介護保険事業下において、
認知症の状態に応じた、より適切なサービス提供体系推進するため、
厚生労働省が描いた青写真

認知症には、
早期発見、早期治療、周囲の理解と見守り
必要であるという観点から、

大きく分けて、
医師やコメディカルなど、医療専門職への教育と専門的医療機関の育成
認知症サポーターや、認知症地域支援推進員などの地域社会資源の活用
認知症高齢者を支える家族への支援
の三つを主な柱とし、
認知症対応への基盤整備を、総合的に推し進めていこうとしています。

これを見ると、
認知症に対する医療・介護サービスを担う人材の育成は、
まだまだ実験段階にあるものの、

退院支援・地域連携クリティカルパスの作成に関しては、
医療機関からの退院見込者必要となる介護サービスの整備を、
介護保険事業計画に反映する方法を、今後二年以内に検討し、

平成二十七年度以降には、
それを介護保険事業計画に反映させていく方針であることから、

認知症利用者に対応できる体制が整っているかどうか
根拠にして事業所ごとに差別化を図るなど、
次回、或いは次々回介護報酬改定に、影響を与えるかもしれません

例えば、
退院後クリティカルパスに基づいたサービス選択した場合、
その受け皿となる事業所が、認知症利用者に対応できる事業所であれば
医療専門職を配置しているか、
 指定した研修を修了した者がいるかどうか
 など)、
そのためのハードルを設置し、加算を手厚くすることも考えられます。


恐らくこれからのキーワードは、
事業所の差別化』と『サービスの組み合わせ』になると思います。

例えば、
認知症対応への取り組みを基準にして期的な流れを見ると、

将来的に、
利用者をただ預かるだけの事業所との差別化を図っていくのではないか
予想しています。


介護保険施行されてから十二年
厚労省の求めるものが、
事業所の数』ではなく、『事業所の機能』となる時代に入ってきています。

身体的リハビリ特化型認知症対応特化型夜間対応特化型など、
何かの機能に特化した事業所加算の面で優遇する、

つまり、
量ではなく質を求める流れは、これからきっと加速する

そして
小規模の事業所は、何か一つの機能ウリにして細々と、
大規模の事業所は、特化複合型を求めて新しく事業所を展開したり
中・小規模の事業所を自社に取り込んだりする、

介護保険サービスを提供する事業所乱立している今、
これからは、そういう二極化が恐らく進んでいく

それが良いことなのか悪いことなのか、それを判断する前に、
各事業所が、そういう流れの中に投げ出される可能性は、
否定できないのではないかと思っています。

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by hiro-ito55 | 2012-09-28 19:42 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

死んだらみんな仏さま


死んだらみんな仏さま』という言葉があります。
これは、日本人の死生観であり、宗教観を表す言葉でもあります。
いい人も悪い人も、死んでしまったらみんな平等という捉え方は、
世界的に見て、とても珍しいものだと思うし、同時に一番誤解されやすい考え方だと思う。

例えば、家康公を神として祀った日光東照宮や、
大国主命を祀った出雲大社などは、今も破壊されずに残っています

そもそも明治政府から見れば、
徳川幕府創始者の家康は、錦の御旗に仇成す賊軍の象徴で、
維新の過程において、彼を神として祀る東照宮などは、
破壊されても不思議ではなかったはずだし、

また、国譲り物語で有名な大国主命を祀った出雲大社も、破壊されずに守られ
いずれも現代まで、人々の信仰を集めたり観光名所となったりしています。

こんなことは、
例えば、易姓革命政権の正当性の根拠とする中国大陸や朝鮮半島では、
歴史的に見ても、まずありえないことです。

易姓革命を根拠に権力者となった者は、自らの正当性を確保するために、
前政権の一族を、遠い親戚にまで遡って抹殺する『九族皆殺し』が当たり前で、
長い間、それを繰り返してきた歴史があります。

漢民族や朝鮮半島の人たちが、今でも自分の非をなかなか認めないのは、
こういった歴史が背景にあるからで、
東亜に限らず、むしろ世界的に見たらこっちの方が常識であったりするのです。

彼らには、
『死んだら悪人も善人もみんな同じ仏さまなんですよ。大切にしましょう。』
という考えは、容易には通じない。


例えば、中国の杭州に岳廟という有名な史跡があります。
岳廟は、中国の英雄岳飛(がくひ)を祀った史跡ですが、
そこには、岳飛を裏切ったとされる秦檜と、その妻の座像があります。

周りを檻で囲まれ、後ろ手に縛られて跪かされている二体の像で、
英雄である岳飛を裏切った仕打ちとして、
ここを訪れる中国人観光客は、この像に唾を吐きかけます。

彼らにとっては、
悪人は死んでも悪人なのだという考え方の方が、むしろ常識なのです。


しかし重要なのは、
そういうことが我々日本人から見て野蛮な考えだから改めろ、
などと言うべきものではない
、ということです。

例えば、死んだ人を、土葬や水葬にする国や地域が今でもありますが、
火葬が当たり前の国から見て、土葬や水葬は衛生上好ましくないから火葬にしなさい、
などとは言わないし、そういう考えを押し付けること自体、
その国の文化を否定することにも繋がってしまいます。

悪人は死んでも悪人という捉え方は、
儒教文化圏に生きる彼らの死生観であり、常識であるのだから、
他所の国民が、どうこう言うレベルの話ではないのです。


そして日本では、皆殺しの代わりに例えば島流しがあり、
武士道で言うところの、惻隠の情というものがあった。

『何も命まで奪わなくても』という考えは、
『死んだらみんな仏さま』という日本人の死生観と繋がっています。
そういう視点で見れば、靖国神社の合祀は当たり前のことなのです。

政治家の公式参拝や、分祀か合祀かで、毎年揺れる靖国問題ですが、
死んだ人間をどう祀るかは、その国の人が決めること
他国の人間がどうこう言うものではないのです。

靖国での祀り方や参拝に関しては、
『死者を同じように祀るのは日本人の死生観であり、宗教観である。』
と、一言政治家が言えば済むことで、

その国の死生観と政治問題は、
本来は切り離して論じなければならないものである筈なのに、
あれを、戦争責任や政治と絡めて問題化させているのは、むしろ中国や韓国なのです。

それにもし、分祀することが日本人として正しいのならば、
江戸城も日光東照宮も出雲大社も、蔑むような祀り方をするか、破壊してしまわなければ、
論理としては矛盾してしまいます。


そして、
『死んだらみんな仏さま』というのは、
実は、老人医療や介護に携わる僕らコメディカルにとっても、
とても重要な価値観ではないでしょうか。

死者を平等に扱うということは、生を平等に扱うということです。

たとえば年老いていく者や、死にゆく者を見て悲しいと感じ、
同時に、彼らの在りように尊敬の念を抱きながら、手を差し伸べていくのが、
老人医療や介護に携わる、僕らコメディカルの仕事。

専門性は、そのために発揮される手段であり、
何も共同体やコミュニティーなどと、取って付けたようなことを声高に言わなくても、
それを当たり前のこととして、今自分にできることを、黙々と実行している人たちが、
全国にはたくさんいると思う。

共に生きるということが僕らの価値観を支えている限り、
お互いを尊敬し合うことができる
それが分かっていれば、
生や死を平等に扱うということが、みんな同じように扱うということではない
ということにも、気付くはずです。

隣人は、自分と違って当たり前
それを尊重する視点から出発することでしか、僕らはこの世界に生きることはできないし、
それを支えるために、個性や専門性というものがあるのだとすれば、
共存することの意味というのも、きっとそこにあるのだと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-09-23 19:19 | 日本人 | Comments(0)

おはぎ

お彼岸ということで、
利用者さんと一緒におはぎ作りに挑戦。

まずは、うるち米もち米50:50の量で炊き、
炊き上がったら、すりこぎで米を潰し、粘り気を出していく。

Oさんの仕事
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作るおはぎは、きな粉あん二種類
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わいわいがやがや
材料が揃うと、急に忙しくなってきた
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まずは濡れ布巾で包み込み、掌サイズに型を作る
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そこに粒あんを入れ、
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包み込む
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外のきな粉足りない気がするが、いっちょ上がり
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こうして見てみると、何だかんだ言いながら、
利用者さん同士自然と役割分担して、テキパキと作業を進めていく
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あんのおはぎ完成
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ついでに、きな粉の方次々と出来上がる
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もはや、スタッフが口を挟む余地なし

あれよあれよと言う間に、
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人数分のおはぎ完成
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自分の取り分だけは、しっかりと確保
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皆さんおいしそうに召し上がる

そんな利用者さんを見るのが、僕は好き







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by hiro-ito55 | 2012-09-22 18:00 | 作業療法 | Comments(0)

介助は誰にとっての「楽」なのか


リハの仕事をしていると、介護職員の側から、
負担の少ないような動作介助を教えてほしい。』
といった質問が寄せられることがあります。

しかし、『負担が少ないような』というのが、
利用者にとってのことであればよいのですが、

最初から、介助をする側の、
自らの負担を少なくすることを目的として、
その質問が成されている場合が、ときどき見受けられます


気持ちは分かるのですが、
そういう捉え方は、プロとしては少し問題であるような気がします。

もちろん、
支援する側される側、双方にとって楽な方法があれば、
それに越したことはないのですが、

支援する側から見て、
楽に食事介助ができるとか、楽に移乗介助ができるといったことは、
ざっくり言ってしまえば、結果であって目的ではないからです。


人を支援するプロであるならば、
まずは、自分たちがどうやったら楽に介助を行なえるかではなく
支援される側が、どうしたらそれを楽に行なえるか
といった視点で、動作というものを見なければなりません

そしてそれを踏まえた上で、
そこから、どうしたら自分たちの介助負担を、
結果として軽減していく方向に導いていけるか

見つけていくのであって、

介助が、
人を『支援』するために工夫されるべきものであれば、
冒頭の質問は、この段階において初めて成されるべきものです。

その点自覚できていないと、介助する側は、
常に自分たちが楽に行える方法を第一にして介助というものを捉え、
そのための方法を探して回ることになります。

それは、
対人支援のプロの姿とは、言えないのではないでしょうか。

ですから、職員から質問されたときは、
『楽に』介助することの、目的と結果を履き違えていないか

或いは、自分たちの視点で話を進めるのではなく、
自分たちが支援する方の視点に立って、考えを進めようとしているか

まずは、その部分を確認するようにしています。

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by hiro-ito55 | 2012-09-20 01:01 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

言葉に対する感覚


今年古事記撰録から、ちょうど千三百年
古事記日本の始まりを語る神話

当時、書き言葉としての日本語
つまり、平仮名やカタカナが存在していなかった中で、

借り物の漢文ではなく、
日本人の心を、何とか日本語で表現しようとした、
古事記そんな書物

その結果、
としては、日本語の読みを強引に漢字に当て嵌めるといった、
非常に難解な文章になっています。

だから、
稗田 阿礼(ひえだのあれ)口誦を、
太安万侶(おおのやすまろ)らが書き写してから数年で、
誰も正確に本文を読めなくなったといわれています。

なぜ
そんな複雑なことをしたのか。

それは、
今、日本人の精神や世界観を表す最初の言葉を、
そのままの形で残しておかなければ、

今後、日本人の心を、
日本語で表現することができなくなってしまう

という危機感が働いていたからだと、言われています。


当時は、文章はみんな漢文で書かれていました

漢字表意文字だから、
文字の表す意味に強く惹かれてしまう

例えば、『』という文字は、
日本語で『あめ、あま』などと訓読されますが、

漢文の持つ『』の意味と、日本語の『あめ、あま』のそれには、
微妙なニュアンスの違いがあります。

書き言葉としての日本語がないということは、
この微妙な違いを無視して、『』=『あめ』というふうに、

日本人の感じ方が、
漢文の世界観に同化してしまう危険があるということ。

例えば、現代において、
日本の公用語英語にしてしまったとしたら、
数十年後には、『枝ぶり』や『咲きわう』といった、
日本語の持つ意味や世界観は、分からなくなってしまうでしょう。

コトバ輸入するということは、
文字だけを取り入れるという、そんな単純なことではなく
コトバの持つ世界観

つまり、
輸入元の文化や歴史までをも受け入れることなんだ、
ということは、忘れてはならないことです。


現代は、書き言葉としての日本語存在しますが、
当時の文章の公用語漢文で、それに対抗する言語を持っていない

しかも、
圧倒的な文化力の差でもって、漢文はどんどん輸入されている

そんな状況が、どれほど危険なものであったか

複雑表記古事記撰録背景には、
そういう言語に対する非常に鋭い危機感が働いていた
読むことができます


そしてその古事記本文を、
約千年振りに、ほぼ完全な形読み解いたのが、
本居宣長

千年も昔の日本人の心を、甦らせることができたのだから、
彼もまた、言語に対する非常に鋭い感覚を持っていたのでしょう。


言語に対する鋭い感覚を持っている人は、
文化や歴史、そこに生きる生身の人間というものを大事にする

逆に、
言葉を大事にできない人間は、
文化や歴史はおろか、人を大事にすることができない

というのが、僕の持論です。

報奨契約インセンティブと言ってみたり、
先導主導権イニシアティブと、
カッコよく言い換えてみたりする一方で、

遵守を『そんしゅ』、他人事を『たにんごと
言い間違えるようでは、言語に対する感覚は、鈍い


現代に生きる僕らは、コトバに対する感覚というか、
敬意というものを見失いがちで、

それが、自分や他人の持つ世界観を狭め
自分自身の感じ取る能力をも、削いでいるのではないか、


古事記撰録の背景から、翻って現代というものを考えてみると、
そんなふうに思えてきます

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by hiro-ito55 | 2012-09-16 16:21 | 日本人 | Comments(0)

僕らにできること


僕が管理者を務めているデイサービスでは、
通常業務において、専門職の立場として『こうあるべきだ』というやり方を、
他のスタッフ利用者押し通そうとすることを、
基本的に禁じています

ともすると僕らは、自分の専門性過信し、
相手に対しては、専門職の立場いいと思うものを、
真っ先に提示提供することで、過度にその存在をアピールしがちですが、

それよりもまずは、
利用者さん良いと思うものできること
やってみたいと思うこと一緒になって探し出し
それを共有していく姿勢を、みんなで大事にしていきたい

そしてそれを踏まえた上で、
必要な時必要な対応でもって、専門職の立場から相手を支援していく
という視点初めて生まれるわけで、

これを、毎日の対人支援の基本に据えています。


だから、
利用者さん集団レク体操機能訓練を、
毎回の決め事として提供することはしないし、

極端な話、デイサービスに来て、
今日は何だか半日ボーっとしていたいという利用者さんに対しては、

形としては、お茶を飲みながら
一緒になってボーっとしてあげることもできます。

勿論、
個別機能訓練加算算定していないからできること、
と言ってしまえばそれまでですが、

これから加算算定するようになっても、
こういう基本的な部分は、大事にしていきたい


思うに、
常に設定した目標意識させそれに向かって相手を追い込むのも、
対人支援のひとつの方法

そしてこちらが、
一般的なリハビリや対人支援のイメージかもしれません。

でも、そうではなく
自分や対象者の今日の歩き方が、
そのまま自然と目標を作り出していくということ、

それが当たり前の日常であれば、
今日の歩みを積み重ねていくことが、
そのまま紛れもなく、目的を貫いたということでもあり、

そのため継続的な支援の内に、
作業療法本当の正体があるのではないかと、

最近僕は、そんなふう考えるようになっています。


こうあるべき』という未来の話ではなく、
対象者自身向かっている今という現実に、どのように処するか
という姿勢のうちに、今日の歩き方というものはある

それを、
誇りを持って大事にしていけること未来があるし、

そこに、
対象者の作業選択や、生活の自由があるように思うのです。

自分自身や相手と争ってまで掲げなければならないような、
何かの代償を求めて止まないものなど、きっと自由とは呼ばない

それを、支援する側に立って考えてみれば、
各スタッフ考え方やり方を、何もひとつに統一する必要はなく、

僕らに出来ることは、
それぞれが自分の能力役割自覚しながら、
お互いの差異を認め合うことで、

それが、
結果として、各専門職の多様性引き出し
良い支援へと結び付けていくこと可能にする。

本当のチームアプローチとは、そういうものだと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-09-13 19:38 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

Rolling Days


デイサービスの敷地内に、小さな畑があります。

今月中に白菜や大根の種を植えるため、
肥料代わりにと、スイカやカボチャの皮を埋めておいたけど、
それを栄養にして、雑草がポコポコと生えてきました。

よし、いっちょ抜くか。』と、
利用者のOさんと相談して、おやつ前に畑をきれいにすることに。

外はまだ暑かったけど、
畑仕事が得意なOさんは、不規則に育った雑草を次々と抜いていく。



かつて僕は、対人支援というこの仕事を、
今よりもずっと先鋭的に考えていた時期がありました。

もうずっと前の話だけど、
老健の作業療法とは、対人支援とは、『こうあるべきだ』と考え、
自分にも他者にも、それを求めて仕事をしていました

例えば、作業に関していうと、
認知症利用者のアクティビティーは、
アイ・ハンド共同作業による認知機能の活性化を促すため
に成されるべきで、

そのためには、
決まった場と空間を、習慣的に再現する必要があると捉えていました。

そして、その作業の習慣化が、
利用者の『こんなこともできるなら、あんなこともやってみよう
という意欲を喚起し、

他のADL動作や余暇活動への参加による自主性や、
社会性を向上させる切っ掛け作りに繋がる、
そう信じて疑いもしなかった

だから、
そういう在り方で対人支援に臨むのは当然だと考え、
協力してくれる他のスタッフにも、
利用者一人一人にそのように臨むべきであることを
半ば強要していました。

理解しようとしないスタッフには、
理論を振りかざして、知らず知らずの内に辛く当たっていました。

でも、
今ははっきりと言えるのですが、
こういうやり方自己満足以外の何ものでもない

理論としては素晴らしいものかもしれないが、
方法が明らかに間違っています

その証拠に、
そのうち利用者さんの方が、僕に気を使うようになってきました。

あなたが一所懸命にやってくれるから。』と、
作業参加が義務のような形になってしまったことにも気付かず、
逆に参加を、利用者の意欲向上の表れだ勘違いしていました

作業に限らず、
ADL練習に対しても、そのようなスタイルで仕事をしていたから、

当時の僕は、他のスタッフを信頼しない
独善的な恐いOTと思われていたように思います。

結局、僕のやり方は、
自分以外のスタッフを見下し、気を使わせてしまうだけで、
そういう姿勢は、利用者さんにも必ず伝わってしまうものだという、
そんな簡単なことにも、気付けずにいました。

野球でいえば、守備の上手い三塁手が、キャッチングの下手な一塁手を
『お前の守備は素人レベルか。何とかしろ。』と詰るようなもの。

それではチームの守備力は上がらない

むしろ、
一塁手はエラーが多いと分かっているなら、
彼が取り易い球を投げられるように、
自分が工夫する努力をしていくよっぽど大事で、

結局のところ、
そういうことがチームの守備力を上げることにも繋がっていくのです。


人によってやり方や能力にバラつきがあるのは当然で、
それなら、その差異を指摘するのではなく、
自分がちょっとだけ違うものを認める努力をすること

下手をすると、それは
お手々繋いで仲良くという姿勢に陥りがちだけど、

慣れ合うことと他者を尊重すること根本的に違う



ほれ、終わったよ。』
Oさんが笑顔で振り返る。

気がつけば、畑の雑草がみんなきれいに抜かれている...。
Oさんの手際の良さには、思わず感心してしまう。

暑いね』と言いながら、
これで土を起こし直して、肥えを入れれば後は種を蒔くだけ
と、笑顔で教えてくれる。

今、目の前にいるOさんは、
僕をどんな作業療法士だと感じているのだろうか。

じゃあ、手を洗っておやつにしましょうか。』
僕も笑顔で応えてはみたけれど、

僅か5~6年前の話に、
今はなんだか、随分と遠い昔の出来事のような錯覚を覚えながら、
Oさんと二人で畑を後にする。

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by hiro-ito55 | 2012-09-09 01:24 | 作業療法 | Comments(0)

ガラスの様な雨


今日は久しぶりにご利用を再開した利用者さんもいらして、
その方が気兼ねせず一日を過ごして頂けるようにと、
少しバタバタとしたけど、

リラックスして一日を無事に過ごして頂き、
まずはホッと一息

利用者さんスタッフも帰った後、
戸締りをして、いつものように帰宅の準備をしていると、
窓からオレンジ色の夕日が、ちょうど僕の真正面に差し込む

すると、
バックの夕日が綺麗な、この歌を思い出した。



うし! 明日もガンバロ。







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by hiro-ito55 | 2012-09-03 23:30 | 音楽 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー
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