考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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新しいスタート


新しい職場に勤め始めて、およそ二週間

当初の予定では、
訪問リハビリに配属予定だったのが、

巡り巡って、
結局、デイサービスの管理者を務めさせて頂くことに。

デイサービス定員15名以下小規模型で、
築40~50年の、普通の民家を借りて行っています。

民家だからもちろん室内は段差だらけで、寝浴などもないけれど、
利用者さんにとっては家庭的というか、
近所の集会所に出掛けて座談会に参加しているような、
何か皆さん、そんな気持ちで通って下さっているようです。

勿論、僕個人一作業療法士として、
現場での仕事にも、同時進行の形で関わっています。


管理者としての最初の仕事は、
周辺の、お世話になっている各居宅介護支援事業所への挨拶まわり

管理者が代わったことの連絡と、
うちのデイの特色再度アピールして、
引き続きお付き合い下さるよう、お願いに上がる

この挨拶まわりで、二週間の半分が過ぎました。


これからは、
作業療法士管理者の、二つの役割を担うことになるけれど、

各スタッフの考え方やり方を、ひとつに統一するのではなく
それぞれが自分の出来ることや役割を自覚して、お互いを認め合える

そんな職場作りをしていくことで、専門職の多様性引き出し
利用者さんへの対人支援に結び付けていきたいと考えています。

管理者作業療法士という、求められる役割は違えども、
僕にとってそれは、同じことである気がするし、

時間は掛かるかもしれないけれど、
これから、そんなことを少しずつ具現化していきたい気持ちでいます。

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by hiro-ito55 | 2012-08-31 20:34 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

シャルル・ボネ・シンドロームCharles Bonnet Syndrome
というものがあります。

CBSは、糖尿病性網膜症白内障
或いは事故などで、眼や脳の視覚路に損傷を受けると、
損なわれた視野の部分に、幻覚が現れる障害のことです。

そしてこの幻覚は、
その人が自分の意志でもって意識的にコントロールすることはできず
また、眼を閉じれば見えていた幻覚も消える
という特徴があります。

医学的には、
ある程度までそのメカニズム解明されているそうですが、
詳細は未だはっきりとしていないようで、

現在このような症状を呈する患者の多くは、
精神科に回され、薬物投与を受けることが多いそうです。


幻覚という、
そこに本来ありもしないものが見えるということが、
知覚の問題なのか概念の問題なのか、
実はその区別は、哲学の分野にも及びます

それは、例えばこういうことです。

今、パソコンに向かってブログを書いているとき、
自分の座っている椅子の後ろにある風景
例えば机など家具の位置全体的な配置は、
直接見なくても自分の頭に思い描くことができます

そしてその風景には、自分の好きな猫や置物など、
自分の意志でもって新たに付け加えることも可能です。

これは、大雑把に言ってしまえば、
記憶想像という概念の領域に属するものです。

しかし、
自分の後方で何か物音がして、
振り返ってみるとなにもなかったというのは、
気のせいで片づけられる類の、知覚の問題に属します


或いは、
僕らは、車でよく通る道頭の中で思い描いて
途中通る風景を、頭の中に思い描くことができるし、
車を運転している自分人の動きを、勝手に想像することもできます

しかし、
実際にそこを車で通ってみると、
あったと思っていた店の看板が違っていたり、
新しく店ができていたりするなどの発見をすることがあります。


このように、
知覚概念は、僕らの生活に混在しているのですが、

問題は、幻覚という対象認識の不具合が、
現代医学のように客観的な立場で見てみると、
対象のない知覚』ということになり、

反対に、その人自身の立場に立ってみれば、
現実味を帯びた『記憶や想像の不具合の産物』であるということで、

どちらの立場で捉えるかによって、
大きな違いが出てくるということです。

前者知覚の問題で、後者概念の問題となります。


そして、
これに認知症が加わると、もっと複雑になります。

前の職場に、Sさんという入所者がいました。
Sさんには時々、三人の子供見えました

夜中でも昼間でも、自分のベッドの脇に子供がいるのが見えて、
実際に会話をしたりすることもありました。

訊くと、『そこにいるじゃない』と指を差して、
その子たちが着ている髪型などの特徴を、
教えてくれたりしました。


また、別にAさんという方がいました。

この方は、
天井裏から水が落ちてくる
女の人がそこに閉じ込められて泣いている
窓から煙の臭いがする
などの訴えがあり、

ある日、一人で施設のエレベーターを操作して一階に降り、
公衆電話から警察に電話をして
夜中に警察が駆け付けるということがありました。


Sさんのように幻覚が穏やかなものであればいいのですが、
Aさんのように、幻覚が恐怖の対象である場合は、
周りへの影響は深刻なものになります。

幻覚に対しては、その症状を抑えるために、
薬物による治療を施すという方法が現代医学の主流で、

実際にAさんは、精神科病院に入院して薬物投与を受け続け、
ほぼ寝たきりの状態になってしまいました。


幻覚に対し、
周りへの影響を抑えること優先させた治療が必要であるか、
或いは、その人の立場を優先させた治療優先させるか、
その判断は非常に微妙ですが、

そういう判断を下すための基となる基準を辿っていけば、
知覚概念問題』に行き着きます。

僕らは、医師のように薬物を使用することはできないので、
現場では、そこにジレンマを感じる方も多いように思いますが、

作業療法士の立場として幻覚の問題を捉えれば、
少なくとも『知覚概念問題』に、
関心を寄せる必要があるように思います。

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by hiro-ito55 | 2012-08-26 17:02 | 作業療法 | Comments(0)

日本語由来の中国語


各メディアでも取り上げられていますが、
尖閣諸島の領有権を巡って、
中国国内での反日運動激化している様子。
↓↓
中華ボイス(exciteニュース)


領有権問題とは別に、この記事の中では
日本が中国に輸出した最も多いものが、
 自動車やテレビましてや漫画・アニメではなく、言葉の単語

であるとし、

現代中国語の社会科学単語の70%が日本語に由来する』とする
中国CCTVディレクター許文広(シュー・ウェングアン)氏
言葉紹介されています。

例えば次のような単語
経済”や“哲学”、“環境”、“芸術”、“医学”、“法律”、“人権”、
 そして“抗議”も日本語に由来する外来語』であること、

つまり、
中国語になった日本語の一例を紹介しています。


僕らは何となく、
漢字は全て大陸(今の中国)から我が国に伝わったもの
と思っていますが、

逆に、中国に輸出されて
中国語化された日本語も、数多く存在していることに、
僕ら日本人も、ほとんど気付いていないようです。

記事で紹介されている単語の他にも、
日本語由来の中国語はたくさんあります

調べてみただけでも、これだけありました

体操 体育 記録 代表 優勢 劣性 入口 出口 大型 小型
市場 組合 絶対 相対 直接 間接 左翼 右翼 主体 客体
主観 客観 時間 空間 理性 感性 予算 決算 動脈 静脈
商業 工業 理想 理念 重工業 軽工業 石油 出版 支配
民主 民族 政党 原子 電子 電波 保険 国際 協定 社会
企業 投資 広告 景気 歴史 科学 農民 総理 漫画 世紀
注射 資本家 百貨店 伝染病 図書館 所得税 所有権 自然科学
土木工学 保健 保障 保証 保釈 背景 必要 便所 表情 表現
博士 不動産 材料 倉庫 財閥 財務 財政 弁護士 承認 抽象
出席 初歩 癌 処方 処刑 病理学 舶来品 意味 意志 改善
根本的 宗教 取締 取消 高利貸 自由 哲学 経済 信用 人格
住所 労働力 政策 固定資産 人民 共和 共産主義  etc...。



実に多くの日本語が中国語化されていること
びっくりしますが、

中でも、彼らが掲げる 『共産主義』までも、
日本語由来であることには、驚きです。


また、記事の中では
自分の国を愛しているのなら、
 祖国が他国から尊敬や畏敬の念を
 抱かせるように努力すべきであり、
 安っぽい怒りで自分の無知でちっぽけな考えを
 訴えるべきではない

と、許文広氏の言葉紹介しています。

尖閣諸島歴史的に見て、
我が国の領土であることに、間違いはありませんが、

許文広の言葉は、我が国の一部の過激な人たちにも、
当て嵌まることではないでしょうか。

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by hiro-ito55 | 2012-08-21 00:10 | 社会 | Comments(0)

好信楽と対人支援


好信楽』 という言葉があります。
物事や対象に対し、これを好み、信じて、楽しむ
という意味です。

これは、江戸時代の学者本居宣長の残した言葉で、

彼は、
自分の進める学問から、山川草木の自然に至るまで、
物事を知るときには、この好信楽という基本的態度で臨み、

それを、
生涯に渡って貫き通した人だったようです。

だから彼にとっては、
天地万物、皆、吾が賞楽の具なるのみ』、

つまり、
学問をするときでも、生活するときでも、
自分にとっては、人生のあらゆる場面が好信楽であり、
それこそが『風雅に従うこと』 なのだと、

自分の人生を賭して、
そこまで徹底的に向き合うことができた人です。


宣長自身もまた、優秀な学者でもあったけれど、

その一方で、
学者面した知識人や、物知り顔の人間
徹底的に嫌い抜いていたようです。


当時、
学問といえば儒学のことを指したようですが、
儒学は 『天下を治め、民を安んずる』 ための学問。

凡人では天下を治め、民を安んずることはできませんから、
儒学を学び究めることは即ち、聖人の道を究めんとすることでした。

聖人とは、何の変哲もない凡人の、対極に位置する人のことです。

だから、儒学を学ぶ者には皆、
人にして礼儀無くんば、其れ禽獣(きんじゅう)を如何せん』 

つまり、
人間であるのに、儒学のような学問を身に着けていなければ、
 それは鳥や獣と同じではないか
』 
という強い自意識があり、

そのために却って儒学者自身を、
しばしば、一般人では知り得ない高度な学問を学んでいる
という気にさせてしまいます。

実は宣長は、このようなタイプの人間を、
徹底的に嫌い抜いていたようです。

彼にとっては、このような儒学者の態度は、
鼻持ちのならないとても傲慢なものに映ったようです。


彼自身は、
聖人の書を読みて、道を明らかにし、
 而して後に、禽獣たるを免れんとするか、
 亦(また)迂(う)なるかな


つまり、
聖人の書いた書物を読み、
 その教えを学ぶことで人間の道というものを悟り、
 自分が鳥や獣と違うことを確かめようとするとは、
 なんと遠回りなやり方であろうか
』、
そんな風に考えていました。

或いは、
聖人の道を説いた孔子でさえも、
現実の世界においては、
その道を忠実に実践することができなかったというのに、

儒学を学ぶ多くの者は、
自分ならば、それを実践できるとでも思っているのだろうか

ならば、なんと傲慢な考え方であろうか。

所謂、学者面した知識人は、
彼にはそんな風に映っていたようです。


人間同じでないこと
つまり、人間が人間であることを確かめるために、
わざわざ聖人などという特殊な立ち位置必要とすることは、
確かに不自然であるし、

そのような空想的人格から見て、
現実と切り離せない人間の実態や根拠というものが見えてくる、
などと考えるのは、なんと見下した傲慢な考えであろうか、

それよりもなぜ、現実に生きるしかない、
そういうどうしようもない自分の在り方反省し、
深く考えるということをしないのか、

恐らく彼には、それが不思議でならなかったのでしょう。


宣長物事に対する態度は、
尊敬や関心でもって、物事を知ろうとする姿勢にあります。

対象に対する 『好信楽』 がなければ、
つまり、風雅に従わなければ、
なかなかその対象を本当に知ることはできない
という、彼独自の確信です。 

そのような確信が、
それまで千年もの間、誰も解読できなかった古事記の正確な解釈を、
彼に可能にさせます。


現代においても、
学者面した知識人や、博識を鼻にかけるタイプの人間は、
至る所にいます

対象を自分から切り離して眺めて、
他との関係性機能性発見するというのも、
確かに、知ることのひとつの方法に違いありませんが、

逆に、尊敬関心でもって対象直に接し
そこから世界を広げていくというのも、
紛れもなく『知ること』のひとつの方法である筈です。

そのような知は、体系化されずに、
その人いなくなればそれで終わってしまうような、
そんな危うさを持っているものかもしれませんが、

もし、一人一人の人間の経験価値があるとするならば、
きっと一人一人自分の経験反省し、大事にしていきながら、
淡いグラデーション描いていける

そういうところに、人の多様性の鍵があるように思うのです。


現代に生きる僕らは、科学なしでは生きていくことはできないし、
これは科学的に証明されていることだ。』 と言われれば、

自分実際に経験していなくても
何となく 『なるほど。そうだよね。』 
と、納得させられてしまうものです。

しかし、
共に生きる』ことを援助する対人支援職には、
物事に対する好信楽という姿勢に、
作業療法のもっと重要なヒントが、そこに隠されている

そのように思えてきます

皆さんの『好信楽』は何ですか

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by hiro-ito55 | 2012-08-19 16:54 | 作業療法 | Comments(0)

お墓参りと木刀


お盆なので、
昨日は、おじいちゃんおばあちゃんお墓参りに。

今は、もう誰も住んでいないおじいちゃん家の鍵を開け、
まずは雨戸を開けて、家の中に風を通す

もう7年間誰も住んでいないのに、
家の中の「におい」は、
おじいちゃんおばあちゃん生きていた時と、
全く変わらない


小学生のとき、
夏休みには必ずここに泊まりに来てたっけ。

隣の公園でセミ採りをしたり、
おばあちゃんと歩いて市場まで買い物に出掛けたり...。

風呂上りには、
必ず冷たいファンタグレープのジュースを出してくれて、
西瓜を食べさせてくれた。

おじいちゃんおばあちゃんは、
いっつも僕たち兄弟を、温かく迎えてくれた

今は誰も住んでいないけど、
家の中の「におい」と思い出だけは、ずっと変わらない

縁側に腰掛けて風鈴の音を聞きながら、
しばらくの間、そんなことを思い出してみる。



お墓は、おじいちゃん家から歩いて2分ぐらいのところ。

天気が心配だったけど、
まずは、数年ぶりに訪れたお墓の周りの雑草を、
ひとつずつ丁寧に抜いていく

それが終わると、
柄杓で汲んだ墓石に少しずつ掛け、
を添えて線香を灯す。

ついでに、
二人が好きだったタバコにも火を点けて、
線香の隣に二本一緒に添えておく

そして手を合わせながら、
ここ数年間の僕の近況と、
来れなかったことへのお詫びを、やっと二人に報告

隣には、無縁仏ちっちゃいお墓があるので、
同じようにを掛け、お花を添えてあげる...。

お隣同士だからね


吹き出す汗を拭いながら再び家に戻ると、
お仏壇にも線香を灯して、お花を添えて合掌

そこでふと、
居間のソファーの後ろに立てかけてあるものが、
僕の目に止まった

木刀...。

縁側から差し込む
薄ぼんやりとしか見えなかったけど、
あっ」と思わずが出る。

おじいちゃん護身用にと家に置いていたもので、
晩年は、杖代わりに使っていた木刀

実は、おじいちゃんの形見にと、
母と今までずっと探してはいたけど、
どうしても見付からなかった

それが、ソファーの後ろに立て掛けてある

なぜ今まで気付かなかったのか、不思議に思いながらも、
手に取ってみると、ずっしりと重い


そういえば、
おじいちゃん剣道の有段者で、
名古屋千種高校では、
ラグビー部の顧問を務めていた熱血体育教師

毎朝750ccのバイクで登校し、
生徒から『鬼の鉀四郎』と恐れられていた話を、
母から何度も聞かされた。


教え子には、舘ひろしがいる。

舘ひろし担任でもあったおじいちゃんは、
嫌がる彼を、自分が監督を務めるラグビー部強引に入部させ、
心身ともに徹底的にしごいて、主将にまで育て上げた。

あいつを不良から立ち直らせたのは、俺だからな。
 あいつも多分、俺の事は忘れていないだろう
。』
が、おじいちゃんの口癖だった。

その証拠に、
7年前のおじいちゃんお葬式には、
舘ひろしから、一対のでっかい献花が送られてきた。
         
 


        

         
長さ90cmぐらいの木刀を片手に、
どうしようか迷ったけど、

お墓参りのお礼に、おじいちゃんが 
持っていってよし。』
と、めて言ってくれたような気がした


おじいちゃんにもう一度お礼を言って、
雨戸を閉め、帰り支度をして車に乗り込むと、
申し合わせたように雨が降り出す

まるで、
僕が全てのこと終えるまで、待ってくれていたかのような
土砂降りの雨

不思議な気持ちと同時に、温かい気持ちになる。

彼岸にはまた必ず来ます。』

そう言い残して、思い出の家を後にする。

来てよかったなと、
逆に僕の方が、
そんな優しい気持ちにさせられてしまったことに、
改めて気付かされる

おじいちゃん、おばあちゃん、
ありがとね


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by hiro-ito55 | 2012-08-14 00:23 | 日常あれこれ | Comments(0)

暑気払いドライブとヘボ


有給中で時間もあるし、天気も良かったので
昨日は、愛車RX-8を走らせて、久し振りの山道ドライブ

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ロードマップを片手に、とりあえず北へと向かう。
なぜかと言えば、南よりも涼しそうなイメージがあるし、
山は涼しい、という単純な理由

だから、国道419号線
山に向かって、ひたすら北上することに。

目指す
頭にあるのは、とりあえずそれだけ

途中、豊田市内三河名物五平餅』の看板を見つけるも、
とりあえず無視して先を進む。

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数10分で市街地を抜けたかと思うと、
辺り一面に広がる田園風景

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ここから少し行くと道も空きはじめ、
快適なドライブ道が続く。

山道に入るとシフトチェンジが楽しく、
こういう時に、MT車の醍醐味を味わえる。

すれ違う車も後から付いてくる車もほとんどいないため、
途中、何度も車を止めてパシャリ

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よく手入れされ、整理された田圃

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で閉ざされるこの町も、
今は日本の原風景のような景色が、目の前に広がる

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このまま進もうかどうか少し迷ったけど、
腹も空いてきたし、
さっきからこの看板↓↓気になっていたので、

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もう少し先まで行ってみることに。

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到着

どうやら、蕎麦ウリらしい。

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時間帯のせいなのか客は僕一人だけど、
店内は天井も高く小奇麗で、店員さんの対応も親切
少しホッとする

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地元のテレビ番組にも
取り上げられたこともあるようです...。

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さて、メニューは見事に蕎麦一色

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どの蕎麦にしようか迷っていたところ、
店員さんの奨めで、天ぷら蕎麦を注文。

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美味そう


食べてみると、
冷たい蕎麦もっちり感と、
揚げたての天ぷらサクサク感が絶妙。

最後に蕎麦湯を頂いて、ごちそうさま


腹も膨れたところで、
景色を楽しみながら、のんびりと帰ることに。

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途中、明智市内気になる看板発見↓↓

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ヘボ』 って何だ...(;一_一)?







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by hiro-ito55 | 2012-08-11 16:05 | 日常あれこれ | Comments(2)

Tomorrow


そういえば、
ブログを始めて今日で丸二年

書き始めた当初
こんなに続くとは思ってもいなかったし、

正直、20個ぐらい記事を書いて
終わるだろうと思ってたけど、

何やかやで、200以上記事書いてしまっている...。


元々、自分の頭の中を整理するつもりで始めたブログ

なるべく抽象的な内容にならないよう
配慮しながら書いてきたつもりだけど、
どうですかね?

中には
コツコツ定期的に読んで下さる方もいらっしゃり、
感謝の一言です。


リハビリを、
機能訓練介護保険枠の中だけで捉えるのではなく、

対人支援という、自分の役割をしっかりと果たしながら、
色んな人と共に時間を過ごして生きるということは、
一体どういうことなのか

僕はいつだって現実主義だけど、
その答えを、自分の経験を通して探していきたいし、
これからも、そんな記事を書いていけたらいいと思う。


と、そんなことを考えていたら、
鈴木彩子の『Tomorrow』を思い出した。↓↓

改めて聴くと、ホントいい歌です。




これからも、宜しくお願いします(^_^)







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by hiro-ito55 | 2012-08-09 19:20 | 日常あれこれ | Comments(0)

最後の出勤


今日が、今の職場の最終出勤日

もう一度最後の挨拶にと、今日一日中、利用者さんと話をする度に
ありがとう』 の言葉を掛けて頂きました。

本当はこちらこそ、ありがとうなんだけど...。

最後に言うのもなんだけど、
こういう言葉を聞くと、

やはりケアプランは、
利用者のためにあるものでなくてはならないと、
改めて思い直します。

ともすると、家族の意向職員の動きなど、
利用者に関る人の都合優先されて、
本来のプランの主旨が段々うやむやにされていくことも多々あるけれど、

周りの人間が、
そういう自分都合の動きにならないように
上手くサポート体制を作っていくことも、
対人支援では重要なことです。

本人が望むもの各専門職全力でサポートしていく、
基本そこにあるべきで、

例えば、
杖歩行自分の好きなときに好きなだけフロアー内で行いたい
と利用者が強く望めば、

例えそれが、その利用者の趣味の範囲を出ない望みであっても、
各専門職は、それを全力で支援するべきだと思う。

反対に、
今日は何だかボーっとしていたいと望む利用者がいれば、
ベランダの花を眺めながらでもいい、
一緒になってボーっとしてあげる

極端な話、そんな時間と場の共有の仕方アリだと思う。

この人は杖歩行での自立を目指すわけではないからだとか、
決まった時間に歩くわけではないからだとか、

自分都合で考えて、
それをサポートできないことを言い訳にするのではなく、

それを安全に実現させるためには、どうしたらいいのか
それを考えるのも、プロだと思う

専門職として、自分がどれだけの支援をすることができるのか
そういうことに、僕らは常に全力であるべきだと思うのです。

だから、
関る人によって、利用者の過ごし方が制限されるようなケアプランは、
良いプランとは言えない

それは、
けして誰が関っても同じという意味でもない


次の職場在宅の分野
できる限り利用者と共に過ごす時間大切にしたい
そんなふうに思います。

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by hiro-ito55 | 2012-08-04 19:32 | 日常あれこれ | Comments(0)

逝きし世の面影


僕の好きな本に、
渡辺京二著 『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)があります。

知る人ぞ知る名著で、
密かにロングセラーとなっているそうですが、

この本で紹介されているのは、
江戸後期から明治にかけての日本の文明の姿について。

当時、
日本を訪れた外国人たちが残した膨大な量の手記を基に、
著者の鋭い洞察が加えられています。

ここには、
近代日本が失ってきたもの
そしてそれが、
西欧社会とは違う質の、立派な文明であったことが、
克明に記されています

この本の中では、
日本に対して批判的な外国人と、親日的な外国人
その双方の手記が、随所に記されていますが、

彼らが押し並べて感じたことは、
この国の住人(日本人のこと)は、幸福そうだ。』
という点。

当時は西欧中心の帝国主義の時代ですから、
日本を訪れた西欧人たちも、自分たちの文明こそ世界一だ
という価値観で日本を見ていた筈で、

その彼らを以ってしても、
日本人は幸福そうに見えたというのは、一体どういうことなのか
今一度考える機会を与えてくれるし、

そして、
僕ら日本人が本当に誇るべき過去を持っていたことに、
懐かしいなと単に感傷に耽るのではなく

現代と照らし合わせることによって、
逆に、今の混沌とした社会の姿を、
読者それぞれの心に鮮明に映し出すことができる

そんな一冊だと思います。


現代に生きる僕らも時代の子

自分自身主体的自分の人生を決めているように思えても、
自由、平等、民主主義、社会福祉といった近代的な価値観影響
少なからず受けています。

その一方で、
環境破壊人種差別いじめなど、
反人間的な面も生まれていることは、否定しようのない事実です。

ある時期まで、日本人自然と個々に身に着けていた
人に対する情の深さ信頼、或いは礼節といったものが、
封建的、或いは前近代的という理由で解体され、

代わりに、
個人を束縛するものから解放する自由平等といった、
観念的なシステムとしての近代的価値観がもてはやされる、

僕らは、そんな時代に生きています


例えば、
東京スカイツリーイオンに、万人と挙って出かける現象は、
メディア携帯端末から得られる情報から、
僕らが画一的な行動駆り立てられているだけであって、

それは、
自分自身各自の意思に従って、
自分の行動主体的に決めているわけではないし、
自由を謳歌していることにもならない

その反面、
東日本大震災に伴う震災がれきの問題や、
絆という言葉があれほど声高に叫ばれるのは、

僕らが嘗て当たり前のように持っていた
人に対する情や信頼、礼節といったものが、
逆に今の社会では、当たり前でなくなっている証拠
なのかもしれません。


思うに、
礼節といったものは、人の自由を束縛するものではなく
人がお互いを生きやすくするための智恵である筈で、

自由とは、分を守る中で、
それぞれが自主的に生きることだと思う。


例えば、
商売人の家の子が、商売人として生きるということは、
商売を通じて様々な人と出会い
社会との繋がりの中礼節学び
自分を表現する機会を得るということで、

それが、彼が生きるという意味になります。

この場合、
商売人という枠組みは、
彼の自由を束縛する制限とはならないし、

そういったことに、
自由が齎す幸福というものがあるように思うのです。


分を守る中で、それぞれが自主的に生きること自由ならば、
それは、人と環境に有機的な連環を生み出すことと、同義だと思う。

そういった人や社会との繋がりは、
ポストモダニストが好んで口にする 
対幻想』 や 『大きな物語』 といった、
人間が作り出した恣意的なものではなく、

歴史や文明の中で生きるしかない僕らの、
確かな大地だと思うのです。

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by hiro-ito55 | 2012-08-01 17:42 | 社会 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー