考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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自分の才能を楽しむ人


オランダの物理学者であり、
彫刻家でもあるTheo Jansen(テオ・ヤンセン)氏。

彼の作品、“Strandbeest”(ストランドビースト)は、
彼曰く、『風を食べて(つまり風力で)動く生き物。』

コンセプトは、
芸術と科学の境界線上の作品を作ること




学者芸術家という二つの道を歩むうちに、
彼の中で、このような発想が生まれたのかもしれません。

日本でも、よく 『文武両道』 と言われますが、
その意味は、現代風に言うならば、
人生のイノベーションに繋げるため なのかもしれません。
(形になるものも、精神的なものも含めて)

でも、イノベーション云々よりも、
何よりも彼自身が、とても楽しんでいるように見えます。

自分の才能を楽しむこと
それができることも才能、なのかもしれません。







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by hiro-ito55 | 2012-02-27 12:38 | 社会 | Comments(0)

食事が違う...。


私事ですが、ここ三日間ほど風邪気味で
やや体調不良の日が続いています。

いつもよりテンションは低いですが、
リハ誘導のため、利用者の居室にお邪魔すると、

いきなり両手を掴まれ、泣きつかれる


話を聞けば、その日の昼食は味噌カツだったけど、
自分だけ他の入所者とメニューが違うとのこと。

この方は、栄養管理の関係上、肉類は提供禁止で、
出された食事は野菜中心のもの。

しかも、細かく刻んだきざみ食のため、
綺麗に盛り付けされている他の方とは
見た目も、それとはっきり分かるほどの違いがあります。

その食事を、何の説明もなく黙って差し出されたため、
皆と同じ、おいしいものを食べられない
自分の不甲斐なさが感じられ、
今まで溜めていた感情が、爆発したようです。


自分が肉類を食べられないことは、ちゃんと承知しておられ、
けれども、それならそれで事前にちゃんと説明してほしかった

その説明が一度もないことが、
悔しくて堪らなかったようです。


大勢の中で、他人と違うということは、
時に利用者の孤独感を、強調させてしまうものです。

もし、
食事をおいしく食べられることも、生活リハビリならば、

僕が、
認知症の方の生活リハビリは、人間関係そのものだ
と思うのは、こういうときです。


以前にも、この方が近くの職員を呼び止めて、
ねぇ、なんで私の食事だけ皆と違うの?
と、尋ねている姿を目にしたことがありますが、

この方は、どんな気持ち
他人と違う食事を、毎日食べているのか。

ひょっとしたら、今までもずっと、
できた食事を、そのまま漫然流れ作業のように、
この利用者の下へ配膳していたのではないか。

職員のそういう無自覚な態度が、
利用者に孤独感を与えていたのであれば、

自分たちの日常的なその動きが、
ものを扱うような、ルーチンなものになっていた可能性があります。


認知症があっても、利用者はちゃんと見ています

自分たちがもののように扱われていれば、
それを、敏感に感じ取ります。

そして、
それらは、BPSD感情の爆発として現れます。

そのような反応を、どう受け取れるかは、
普段の僕らの、心掛けしだいだと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-02-23 20:13 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

沈黙の時間に耳を傾けられない人は
コミュニケーションを上手く取ることはできない
。』

これは、
認知症の利用者と接する際の、僕の持論です。

ひょっとすると、
認知症の利用者とコミュニケーションを取るときには、
BGM笑いを利用して、とにかく場を盛り上げなければならない

そんな風に思い込んで、介護やリハをしている方は、
案外多いかもしれません。

しかし、
そういった勘違いをしてしまうと、
利用者の 『声』 は、僕らにはけっして届きません


僕らは、何のために利用者とコミュニケーションを取るのか。

それは、
相手のことをよく知り
よいものを上手く引き出し、それを活かすためです。

そのためには、
相手が表現できる時間と場作りをすることが、
利用者とのコミュニケーションでは求められます。

その中では、
沈黙も大事な利用者の声です。

そのを聴き取るために、
相手の言語・非言語に表現される 『』 を
まずは、よく聴き取らなければなりません。

沈黙を恐れて、無理に場を盛り上げようとしたり、
或いは、笑いを取ろうとしたりするのは、
時に、その大事な声を遮断してしまいます。

相手が表現できるまで待てない人は、
場を上手く盛り上げなければならないと、焦ってしまいます。

しかし、
場を盛り上げることだけに一所懸命になっていると、

自分が、
とても一方的なコミュニケーションの場を作り出している
ということが分かりません


コミュニケーションの場が、
利用者の時間ではなく、その人の時間になっている
ということが分からない
のです。


レク、リハ、日常生活動作介助
施設生活のあらゆる場面において、
利用者は案外と、職員に気を使っているものです。

これまでに利用者の口から、
忙しいのにごめんね』 『次の人も待っているでしょ
といった台詞を、何度聞いたことか。

利用者に気を使わせているのは、
レク、リハ、動作介助など利用者と接する時間が、
職員の時間で動いているということです。

コミュニケーションの場に限らず、
利用者の時間が、職員都合の時間になっていれば、
僕らの仕事が、自己満足に陥っている可能性があります。

利用者と接するときは、
相手のをよく聴き取るよう心掛けているか、
利用者の時間を奪ってはいないか、

自戒の意味も込めて、
自己反省してみるのも、大事なことだと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-02-21 17:40 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

PDCAサイクルは、
自分たちが計画したり、行動したりしたことを、
そのままやりっ放しで終えたり、
個々にバラバラに見直したりするのではなく、

それらを、
循環するひとつのシステムとして捉えるところに、
その特徴があります。

ですので、
前回の 『第一段階』 が理解できていれば、
今回の 『第二段階』 は、それほど難しくはありません。

サイクルの基本は同じで、
言ってしまえば、
そのサイクルの大きさが違うだけなのです。


第二段階:グループ間での実施(大きなPDCAサイクル)
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・各グループ内で引き続きPDCAサイクルを実施する。
・具体的な問題点や改善できた点などは、
 継続してグループ内の利用者に実施していくとともに、
 他のグループにも、
 その経験によって得られた具体的な方法や、知識を申し送る。
⇒各グループ間での知識や技術といった情報の共有化
・他のグループ内でも、それぞれの受け持ちの利用者でそれらを実施し、
 今度はグループ同士の間で、上記のPDCAサイクルを実施する。
 そのサイクルは、上記『第一段階』に同じ。



そして、最終的には、
第二段階で得られたこれらのサイクルを、複数のグループ間
すなわち施設全体での
更に大きなサイクルへと、拡大していきます。

イメージとしては、以下のようになります。
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前回の第一段階と、
今回の第二段階で示したPDCAサイクルを実施することで、
期待される効果について纏めると、

効果
・各個人が個人レベルで意識して個々で行なうよりも、効率がよい。
・各グループ内、グループ間での安全な介助方法・知識の共有化が図れる。
・実際の介助業務における方法の応用化が図れる。
・個人レベルにおける安全な介助方法、事故予防への意識化が図れる。
・具体的な行動を、グループ内での業務から開始し、
 それを他のグループにも拡大していくことで、
 無理なく施設全体での具体的な事故防止へと繋げることができる。
etc…



僕らリハ職介護職の行う業務は、
利用者の能力を活かしつつ、
安全に行えるものでなくてはなりません。

特に認知症の利用者に対しては、
人間関係そのものが生活リハであるのですから、
ただ漫然業務をこなすのではなく、
考えながら行動することが求められます

今回は、
事故防止への取り組みとして、
PDCAサイクルを採用した場合の可能性を示しました。

事故防止に限らず、このような組織の捉え方は、
他の業務にも応用できるかもしれません。


そういった理由で、
いわば、『すぐに使えるHow to』 ではなく、
考えさせるHow to』 を提示したのですが、
介護の現場の反応はいかに。







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by hiro-ito55 | 2012-02-14 19:22 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

前回、チームアプローチには纏まった動きが必要の中で、
組織として業務改善に取り組むことへの重要性について
少し触れました。

前回述べた通り、
今回は、その 『仕掛け』 の部分を、
PDCAサイクルを手掛かりにして、考えてみたいと思います。


これは、先日 『事故防止のための計画提案』 
として、現場に提出させて頂いたものなのですが、

ここで言うPDCAとは、
P:Plan(計画立案)、
D:Do(計画に基づく具体的行動)、
C:Check(具体的行動の評価・改善)、
A:Action(改善した方法の具体的行動)

の頭文字のことで、

これをひとつのサイクルとして捉えたものが、
PDCAサイクルと呼ばれるものです。

これを図で表すと、以下のようになります。
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PDCAサイクルは、
元々は、一般企業の事業活動における生産管理品質管理などの
管理業務円滑に進めるための手法のひとつで、

日本では、
1990年代にISOシリーズと呼ばれる、
品質マネジメントシステム関係の国際標準化規格の導入で、
有名になりました。

これを、『事故防止のための取組み』 を例にして、
介護現場でも応用することができないか、
少し考えてみました。


まず、前回述べた通り、
僕の職場では、介護部長をトップに利用者を四つのグループに分け、
それぞれのグループに職員を配置し、担当させています。

この四つの各グループを、最小単位の組織として捉え、
まず、その組織内(各グループ内)での行動
PDCAサイクルを起こします。(第一段階)

そして次に、
その最小単位のサイクルをグループ間同士の、
つまり、もう一段大きいサイクルに変えていきます。(第二段階)

これを繰り返し、
いかに事業所全体としての取り組みに繋げていけるかを、
考えてみたいと思いますが、

少し長文となってしまったので、
今回は 『第一段階』 について書いてみます。



第一段階:各グループ内での実施(小さなPDCAサイクル)
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①P:Plan(計画)
・食事介助、移動介助、排泄介助など、個々の介助方法について、
 分からない部分や、今の自分たちのやり方では危険であると思う部分を、
 各グループ内で話し合い、問題意識の共有化を図る。
 (この時点では、具体的な解決方法まで考える必要はない。)
・共有化が図れたら、それを纏めて介護部のトップに提出。
・介護部トップに提出したらそれでグループの役割は終わりではなく、
 グループ内でも、個々の介助方法についての分からない部分や、
 危険であると思う部分について、勉強会を開く。
・もしくは、各個人で勉強会に出席したり、調べたりして、
 グループ内で知識や問題意識レベルの共有化を図る。
 (途中経過などは介護部トップに報告し、ある程度の期限を決めて実施。)
・そして、共有化できた知識や方法の中から、すぐに実施できそうなもの、
 或いは優先順位を決めていく。


このPlan(計画)の段階では、
何よりもまず、グループ内での問題意識の共有化を図ること
を、優先させなければなりません。

そうでなければ、後の行動全て
個人プレイに繋がってしまう危険があります。

PDCAサイクルを、組織として進めるに当たって、
もっとも重要な段階と言えるでしょう。


②D:Do(具体的行動)と C:Check(行動の評価・改善)
・共有化で得られた知識や方法を、実際の業務において、
 自身のグループ内の利用者を対象に、具体的に実施する。
・その際も、常に出てくる問題点や、
 行動することによって生じた改善点を具体的に洗い出し、
 グループ内で自己チェックを繰り返し行いながら実施する。
 (チェック内容は、より具体的である方がスムーズに動ける)。
・そして、ある程度、それらが纏まった段階で、
 介護部トップにその内容を報告。
⇒各グループと介護部トップの間で、具体的な問題点や改善点の共有化



③A:Action(改善した方法の具体的行動)
・改善できた方法があれば、それを継続的行動へと移す。
・この段階で、どうしても上手くいかない場合、或いは改善点がなければ、
 初期の段階で、根本的な問題があると思われるので、
 「①Plan」へ戻り、再び②、③へと進む。
・細かな修正であれば、
 「②D:Do(具体的行動)と C:Check(行動の評価・改善)」の
 サイクルの繰り返しであってもよい。


これらを分かりやすく図で表すと、
以下のようになります。
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これを踏まえ、
次回は、『第二段階』 について書いてみます。







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by hiro-ito55 | 2012-02-12 17:15 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

僕は、今の職場で事故防止委員会というものに入っています。
目的は、文字通り利用者の事故を減らすため。

どこの職場でもそうだと思うのですが、
介護やリハをしていて、利用者の事故いかに減らせるかは、
喫緊の課題です。

こちらの努力防げる事故は、防がなければなりません。

ただ、職員毎の能力危機意識
或いはやる気そのものに差があるのも事実で、
こういった取り組みには、組織立った関与が必要です。

よくあるのは、
組織やチームとしての動きを効果的なものに変えるためには、
個人の意識を変えることがまず第一
だという考え方です。

しかし、
個人の意識が変わるのは、
チームとして試行錯誤していく過程で起こること、

或いは、チームとして辿り着いた結果であって、
最初に目指すべき目的ではないのですから、

そこのところは、まず押さえておかなくてはなりません。

(もちろん、チームで取り組むためには、
 個人個人が持っていなくてはならない最低限知識や、
 意識共有化を図っておくことは重要です。)


まず個人の意識変革ありきで、組織の変革を語ることは、
一見すると尤もらしく聞こえますが、

例え、最初に個人の意識変革が上手くいったとしても、
よほどの影響力のある人ならですが、
一般的には個人の意識変革というものは、
個人のレベルで完結してしまうことが多いのです。

何故なら、
個人の中で起こったイノベーションを、
組織全体イノベーションへと変化させていくには、

他者への伝達能力
とりわけ言語による表出・伝達能力という
別次元の能力が問われてくるので、

これらは、
全く別のものとして捉えなくてはならないから
です。

例えば、個人的にはとても優秀な介護職員がいたとしても、
その能力が、介護部全体としてのボトムアップに繋がらないのは、
そういった別の能力が要求されるためです。


そうなれば、優秀な職員個人能力に頼って、
チームがその能力に期待しているだけでは、
他のメンバーとの能力差は、なかなか埋まりませんから、
(つまり、組織全体としてのボトムアップに繋がらないから)

要は、チームとして取り組むためには、
いかに組織として纏まった動きを取れるかが、
となることが分かります。

そのためには、
個人で行っていることを個人のレベルで終わらせない
他のメンバーを巻き込みながら、
組織全体の動きへと変化させていくための 『仕掛け』が必要となります。


例えば、僕の職場では、利用者を四つのグループに分け、
それぞれのグループに職員を配置し、
担当させています。

このグループを最小単位の組織として捉え、
日々の業務改善のために、
いかに事業所全体としての業務改善に繋げていけるかを、

次回、
事故防止対策を例にして、
PDCAサイクル手掛かりにしながら、考えてみたいと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-02-10 18:45 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

先日、病院から再入所された
佐賀県出身おばあちゃん(90歳代)。

前回退所されたときは、本人の強い希望もあり、
ケアマネさんが家族の方と粘り強く話し合って調整をして、
なんとか自宅退所にこぎつけたのですが、

その後、
自宅のトイレで転んで右足の骨を折り
病院入院・加療して、
状態が良くなったところで、施設に再入所されました。

けれど、このおばあちゃん、
退院するときには、娘さんから 『自宅に帰る』 と言われて
施設に連れてこられたようです。

娘さんの話では、
夜、トイレに一人で行かれては、また転ぶかもしれないので、
本人が夜間のオムツに慣れてくれれば、在宅に引き取りたい
。』
とのことですが、

本人の年齢と、複数の老健に申し込みをしている現状を見れば、
恐らく、在宅に引き取るつもりはないような気がします。


おばあちゃんは、
そんな娘さんの対応に、怒りを感じています。

夜、オムツにされることや、
自宅に帰れないことに対する怒りではなく、
そうやって、親を騙すようなことをしたことに対してです。


リハ休憩中に、本人に自宅の話をすると、
もう、それはよか。よかばってん。』
と、一喝されてしまいました。

そして、
兄弟姉妹や友人も、
自分の知っている人は、みんな死んでしまったことで、
もういつ死んでもよかよ。覚悟はできとるばってん。』
と、話し始めました。

そして、
娘さんに対しては、恨む気持ち不満などは全然なく
ただ 『今までありがとう。』 と、
感謝の気持ちだけであることを、話してくれました。

僕が、『立派だな。』 と思って、
その気持ちを伝えると、
あんた、いい男ね。よかよ。』
と、ニコッとして、満面の笑みを返してくれる。


この仕事をしていると、
時々、こういう笑顔に出会うことがあります。

このおばあちゃんのように、
覚悟を決めた人のというのは、なんて美しいんだろう
と、その姿に惹きつけられてしまう瞬間がある。

自分の覚悟を決めた人の笑顔には、
何とも言えない魅力があると、いつも感じてしまう。

おやつの時間には、
差し出されたお饅頭に向かって両手を合わせ、
いつも 『ありがとう』 と感謝してから頂く、

その姿にも、言葉だけではない魅力があります。


今後、在宅生活復帰へ向けた話も
ケアマネさんを中心に、進めていくかもしれませんが、

そうやって、また、
家族周りの人悩んだり揉めたりする方が、
このおばあちゃんにとっては、
恐らくつらい事のような気がします。

そんな家族の姿を見たら、
きっと、このおばあちゃんなら、
もう、よか。あんたら、もうよかよ!
と、一喝する。


以前、
ある介護職員が酔っぱらって
老健は、介護もリハも全ての利用者に
在宅復帰を目標としたものを実施しなければいけないんです
。』
と、職場の飲み会で、僕に絡んできたことがあったが、

この仕事は、
そんな理屈だけが通るような、単純なものではない。

人生の引き際を、どのような形で迎えるかは、人それぞれ

このおばあちゃんのように、
自分が離れた場所に身を退いて
遠くから見守ることで、家族に迷惑をかけずに、
みんなが穏やかに生活していってほしいと願う、

そういう人生最期の迎え方も、あると思う

そういう人に出会ったとき、
僕にはいつも言葉がない

その人の身になってみれば、
いつでも、言葉はないのです。

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by hiro-ito55 | 2012-02-05 17:48 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(2)

職場まで徒歩5km。


今日はいつもより一時間早く起床

これだけ書くと、
なんか、朝からやる気満々な人みたいだけど、

前日の予報を見ていたため、
どうせで車は使えないと思い、

徒歩で出勤することにしたのです。


まず、足元に気を付けねば...。
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5㎝ぐらいは積もっている。
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これなら、
でも行けるかな、と思ったけど、
せっかく早起きしたので、
このまま歩いて出勤することに。


と、
歩いて20分もしないうちに、どんどんが。
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歩くことは嫌いじゃないし、
やっぱ、徒歩で正解だと思いながらも、

40分も歩いた辺りから、
正直、歩くことに段々と飽きてきた


途中、自販機で缶コーヒーを買って気合いを入れ直し、
職場までの道のりを、また再び歩く
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気合いの入った顔で信号待ちをしていると、
あら、まこっちゃん、やっぱり今日は歩いて学校行くの?
と、知らないおばちゃんに声をかけられる。

どうやら、近所の若者(学生さん)と間違えたらしい...。


結局、定時に到着できたけど、
出勤所要時間は1時間10分(徒歩)。

そして、
帰りも徒歩

帰りの気温0℃前後。


朝、夕と
休憩もとらずにひたすら歩き続けたので、

帰ったら、
さすがに足の裏の、指の付け根あたりが痛い。(-_-;)

一日の内でこんなに歩いたのは、
いったい何年振りだろう...。







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by hiro-ito55 | 2012-02-02 20:12 | 日常あれこれ | Comments(0)

読売新聞Web版(2012.01.28)より。

終末期胃ろう「治療差し控えも」…老年医学会
日本老年医学会(理事長・大内尉義(やすよし)東大教授)は28日、
高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給について、
治療の差し控えや撤退も選択肢」との見解を示した。

終末期医療に対する同学会の基本的な考え方を示す
「立場表明」の改訂版に盛り込まれ、
同日の理事会で承認された。

「立場表明」は2001年に策定されたが、
その後の実態に即したものにするため、10年ぶりに改訂された。

近年、口から食べられない高齢者
胃に管をつないで栄養を送る胃ろうが普及

病後の体力回復などに効果を上げる反面、
欧米では一般的でない、認知症末期の寝たきり患者などにも広く装着され、
その是非が議論になっている。

改訂版では、胃ろうなどの経管栄養や
人工呼吸器の装着に対する見解が初めて盛り込まれた

高齢者に最善の医療を保障する観点からも、
患者本人の尊厳を損なったり、
苦痛を増大させたりする可能性があるときには、
治療の差し控えや撤退も選択肢
」とし、
「患者の意思をより明確にするために、
事前指示書などの導入も検討すべき」とした。



日本老年医学会の立場表明が、11年ぶりに改訂されました。
     ↓↓
日本老年医学会「立場表明2012」(2012 年1 月28 日理事会承認)


日付は2012年1月28日となっていますが、
ホームページに掲載されたのは1月31日です。

しかし、
今回の改定版でも、『終末期』 の定義
前回2001年版と同じで、曖昧なまま

ただ、前回はその定義の論拠が、

高齢者の終末期」の定義に関しては現在ではこのような曖昧なもの
であるが、 (中略) 不可逆的,進行性の過程をたどることの多い
個別疾患ごとの検討が日本老年医学会の今後の課題となるであろう


として、
老年医学会の、今後の課題として挙げられていましたが、

今回は、

高齢者は複数の疾病や障害を併せ持つことが多く、
また心理・社会的影響も受けやすいために、
その「終末期」の経過はきわめて多様である。
そのため臨死期に至るまでは余命の予測が困難であることから、
「終末期」の定義に具体的な期間の規定を設けなかった


としています。


終末期における胃瘻造設や看取りの在り方について、
僕の基本的な考えは、

『胃瘻と終末期医療(2011年9月1日付記事)』 

で示したので、そちらを参照してください。



人の終末期を一律に定義することは、非常に困難です。

しかし、
どんなが、人間らしい死の迎え方であるかは、
人によって異なるものであって当然だと思いますが、

少なくとも、
認知症末期の利用者が亡くなるまで、
胃瘻による栄養供給と、ベッド上での生活が延々と続く在り方が、

人間らしい終末期の姿であるとは、
とても言えないのではないでしょうか。


11年ぶりに改訂された今回の立場表明では、
日本老年医学会が、
高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給について、
治療の差し控えや撤退も選択肢」である


と捉え直し、

終末期の医療やケアについて、議論する倫理委員会
またはそれに相当する委員会を設置すべきである


との見解を示したことは、
時代の流れに即したものである とは言えるでしょう。

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by hiro-ito55 | 2012-02-01 03:00 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー