考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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すっかりチェックするのを忘れていましたが、
『第88回介護給付費分科会資料』 が発表されましたね。
     ↓↓
『第88回分科会資料』


今年、自分と関係のありそうな部分を中心に、
これから詳しく見ていこうと思いますが、

それと関連して、気になるのは、
今年の医療・介護保険同時改定に先立って開催された、
昨年の12月7日の『中央社会保険医療協議会の総会』における内容
     ↓↓
『脳血管疾患、運動器の維持期リハは「ふさわしい評価」に(~CBnews~)』


内容は読んでいただければ分かると思いますが、

・疾患別リハのうち「脳血管疾患等」と「運動器」の維持期のリハビリに関して
 は、12年度の報酬改定で「ふさわしい評価」に見直す
・維持期のリハビリについては介護保険での対応を徹底する方針
・12年度改定後は医療による維持期リハビリの必要性を検討
・「維持期のリハビリテーションを医療(保険)でみるのは、
 原則的には次回(14年度)の改定までとさせていただく」
 (厚労省保健局の鈴木康裕医療課長)
・維持期のリハビリは現在、月13単位まで医療保険での算定を認められている
 が、厚労省では、これが介護保険への移行を阻んでいるとみている
・「このまま何もしないでいれば、介護への移行は永久に進まない」
 (厚労省保健局の鈴木康裕医療課長)


といったものです。


背景には、
膨らむ社会保障給付費(年金、医療、福祉その他)の中で、
医療給付費増大1970年:2.1兆円⇒2007年:31.0兆円
抑えたいという思惑があるのは、周知の通りです。
(注:数値は「国立社会保障・人口問題研究所」発表のもの)

また、
中医協の行なった調査によれば、( 『資料(総-1-1)』
維持期のリハビリが介護へ移行できない理由』 として、
維持期のリハビリは現行の13単位内で提供出来るから
62.2%と、もっとも多く、

次いで、
患者にとって、医療から介護へ移行することに対する
心理的抵抗感が大きいから
」が28.7%
通所リハビリでは個別のリハビリが受けられないから」が、18.2%
通所リハビリではリハビリの質が不明であるから」が、15.0%
と、なっています。

こういった患者側の実感や、心理的傾向を踏まえ、
厚労省としては、
短時間で個別リハビリだけを受けて帰れる利用の仕方
推進していく、

という青写真を描いているようです。


その証拠に、
前回の介護保険改定では、
通所リハビリの利用時間枠に『所要時間1時間以上2時間未満
が設けられ、

今回の改定でも、
所要時間2時間以上3時間未満』の時間枠が、
新たに設けられる予定です。


訪問リハや訪問看護が
なかなか普及していかない現状も踏まえると、

もし、
厚労省保健局の鈴木医療課長の発言そのままに
流れが推移していけば、

「脳血管疾患等」と「運動器」の維持期外来リハを行なっている
各地の診療所クリニックの多くは、
この2年以内に、デイケア(通所リハ)化が図られる計算となります。

そして、多くの診療所が、
3時間未満の短時間利用型』に流れることを、
計算していることになります。

今回の介護保険改定(予定)でも、
医師の常駐の必要のないデイサービス(通所介護)には、
3時間未満の利用枠が認められていない差別化が図られているのは、
そういった思惑があるのでしょう。
(参考:(別紙1)指定居宅サービスに要する費用の額の算定に関する基準 )

しかし、
介護保険制度には、区分限度支給額というものが設定されています。

介護・福祉用具の貸与や、ホームヘルパーの利用などで
支給限度額に達してしまえば、これがネックとなって、
通所リハの利用までには至らないケース予想されます。

そういうケースが多く出た場合、
果たして厚労省の描く青写真通りに、事が運ぶのかどうか、
これからの流れを見極める必要があるでしょう。


それにしても、
いくら社会保障給付費膨らむ一方にあるとはいえ、

その原因を、患者や医療従事者の責任と言わんばかりの
厚労省保健局医療課長の発言は、
些か高飛車な態度に映ってしまいます。







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by hiro-ito55 | 2012-01-29 16:33 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)
仕事帰りに夜空を見上げると、
がとてもキレイだったので、
持っていたデジカメで一枚撮ってみた。
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が、倍率最大にしても、
なかなか上手く撮ることができない...
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...どころか、
肉眼で眺めた方が、キレイな気がする。


デジカメじゃ、やっぱりダメかな、
ちゃんとしたカメラだと、もっとくっきりと写るかな、
などと考えていると、

小林秀雄の 『お月見』 という随筆を思い出しました。


小林の知人が、京都の嵯峨で月見の宴をしていた時のこと。
若い会社員たちが、酒を呑みながら月見をしている席に、
たまたまスイスから来た客人が数人、同席していた。

彼らには、日本人たち一座の
月見』という雰囲気が、どうしても理解できず
今夜の月には何か異変でもあるのか』 
と、怪訝な顔で質問したという話。


それについて、
小林秀雄は、次のように書いています。

この日本人同士でなければ、容易に通じ難い、
自然の感じ方のニュアンスは、在来の日本の文化の姿に、
注意すればどこにでも感じられる。

ところが、近代化し合理化した、現代の文化をいう場合、
そんな話を持出すと、ひどく馬鹿げた恰好になる。
何か全く見当が外れた風になるのはどうしたわけか。

意識的なものの考え方が変っても、
意識出来ぬものの感じ方は容易には変らない。

いってしまえば簡単な事のようだが、年齢を重ねてみて、
私には、やっとその事が合点出来たように思う。

新しい考え方を学べば、古い考え方は侮辱出来る、
古い感じ方を侮辱すれば、新しい感じ方が得られる、
それは無理な事だ、感傷的な考えだ、
とやっとはっきり合点出来た。

何んの事はない、
私たちに、自分たちの感受性の質を変える自由のないのは、
皮膚の色を変える自由がないのと
よく似たところがあると合点するのに、
随分手間がかかった事になる。

お月見の晩に、伝統的な月の感じ方が、
何処からともなく、ひょいと顔を出す
取るに足らぬ事ではない、
私たちが確実に身体でつかんでいる文化とはそういうものだ。

古いものから脱却する事はむずかしいなどと口走ってみたところで
何がいえた事にもならない。

文化という生き物が、生き育って行く深い理由のうちには、
計画的な飛躍や変異には、
決して堪えられない何かが在るに違いない。

私は、自然とそんな事を考え込むようになった。




デジカメで上手く月を撮れなくても、
月をキレイだと思える日本人としての感性があれば、
とりあえずは、それでいいではないか。

それに何の不足があるのだろうか。

そんな気持を、
小林秀雄が教えてくれました。







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by hiro-ito55 | 2012-01-25 20:25 | 日本人 | Comments(0)

共感から始まる世界


智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。(草枕)
                       ―夏目 漱石―



共感から始まる世界というものがあります。

共感するのは、情緒のはたらきですが、
情緒がしっかりとしている人は、
自分や人にとって不幸とは何か
或いは幸福とは何か ということが分かります。

理論からではなく、身近なこととして、
まず、感じることができます。


それほど遠くない過去において、
経済的にも、労働的にも、教育においても、向こう三軒両隣
ある程度、当たり前のように隣近所で支え合っている
という時代がありました。

困ったときはお互い様』 という、
共感的な生活態度です。

そういった生活が
いわば、一人の人間が育つため、生きていくための、
根っこの部分を成していた。

それが、人間の情緒を育む大事な土壌となっていた。

それは、時には窮屈なものであったかもしれないし、
その時代に返るのが良いとは、一概には言えないけれど、

現代は、その根っこの部分が希薄になっている
と、言うことはできると思います。


そして、その根っこを失った現代人にとって、
自分や人の 『生きるとは』 『苦しみとは』 『老いるとは
といったことが何か、ということを、
自分の内発性、つまり、情緒にうまく委ねられずに、

まずは、理性でもって向き合わなければならないことが、
不幸であり、苦しみであるのは事実です。


前回も書いたように、
なぜ人を殺してはいけないのか。』 といった判断には、
理屈を超えるものがあります。

確かに、
理性的に生きるということは素晴らしいことですが、

情緒という下支えがしっかりしていて、
欲望や本能をコントロールする理性が
しっかりとしたものになるのです。

それには、
情緒の深さや豊かさを、知らなければなりません

しかし、情緒の深さを知っていても、
それに溺れてしまっては、
これまた、情緒を知らないのと同じで、
不幸なことなのです。

情緒を知って、その扱い方を知らない
或いは情緒にただ溺れるのではなく、

情緒の深さや豊かさを、詳しく知りながら、
それに流されない身の処し方
を、知らなければならない。


大人になるとは、そういうことだと思うのです。


そのために、
まず自分の女々しい部分弱い部分
そういったものを含めた自分の情緒を、
ちゃんと考えてみるべきなのです。

そして、
その情緒は、けして悪いものではないと、
はっきりと認識しなくてはなりません。


一見すると、同じように理性的に振る舞っていても、
自分の情緒深く認められる人と、そうでない人では、
人間の深みに雲泥の差が出てくるものなのです。

普段は理性的に振る舞えていても、
一旦、タガが外れると、
一気にガタガタっと崩れる人、

或いは
間違った方向に突っ走ってしまう人がいますが、

そういう人は、
どんなに頭が良くても、大人とは呼ばない

それは、
自分の理性が、共感という情緒によって、
ちゃんと支えられているかどうかの違い だと思うのです。

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by hiro-ito55 | 2012-01-22 21:53 | 哲学・考え方 | Comments(0)

理性を支えるのは情緒

当たり前のことについて、
思うところがあったのでもうひとつ

それは、
なぜ、人を殺してはいけないのか。』
なぜ、自殺してはいけないのか。』 
ということについて。


例えば、
皆さんは、1997年の 『神戸連続児童殺傷事件
を覚えているでしょうか。

別名、『酒鬼薔薇事件(さかきばらじけん)』 とも呼ばれ、
数か月に渡り、複数の小学生が殺傷された事件です。

この事件では、
犯人が14歳の少年であったということと、

犯行声明文とともに、
被害者の頭部が中学校の正門前に置かれたことが、
社会に大きな衝撃を与えました。

この事件の後、
なぜ、人を殺してはいけないのか。』
という問いを投げかける若者が、一時的に増えた 
という話を聞いたことがあります。

しかし、
この問いに理性で答えようとすると、
なぜ』 という問いが、際限なく返ってくるだけ
ということが分かると思います。


何故かといえば、
人間は、人を殺すこともできるし、自殺することもできる、
そういう生き物です。

でも、
そういうことができるからこそ、
それを選ばない』、という選択肢も、
同時に与えられていることは、忘れてはならないのです。

つまり、
人を殺すことができるからこそ、
或いは、自殺することができるからこそ、
僕らは 『それを選ばないこと』 ができるのです。

それが、『人間らしい』 ということであり、
その人間らしい判断を支えているのは、
理性ではなく、情緒だと思うのです。


例えば、
数学者岡潔は、生前こんなことを述べています。

いまの中学生は同級生をだとしか思えないと言うのです。
私は義務教育は何をおいても、
同級生を友だちと思えるように教えてほしい。

同級生をだと思うことが醜い生存競争であり、
どんなに悪いことであるかということ、
いったん、そういう癖をつけたら直せないということを
見落としていると思います。

獣類にはいろいろな本能や欲情がある。
ところが獣類の世界が滅茶苦茶になることはない。

なぜ、ならないかと言うと、獣類の頭には、
本能や欲情に対する自動調節装置がついているのですね。
そのために放っておいてもひどいことにはならない。

ところが人の頭には
本能や欲情に対する自動調節装置は全然ないのですね。
その代わり意識して自主的にそういうものを抑える力
大脳前頭葉に与えられているのです。

人はその働きを行使することによってのみ
人として存在し得るという、そういう構造になっているのです。



ここで岡潔の言う義務教育とは、
一言で言ってしまえば、情緒の教育のことでしょう。

人間は、
自らの本能欲情自動調節できない代わりに、
意識して、それを抑える力を働かせようとすること、

つまり、理性で本能や欲情を抑えることで、
それで、人として存在し得るものならば、

その理性の働きを支えるのは、
同級生を友だちと思えるよう』 な情緒です。


現代は、ポストモダンの時代と言われて久しいですが、
そのポストモダンの現代においては、
人はなぜ生きなければならないのか。』
なぜ人を殺してはいけないのか。』
といった問いに対してさえも、
人は自主的に、意識して考えなければいけない時代です。

しかし、
これらの問いに対して、理性で答えていこうとすると、
なぜ』 という問いが、際限なく返ってくるだけ

ということが分かると思います。

そうであるなら、
選べるからこそ、それを選ばない
そういうときの判断は、
理屈を超えている ということが分かると思います。

人間の中には、理屈を超えられるものは、
情緒しかありません。

選べるからこそ選ばない』 のは、
理屈ではなくて、
間違いなく、人間の情緒的な態度の現れなのです。

だからこそ、現代において、
当たり前のように人間らしく在るためには、
情緒を育んでいくことが、
人間らしさを守る、唯一の手段であると思うのです。

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by hiro-ito55 | 2012-01-17 21:20 | 哲学・考え方 | Comments(0)

僕の性格は...。

ちょっと時間があったので、
暇つぶしにexciteの 『動物占い』 なるものをやってみた。
↓↓
動物占い

これによると、
僕は 『はどはど組の狼』。

人物像は、
葛藤多き孤高の奉仕家』 
と出ました。 (ノз`)ペチッ

基本性格は、
ややガンコなところがあるが、
 自分を顧みずに筋を通すような純粋さが魅力。
 頭の回転が早く、豊富な知識を持つ。
 自己管理能力にすぐれ、勤勉な努力を続けられる能力がある。
 非常に考えが深く、物事を論理的に考える
。』。

(ΦωΦ)ムムム...

これだけ読むと、
なんだか僕って、随分とデキる人みたいに思えてくる...。

でも、この手の占いは、
そう思わせることが 『』 なんでしょうね。(;一_一)


ついでに、『はどはど組』 が気になったので見てみると、

・自然でいうと 「ピンクのかがり火」!
 アートなハートを持つ人です。
・創造力や空想力に富み、人の思いつかないようなアイデアが
 次々に浮かんでくるのです
。』

と書いてありました。

お、なんだかいい感じ。☆(゚∀゚)
もう、当たってなくてもいい感じ

でも、
そう思わせることが 
』 なんでしょうね...。(;一_一)

ま、がある人は、
やってみると面白いかもしれません。
↓↓
動物占い






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by hiro-ito55 | 2012-01-16 19:35 | 日常あれこれ | Comments(0)
例えば、宇宙飛行士が地球に戻ってきて、
再び地球に降り立ったりすると、
その瞬間に、地球には重力があると意識できるように、

或いは、が出て、一日中寝てたりすると、
自分に身体があるということを
改めて意識させられるように、

普段、当たり前のように扱ってきたものが、
改めて意識されることというのは、あると思う。

そこから離れて、或いはそれが不自由になって
初めてその存在気付かされることがある。

そんなとき、
僕らは自分の経験にとても敏感になることができる。

当たり前のことに対する不思議を感じることができる。

だけど、不自由でもないときに、
それが当たり前として存在しているときに、
それを意識することは、案外難しい


僕らは、自分というものを中心にして
考え、知り、感じ、行為すること
普段からそういう生活の仕方に慣れ親しんでいるし、

また、それが個性だと、
当たり前のように思い込んでもいるが、

それは仏教でいえば、無明小我
西洋哲学でいえば、自我
つまり、egoのこと。

egoisticに振る舞って、その存在の本当のよさ
姿などを知ることはできない


江戸時代の禅僧良寛さんという人がいます。
彼は、冬の夜の雨の音を聞くのが
とても好きだったらしい。

雨の音を聞いても、
始めはそのよさというものは分からない

けど、ずっと静かに聞いていると、
そのよさが段々と分かってくる

雨音を静かに聞くという自分の経験が、
段々自分の中で独立して、
活きてくるようになる。

そこには、
自分を主張するegoisticな姿勢存在しない

自分を抑える経験を通して、
当たり前のことを、
自分の中で活かすことができる。

作業療法でも、それは同じかもしれない

優秀な作業療法士は、治療を通して
相手を活かすこと』 を自然と行なえているもの。

僕らは、
相手の中に 『ないもの』 を引き出すことはできないから、
相手のよさや、当たり前に扱っているもの
引き出し、意識化することで、
治療に結びつけることができる。

相手を活かすために、Egoisticに振る舞っても、
相手の中に存在するものの
本当の姿に気付くことすら、たぶんできない。


本当は当たり前でも何でもないのに、
それに気付くことができるのは、

無明抑えて相手のことを静かに受け止める
そういう経験ができる人、

いわば、詩人に近い人 なのかもしれない。




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by hiro-ito55 | 2012-01-13 00:11 | 作業療法 | Comments(0)

未だ移行期

前回の記事、『甘~い人々』 に、
チョッパーさんという方から、次のようなコメントを頂きました。

いとちゅーさん、はじめまして。
私の職場にも、自分に甘い人というか、
ちょっと勘違いしているような人がいます。

どう勘違いしているかというと、
「昔の曲」(回想法のつもり?)を流しながら、
利用者の前でやたらと大声でテンションを上げてリハをするのです。

話の内容も表面的なことばかりで、
とても利用者の気持ちに立っているとは思えません。
実際、効果が上がっていると思い込んで満足しているのは、
本人だけです。

本人は「楽しむこと」を提供するのが、
認知症のリハだと思い込んでいるのですが、
まるで中学生が昼放課にはしゃいでいるみたいに
ただやかましいだけで、

同じ訓練室でリハをすると、
利用者の声が聞き取れず、コミュニケーションに支障を来たすほどです。

リハを覗きに来た看護師やケアの方からも、
「リハは楽しそうでいいね。」などと、嫌味を言われます。

こんな人が自分の主任かと思うと、
同じ女性として、リハ職としてすごく恥ずかしいです。



チョッパーさん、ありがとうございます

このコメントを読ませて頂いて、
他人事ではないような気にさせられました。

僕の職場の上司も、こういう方なのです。

チョッパーさんの上司も、僕の上司も、
甘いというか、え方が少し古いのかもしれません。


介護保険制度が始まる前、老人保健施設では、
集団レクメインに、リハを行なっていたところも多いようです。


個別でのリハがなかなか充実しなかった理由として、

リハ人員確保の困難さと、
制度上、個別加算が義務付けられていなかったこと、

また、施設管理者側の理解不足のため、
訓練室の場所施設の片隅に追いやられたり、
物品が揃えられず使いにくかったりしたこと

が挙げられるでしょう。

その中で、より多くの利用者リハを体験してもらうためには、
集団でやらざるを得ない事情がありました。

集団で行なう以上、どうしてもレク的な要素が強まり、
個別のときよりも、利用者との接触は希薄になってしまいます。

その代り、
リハを提供する側には、『元気よく』 『明るく
という要素が求められていた というのは、
諸先輩方から伺った話です。

リハ職としては、実に穏やかな時代であったようです。


しかし、
2000年4月介護保険制度が始まり、
個別でのリハは必須とされ、
このようなリハの在り方自体も、見直されていきました。

介護保険制度が始まって12年近くになりますが、
チョッパーさんの上司も、未だその穏やかな時代から抜け出せず、
その感触を引きずって、仕事をしているのかもしれません。

そういう意味で、
リハの現場は、未だ 『移行期』 にあるような気がします。


僕がまだ駆け出しの頃
職場のある先輩は、次のように漏らしていました。

個別リハ生活リハと言われるが、
我々リハ職は、一日に20分訓練を行なって、
残りの23時間40分は、利用者を診ていない
なら逆に、まずは与えられた20分
利用者が与えてくれた時間』、と考えようじゃないか。

そうすれば、その時間が、いかに重要な時間か分かる筈で、
我々は、その限られた時間の中で、利用者が何に悩み
何を必要としているかしっかりと見極めて考える必要がある

20分を 『元気よく』『明るく』 だけではなく、
利用者の24時間想像できるような、
そんな20分にすることが我々の務めで、
そのためには、利用者の言語・非言語に表現されるものを、
しっかりと受け取ってやれる時間にしなければならない。

そういう風に、
利用者が与えてくれた20分を充実させることが、
まずは、大事なんじゃないだろうか。



たいへん深い言葉だったので、
今でも一言一句、はっきりと覚えています


確かに、一時的に多くの利用者を見てくれれば
業務効率という面ではよいし、
その意味で、
集団で 『明るく行なうリハ』 も、時には必要だけれど、

リハを受ける側、或いは提供する側としては、
相手が何をしてほしいのか相手はどう思っているのかを考え、

その上で、自分が何をするべきか
深く考え、実行できる人仕事をしたいものであるし、
また、受け持ってもらいたい と思っているものです。

それが、
現場で本当に求められる人財 だと思います。

チョッパーさんの上司も、
それに気付いていただければよいのですが...。

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by hiro-ito55 | 2012-01-09 15:23 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(2)

甘~い人々

昨日、元職場の上司の方とお会いすることができ、
一緒に食事をさせて頂きました。

その中で、
『最近は、自分に「甘い」ヤツが増えてきた。』
というお話を、盛んに仰っていました。

どうやら、
甘い』 のは実習生のことではないようです。

経験年数3~4年のリハ職でも 『甘い』 ヤツが多いと、
実感として、そう感じるのだそうです。

どう 『甘い』 かといえば、
まず、先輩や上司に、仕事のことで質問しに来ない
仕事は教えてもらえるもの』 と、思い込んでいる。

そして、
質問しに来たとしても、自分で考えさせる答え方や、
少し厳しいことなどを返すと、
それっきり質問しに来ない

来ないどころか、
その先輩や上司を避けて
仲良しグループを作って、仕事をするようになる。

つまり、
自分を甘やかしてくれる連中』 とツルんで、
楽しく』 仕事をするようになるのだそうです。

自分に厳しい先輩や上司を、職業人としてシカトする
ということです。

しかも、
それは一人、二人に限った話ではなく、
全体の傾向として、そのようになってきているのだそうです。


そのお話を聞きながら、
『時代は変わってきたな』 と思いましたが、

まずは楽しければOK』 という雰囲気で仕事をする、
つまり、
お手々つないで仲良く』 というスタイルは、

実は、僕ら医療・福祉の仕事をする人間が、
潜在的に持ち合わせているのではないか、
という気分にもさせられました。


何故かというと、
僕の職場にも、約一名いるのです。

経験年数4年目でも、
仕事は親切に教えてもらえるもの』 と思い込み、
自分を甘やかしてくれる人間』 とツルむ、

そういう、『自分に厳しくなれない』 人間が。


では、
OTとして4年目のとき、
自分は何をしていたか思い出してみると、

老健でOTの部署立ち上げをしていました。

自分から望んだのではなく、
同じ系列の病院から、辞令により出向させられたのです。

そこには、PTの先輩数人勤務していましたが、
OTは勿論、僕一人です。

何しろ、そこの老健開設以来
僕が初めてのOTさんということで、
周りは 『何をする人なのか? 』という
好奇心猜疑心の入り混じった目で
僕を評価してきます。

これをやっていきたいのでお願いします。』
だけではダメで、

最初の半年は、
きちんと企画書を作成して、理論的な裏付けも取り、

他のリハスタッフや介護、看護の仕事の流れとマッチさせながら
費用のかかるものに関しては、その都度事務長の決裁を仰いで、
一人一人、説得して廻りました。

それでも、
前例がないから』 『そんなことやって、本当にリハになるの
私たちも忙しいから、流れを変えられてしまうのはねえ...。
などという理由で、何度も却下させられました。

そして、一旦スタートしても、
途中から部署業務の都合で、
一方的に反古にされることも、度々ありました。

だから、
看護、介護の主任や、他のスタッフと、
毎日のように喧嘩する時期もありました。

怒りのあまり、2Fナースステーションの
思いっきりぶっ叩いて、壊してしまったこともあります。
(後でちゃんと自分から修理しましたが...。)

先輩PTの方々も、何度も相談に乗ってくださいましたが、
彼らも自分の業務で忙しくOTは僕一人であったこともあり、

最終的には、
自分がこうだと思うものを考え、実行するしかありませんでした。

仕事は与えてもらえるものでもなく、
自分で考え行動していく以外に、道はなかった
のです。
誰も助けてはくれません

行動しなければ、『あの人は必要ないスタッフだ』 という、
そういう、厳しい目が待っているだけです。


その中で学んでいったのが、
自分の経験を、確信できるところまで研ぎ澄ませていこうとする、
そういう努力です。

独りよがりの経験では、誰も納得してくれないし、
逆に、他の職員に擦り寄っていくような経験
いくら積み重ねても、何も生み出せません

自分他者納得させる、
そういう経験を繋ぎ合わせていく作業の、積み重ねでした。

だから自然と、自分に厳しくなります


そのようなことを繰り返した甲斐もあり、
OT業務も軌道に乗り、

その後、後輩もできて、安定した道筋ができたところで、
自分は地域リハに鞍替えして、
彼らに後を託しました。


そのような経験を踏んできた僕にとっては、

仕事は親切に教えてもらえるもの』 と思い込む
自分を甘やかしてくれる人間』 とツル
先輩を、職業人としてシカトする

という 『自分に甘い』 後輩を前にしたときの、
元上司心境は、よく分かるのです。

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by hiro-ito55 | 2012-01-05 21:11 | 作業療法 | Comments(2)

長生きしてね。

ブログに載せるのをすっかり忘れていましたが、
先月はこいつ↓↓誕生日
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12月16日で、満11歳になりました。


こいつを飼う前は、実はを飼っていました。

三つ上の兄貴が、近くの空き地から拾ってきた犬で、
生後2~3か月の雑種でした。

室外で飼うことを条件に、両親の承諾を得て、
晴れて我が家の一員となりました。

最初は『ノラ』と呼んでいましたが、
両耳が半分垂れていたので、『ミミ』と名付けました。

野良犬でしたがよくなつき、その後16年生き、
最期は老衰で亡くなりました。

最期の一日は意識もなく、
まる一日横たわっていただけでしたが、
最期の一呼吸看取れてやれたのは、
本当に幸せなことでした。

そして、ミミが亡くなったのが、
こいつの生まれた同じ年の同じ月

だから、こいつにはミミの分まで生きてほしい

自由奔放に、我が儘に、勝手気まま
思いっきり生きてほしい

そんな僕の思いを知ってか知らずか、
実家に帰ると、いつもこんな超リラックスした姿
お出迎えしてくれます。
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ミミもそうだったのですが、
今まで目立った病気もなく、すくすく育ってくれました

感謝です

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これからも長生きしてくれよ。
そして今年もよろしくトム
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by hiro-ito55 | 2012-01-03 17:48 | ネコ | Comments(0)

新年のご挨拶

   2012年が 明けました。

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    今年も、よろしくお願い申し上げます

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by hiro-ito55 | 2012-01-01 18:39 | 日常あれこれ | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー