考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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先週、ある利用者さんから、
自分史』 なるものをお借りした。
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と、思ったら、
何やら 『Present is a Gift』 の510さん
同じような経験をされているようです。↓

Present is a Gift 『自叙伝』


お借りした 『自分史』 は、
今から約20年前に作成なさったもので、

近所の印刷屋さんにお願いして
全部で200ページほどの文章を
80部ほど製本されたそうですが、
文章は手書きです。
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読んでみると、
ご自身の幼少期の体験から、
仕事に対する哲学まで、
時系列に沿って事細かに記されていました。

まるで小説でも読むかのように読ませて頂いたのですが、
リハビリ中も、この本の内容で盛り上がる。

内容は全て 『自分の経験記』 なので、
ちょっとした回想法のような感じになります。

題材は、
昭和三十年代の日本の風景』 や
そのときに日本で流行った映画』 といった、
ある意味、十把一絡げ
味も素っ気もない時代区分に基づくものではなく、

飽く迄、自分が経験したことなので、
私はこのとき、こうだったのよ』 と、

胸を張って語る利用者さんの姿が、そこにあります。

こんなとき、
そこらへんの下手なHow to 本を片手に仕事をするよりも、
よっぽど有意義な時間を過ごすことができると、
ふと気付くことがあります。

そしてそう感じるのは、何よりも、
僕自身が、『自分の経験を語ってほしい』 と、
リハビリを通じて、願うからなのかもしれません。






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by hiro-ito55 | 2011-11-30 00:18 | 作業療法 | Comments(0)
11月24日、厚労省から
平成24年度介護報酬改定に関する審議報告(案)
が発表されました。↓↓

平成24年度介護報酬改定に関する審議報告(案)



この報告書の中の 『11.介護保険施設』 の項目を見ると、
前文には
「生活重視型の施設」 又は 「在宅復帰支援型の施設」 として、
医療提供のあり方を含め、各施設の機能に応じた評価を行う。

とあります。

掻い摘むと、
介護老人福祉施設は、
・入所者の居室は原則『個室』であるべき。
・何故なら、居宅に近い住環境や日常生活で、
 入所者の意思と尊厳を尊重したケアを行なうべきであるため。
・来年4月1日以降に新設される施設で、
 個室ではなく多床室であるものについては、
 上記のような介護老人福祉施設の原則にそぐわない為、報酬は減額
・施設における看取り対応を強化



介護老人保健施設は、
・リハを中心に、在宅復帰支援型の機能を強化する。
・その際は、在宅復帰率ベッド回転率を、その指標として評価。
・在宅復帰支援の機能を強化するため、報酬を見直す
・入所前から、早期退所に向けた計画・方針を決定した場合に、これを評価する。
・入所中に医療機関に入院した場合でも、その後再び入所し、
 (在宅復帰や自立に向けた)集中リハを行なった場合、これを評価する。
軽症の疾病を発症し、施設内で対応した場合は、その評価(加算)を行なう。
・施設における看取り対応を行なった場合の、算定要件と評価を見直す


となっています。


つまり、
生活重視型の施設:介護老人福祉施設(いわゆる特養
在宅復帰支援型の施設:介護老人保健施設(いわゆる老健
とはっきり色分けした上で、

特養は、
個別生活維持のためのあらゆる援助重視しながら、
最期の看取りまで行なえる施設を高く評価し、

老健は、
早期退所を含めた在宅復帰援助するための、
中間施設としての機能を備えた施設を、高く評価する

という、
施設の機能を明確に区別し、
今後の評価を行なっていく厚労省の姿勢を、
強調した文章となっています。


厚労省としては、
家族の長期レスパイトのために老健を利用することは、
評価に値しない
という姿勢です。

これは、長期入所に対しては、
ゼロ査定をする』 ということです。

そう考えると厚労省は、
長期入所者 = 銀行の不良債権
のように捉えているのではないか、
と思えてきます。

だとすれば、
利用者にとってはたいへん失礼な話です。
(しかも、その責任は利用者や厚労省にはなく、
 飽く迄も、施設の努力不足にある、
という論法を採っています。)

いずれにしろ、
これからは、長期入所の多い地域を中心に、
各地で特養新設の動きが加速していくことも、予想されます。






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by hiro-ito55 | 2011-11-26 21:18 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

11月10日開催の
社会保障審議会 第84回介護給付費分科会』 の資料を見ると、

介護老人保健施設の基準・報酬について、
利用者の在宅復帰・在宅療養支援機能の充実した施設に対し、新たに評価基準を設け、
加算を新設する方向で話し合いが持たれたようです。

詳しい資料はこちら↓
第84回社会保障審議会介護給付費分科会資料



以下の要件を満たす施設を
在宅復帰・在宅療養支援機能の充実した施設として、
基本サービス費を新たに設定する

・在宅復帰に係る要件(案)
要件1:退所者に占める自宅等への復帰者の割合が高いこと
要件2:ベッド回転率が高いこと



このように、新たに加算を設けようとすることで、厚労省は、
老健における利用者の在宅復帰の促進を、目論んでいるようです。

今回の資料によると、調査を行なった1,614の施設のうち、
在宅復帰機能が高いと判断された121の施設の在宅復帰率の平均は65.0%
在宅復帰機能が低いと判断された1,493の施設のそれは20.1%
となっています。

在宅復帰機能が高いと判断された根拠として、
・1か月間の退所者に占める「自宅等」への退所者の割合が50%以上であること
・1月あたりベッド回転率が10%以上であること

が挙げられ、

これを根拠に老健の差別化を図り、
新たに設定しようとする加算について議論したようですが、

このデータには、言い方は悪いですが 
見せかけの在宅復帰率の高さ』も含まれているのではないか
と思います。

以前、
退所後、在宅復帰できるのは...』(2011年9月11日の記事
でも書きましたが、

例えば認定調査を受けるために一旦自宅へ退所し、
そこで要介護認定を受けて、短期間のうちに再び老健に入所するという
見せかけの在宅復帰者』も、現実には存在するわけで、

これが除外された値を基にして、計画を立てなければ、
本当の意味効果的な在宅復帰促進とはならないのではないか、
と思うのです。
(ま、そもそも加算だけで在宅復帰促進を実現できる
 と考えるところに、無理があるとは思うのですが...。)


今回出された新設加算案では、
①在宅退所後の連続在宅日数の最低数を設けるのかどうか
②同じ利用者が自宅と施設の往復利用をする場合は、
 加算の算定対象となるのか
③算定対象となる場合、その制限(回数、日数など)はどのようなものか

といった具体的な点が不明瞭のままでした。

ただ、現行の在宅復帰支援機能加算では、
「退所者の在宅生活が1ヶ月以上継続する見込みであることを確認・記録していること」
算定に必要な要件として挙げられているので、

今回新設予定の加算でも、何らかの形で
退所後の連続在宅日数の最低ラインが、算定条件に組み込まれる可能性は、
充分に考えられるところです。


また、この加算を新設した場合の問題点として、
在宅復帰の見込みのある利用者を優先し、
見込みのない利用者を敬遠するような施設側の流れを、
加速させる心配もあります。

これを考えるには、 
在宅復帰機能「高」・「低」 双方の平均介護度の比較データも、
併せて提示してもらいたかった。

というのも、
「在宅・介護施設からの急性増悪者受け入れ」 の項目(26.9%)
「長期療養」 の項目(31.3%)
在宅復帰機能が「低い」と判断された施設の方が、高値であったためです。

つまり、
在宅復帰機能の低い施設が、
より介護を必要とする利用者を多く受け入れている現状がある
という、推測も成り立つからです。

もしそうであるならば、
在宅復帰機能が低い施設を切り捨てるような加算方法では、
特養待機者や、入所の長期化が予想される利用者
積極的に受け入れないという差別や、
施設間のたらい回しケースの増加に繋がる恐れがあります。

実際、分科会に参加した委員の中からも、
そのような利用者差別の促進を、懸念する意見も出されたようです。


また、新加算案では、算定条件として
要件2で 「ベッド回転率が高いこと」 も挙げられており、
今回の分科会では、要件1と併せて具体的な目標数値は示されていませんでしたが、
今回の調査で使われた区分条件の

・1か月間の退所者に占める「自宅等」への退所者の割合が50%以上
・1月あたりベッド回転率が10%以上


が、恐らく加算に必要な要件として、
今後提示される具体的な数値の、基準になるものと思われます。

しかし、
導入条件や方法を巡っては、
利用者差別を促進させないためにも、
これらの要件については、今後慎重に吟味して頂きたいと思います。






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by hiro-ito55 | 2011-11-24 00:17 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

よいサービスとは何か

バッテリーの保証期間である3年がちょうど過ぎたので、
カーショップに行って交換。

交換作業後、店員さんが確認のために
これでよろしいですか。よろしければサインを
と、作業終了書なるものを差し出してくる。


買い物をしていて、ふと思うのですが、
会計をするときに
店員が客に 『これでいいですか』 と確認させるというのは
サービスとしては、どうなんだろう。

顧客から要望のあった商品やサービスを確認する、
そんなことは本来、店員の仕事のはずで、
顧客に確認させることではないのではないか。

だからついつい、
あなたは自分の提供するサービスに自信が持てないのか。
と、言いたくなってしまうものです。

まあ、最近では、
商品を購入する顧客の考えも段々せこくなって、
ちょっとしたことでも、クレームという形で
言いがかりをつけに来る者も多いのかもしれませんが、

そのように、顧客からクレームがあったときに
お客様立会いの下で確認させて頂きました

という、店側のアリバイ作りのために
このような確認作業が、マニュアル化されたのかもしれません。

FC店を中心に、パートやアルバイト店員が増えたことも、
間違いなくサービスの質を低下させているし、

これは、サービス業がすっかりアメリカナイズ化された
そのひとつの例なのかもしれません。


では、よいサービスとは何か

店員は、顧客の言うことを聞いて、
その内容をまずきちんと覚えなくてはいけません。

そして、その上で 『かしこまりました。』 と、
間違いなく商品を運んでくるのが、
よいサービスです。

顧客への確認などいらない


車のことでは、普段は知り合いの板金屋さん
車検のこと、エンジンオイルのこと、
その他、色々なことで日常的にお世話になっています。

オイル交換や車検をお願いするときでも、
僕と無駄話をしながらやってくれる。

車を大事にしていると分かるから、
他の顧客の半値近い値段でやってくれる。

もちろん、
これでよろしいですか。よろしければサインを。
などとは、間違っても言わない

それは、
彼が自分が差し出す仕事に、自信を持っているからです。

顧客もそこに職人の誇りを感じるから、
それを信頼している。


よいサービスとは、
顧客側からすれば、売り手の心や精神、
つまり、
職人の心意気みたいなものを
感じることのできるサービスで、

店員側からすれば、
顧客の意図を察することのできるサービス

ということになると思う。

少なくとも日本人には、そういったものが
よいサービス』 として映るのではないか。

逆にいえば、
小さな買い物でも
顧客に商品やサービスの確認をさせる店というのは、

客の求めているものを察する能力
そういう、サービス提供者としての能力が
低下しているのかもしれません。


*近所で柿がたわわに実っているのを見つけました。(^.^)↓
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by hiro-ito55 | 2011-11-20 15:05 | 社会 | Comments(0)

寝落ち...。





僕の実家でもネコを一匹飼っておりますが、(こいつ↓
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そういえば、こいつも小っちゃい頃
よく食べながら寝てたのを思い出しました。(;一_一)

ネコって、不思議ですね。(-_-;)





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by hiro-ito55 | 2011-11-15 23:06 | ネコ | Comments(0)

詩や音楽の力

詩や歌で表現される言葉や音楽の力とは
一体なんだろう。

見るにも飽かず、聞くにも余る』 ものを、
ただ心に籠めがたいという理由だけで、
表現せずにはいられない、

誰かに何かを伝えたいと思うとき、
僕らは言葉や音楽の力の中にいます。

それはであったり、であったり、
或いは、散文であったり、エッセイであったりするわけで、

そういった、誰かに伝える姿でもって
言葉や音楽は、僕らの前に自立している。

この姿が人に感動を与えるのは、
僕らが言葉や音楽の、耐え難い表現力の中にいるからです。


詩や音楽の始まりは、
何か』 を自分一人の中に押し込めておくことができず、
どうしても誰かに伝えたいという、
そういう衝動に激しく駆られることです。

そこから、
相手に対して投げかける、
人に聞かせて感動という感慨を得るために
文(あや)を完成させるのが、
言葉や歌の目的です。

人から人へと伝えるための、
言葉や音楽の社会性というものは、

そうやって 『整えられた姿』 でもって、
完全に自立した姿をしています。

この自立の姿は、
伝達手段という道具としての社会性ではなく、
表現力としての社会性を獲得しています。


ただ意味を伝えるだけの言葉や音符というものは、
ただの記号で、実用的な符牒ですが、

詩や音楽というものは、
音符や文字という記号の集まりではなく、

まして意味が伝われば
それでいいというものでもなく、

その表現したままの姿で、その形のままで、
人の心に残るものです。

何一つ欠けても足してもならない。

そういう洗練され尽くした姿
誰かに語りかけ、
感慨を呼び起こすのが詩や歌の力であり、

これを、『言霊(ことだま)』 というのだろうと思います。

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by hiro-ito55 | 2011-11-11 01:54 | 音楽 | Comments(0)
すみません。

昨日の記事ですが、寝ぼけてたみたいで、
半分しか載せていませんでした。(;一_一)

改めて。




哲学者であり、詩人であり、音楽家でもある こっこ。

もし、彼女に苦しみがあるとすれば、
それは、自分が見たり聞いたり経験したりすること全てを
その身に引き受けてしまう

そして、それをどうしても誰かに伝えたいという、
その衝動に激しく駆られる

そういう感受性の豊かさにあるのでしょう。

もし、彼女の苛立ちがあるとすれば、
沖縄の海を、ジュゴンを、沖縄のことを 知りもしないで

外から ああだこうだと好き勝手に理由をつけては、
尤もらしい顔をして、土足で踏みにじる

そんな、人間の傲慢さでしょう。


人間はなぜ、こんなにも傲慢になることができるのか。

たぶん、
グローバリズムや、国際化といった、
全体主義の怪しい力が

人の直接経験や、情緒といった 『深まりゆくもの』 を
徹底的に排除していくからです。


それは、
一元的に、同じ価値観で、
みんな同じ方向を向いていないと、
どうしても不安になる

そういう、
僕らが日常目にする 厚かましい人間の心理と、
どこかで通じています。

不安だから、
みんな、『まったいら』 にしようとする。

不安だから、
深まりゆくもの』 の持つ、多様性を認めようとしない。


確かに、
自分以外のものの痛み経験
自分のことのように感じることは、

人間の一種の錯覚なのかもしれません。

しかし、このような感受性に満ち溢れた錯覚によって、
人は何かと語り合うことができるということも、
また、事実です。

そしてこれは、
何もアーティストだけに限った経験ではないでしょう。


そのような錯覚を、自分のことのように引き受けることも、
紛れもないこの世界の現実であるということは、

自分の経験を謙虚に受け止め、大事にする人にとっては、
自明のことのように思われるからです。


*歌だけ聴きたい方は、こちら↓






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by hiro-ito55 | 2011-11-08 21:14 | 音楽 | Comments(0)



哲学者であり、詩人であり、音楽家でもある こっこ。

もし、彼女に苦しみがあるとすれば、
それは、自分が見たり聞いたり経験したりすること全てを
その身に引き受けてしまう

そして、それをどうしても誰かに伝えたいという、
その衝動に激しく駆られる

そういう感受性の豊かさにあるのでしょう。






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by hiro-ito55 | 2011-11-07 22:54 | 音楽 | Comments(0)
昨日のつづきです。

前回 『従業員は人材ではなく人財である』 と書きましたが、
今度は企業の立場で考えると、
短期的に見れば、従業員にかかる人件費というものは、『コスト』 です。

しかし、中・長期的に見ればどうでしょう。

客に信頼される従業員
或いは企業にとってなくてはならない
大事な従業員に育て上げるためには、
経験時間お金もかかります。

そのように考えると、社長にとってみれば、
即戦力にまで育てあげた従業員は人財です。

そういった、人財を作るためのコストならば、
それは 『将来への投資』 と考えることも、
できるのではないでしょうか。

ついでですが、
派遣従業員のリストラ大量解雇を平気で実行する企業や、
即戦力をすぐに求める昨今の就職事情をみると、
その裏側には、中・長期的に見て人財を育てるというビジョンが、
企業の中で軽くなってきているのかもしれません。


固定客の中には、
従業員や従業員が提供するものを、
信頼するようになった客も多くいる筈です。

それは、
従業員が経験と時間をかけて育てた客
と言うこともできるでしょう。

金は払うから、とにかく商品を寄こせ』 
という客は論外にして、

トラブルを起こした客が固定客であった場合、
確かに、そのようにして育てた客を失うことは、
企業にとっても大きな損失ですが、

企業が従業員を中・長期的に育てていれば、
客は従業員がまた育てることもできます。

地域にひとつしかない商品の独占企業なら話は別ですが、
特に僕らのような業界で、
客が従業員の提供するものを信頼でなくなり、
契約を打ち切ったとしても、極端な話、客は困りません。

別の事業所を選べばいいだけの話です。

客のその主体的判断を守るために、
ケアマネージャーという専門職もちゃんといます。

それよりも、客とのトラブルで従業員を切れば、
その従業員は、明日からの生活に困ることになるかもしれません。

いくら能力主義を導入し、
『首を切られたのは、そんなトラブルを起こす奴が悪い。』と、
他の従業員が考えたところで、現場の指揮が上がるとは思えません。

むしろ、『明日は我が身』 と身構えるか、
お互い協力して頑張っていこうという補完的な仕事
疎ましく感じるかのどちらかでしょう。
或いは、責任を押し付け合うか...。

その方が、企業としては大きな損失になるかもしれません。

だから、
社長としては、まず従業員を喰わせていくことを、
第一に考えなければなりません。

どんなにできない従業員であっても、
人財として育てていくという覚悟なくしては、
中・長期的な企業の発展はないように思います。


そのような理由で、
もし僕が起業の社長ならば、
信頼できる従業員と企業にとって大事な顧客との間にトラブルがあって、
最終的にどちらかを守らなければならなくなった場合


僕ならば従業員を取るのです。


そんなことを、長々とカズさんに申し上げる。

カズさんも思いは僕と同じで、
目の前で雄弁に語る小僧の話を、
うんうんと興味深く真剣に聞いて下さる(勿論、素人の意見として)。

その後も、おいしい料理をつつきながら
二人で医療福祉の仕事についての意見を
ああだこうだと交換し合い、
楽しい時間を過ごさせていただきました。

おかげで、『この人と一緒にいるとなんか心地よい』 と感じる
そんな人と話をすると、
自分の思考がどんどん活性化されていく瞬間が、確かにあるのを
久しぶりに感じることができました。

カズさんによれば、僕の適職は学校の教師であるそうですが、
僕に全くその気はなく、
現場での経験を大事にしていきたいことなどをお話しすれば、
なら、ウチで働く?』 などと誘われながらも、
キリの良いところで次回お会いする約束をして、
この日はお開きに。

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by hiro-ito55 | 2011-11-05 21:18 | 哲学・考え方 | Comments(0)
最近、ふとしたきっかけで、
ある理学療法士の方(カズさん)と知り合うことができました。

カズさんは、
地域リハビリを手掛けるために自ら起業した方で、
もう随分と長い間、最前線で仕事をされている方です。

お互い気が合うことから、
何度か食事に連れていって頂いているのですが、

先日、カズさんから 
君がもし企業の社長だとして、
信頼できる従業員と企業にとって大事な顧客との間にトラブルがあって、
社長の立場として、どちらかを守らなければならなくなった場合、
最終的に、君ならどちらを守るか
。』 
という問いを投げかけられました。

僕は少し考えた後、『僕だったら、従業員を取ります』 
と、お答えしました。

理由は、社長にとって従業員は人材ではなく、
人財であると思うからです。


客が何故その企業の商品やサービスを選択して買うのか、
と考えてみたとき、
それはきっと、
その企業の従業員が提供する商品やサービスだからです。

例えば、同じカップラーメンを買うのに、
店員の態度の良いAスーパーで買うか、
店員の態度の悪いBスーパーで買うか、

これを客の立場で考えてみると、
カップラーメンが同じ値段であれば、
Aスーパーで買うでしょう。

もしここで、
同じカップラーメンならAでもBでもどちらでもよい、
とそのように考える客がいれば、

そういう客というのは、
消費することだけ(つまり、お金と商品を交換することだけ)
が目的の、合理的思考の消費者と言えるでしょう。

合理的消費者というのは、
金は払うから、とにかく商品を寄こせ』 
という態度を取る客のことです。

こういう客は、まず固定客とは成り得ません。


商品にはその商品自体の持つ価値と、
商品に付随する付加価値というものがあります。

付加価値には、
グリコのおまけのように目に見えるものもあれば、
商品の保証期間やクーリングオフといった、
アフターケアのようなサービス、
或いは商品を買うときに、
そのセールスマンとはとても話がしやすかったという類のサービス、

そういうソフト面での、
目に見えない付加価値というものもあります。

要するに付加価値とは、 
なんだかそれにつられて、商品を買う気にさせてくれるもの』 
のことです。


介護・福祉業界で僕らの商品とは、
あえて言えば、それは僕らの技術のことです。

付加価値があるとすれば、
それは今述べたようなソフト面のサービスのことでしょう。

でも、僕らの提供する技術という商品は、
基本的に貨幣経済で扱う物のように
客が消費できるようなものでもなく、

多くの場合、
技術という商品と、人柄や安心感、アフターケアという付加価値が、
一体となって提供されるものです。

だから、お客も 『全てセットで』 受け取ることができるし、
提供する側も、提供するものが物でない以上、
そのような、『分離できない形』 
で提供せざるを得ないことが多いのです。

僕らが提供できるものとは、実は、
金は払うから、とにかく商品を寄こせ。』 
と言われて、すぐに提供できる商品とは、
質的に異なるよう構造化されているのです。
殊に地域リハビリにおいては。

(今から本を読みたいので、続きはまた明日。)







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by hiro-ito55 | 2011-11-04 00:20 | 哲学・考え方 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー