考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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カテゴリ:医療・福祉・対人支援( 80 )


リハの仕事をしていると、介護職員の側から、
負担の少ないような動作介助を教えてほしい。』
といった質問が寄せられることがあります。

しかし、『負担が少ないような』というのが、
利用者にとってのことであればよいのですが、

最初から、介助をする側の、
自らの負担を少なくすることを目的として、
その質問が成されている場合が、ときどき見受けられます


気持ちは分かるのですが、
そういう捉え方は、プロとしては少し問題であるような気がします。

もちろん、
支援する側される側、双方にとって楽な方法があれば、
それに越したことはないのですが、

支援する側から見て、
楽に食事介助ができるとか、楽に移乗介助ができるといったことは、
ざっくり言ってしまえば、結果であって目的ではないからです。


人を支援するプロであるならば、
まずは、自分たちがどうやったら楽に介助を行なえるかではなく
支援される側が、どうしたらそれを楽に行なえるか
といった視点で、動作というものを見なければなりません

そしてそれを踏まえた上で、
そこから、どうしたら自分たちの介助負担を、
結果として軽減していく方向に導いていけるか

見つけていくのであって、

介助が、
人を『支援』するために工夫されるべきものであれば、
冒頭の質問は、この段階において初めて成されるべきものです。

その点自覚できていないと、介助する側は、
常に自分たちが楽に行える方法を第一にして介助というものを捉え、
そのための方法を探して回ることになります。

それは、
対人支援のプロの姿とは、言えないのではないでしょうか。

ですから、職員から質問されたときは、
『楽に』介助することの、目的と結果を履き違えていないか

或いは、自分たちの視点で話を進めるのではなく、
自分たちが支援する方の視点に立って、考えを進めようとしているか

まずは、その部分を確認するようにしています。

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by hiro-ito55 | 2012-09-20 01:01 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

僕らにできること


僕が管理者を務めているデイサービスでは、
通常業務において、専門職の立場として『こうあるべきだ』というやり方を、
他のスタッフ利用者押し通そうとすることを、
基本的に禁じています

ともすると僕らは、自分の専門性過信し、
相手に対しては、専門職の立場いいと思うものを、
真っ先に提示提供することで、過度にその存在をアピールしがちですが、

それよりもまずは、
利用者さん良いと思うものできること
やってみたいと思うこと一緒になって探し出し
それを共有していく姿勢を、みんなで大事にしていきたい

そしてそれを踏まえた上で、
必要な時必要な対応でもって、専門職の立場から相手を支援していく
という視点初めて生まれるわけで、

これを、毎日の対人支援の基本に据えています。


だから、
利用者さん集団レク体操機能訓練を、
毎回の決め事として提供することはしないし、

極端な話、デイサービスに来て、
今日は何だか半日ボーっとしていたいという利用者さんに対しては、

形としては、お茶を飲みながら
一緒になってボーっとしてあげることもできます。

勿論、
個別機能訓練加算算定していないからできること、
と言ってしまえばそれまでですが、

これから加算算定するようになっても、
こういう基本的な部分は、大事にしていきたい


思うに、
常に設定した目標意識させそれに向かって相手を追い込むのも、
対人支援のひとつの方法

そしてこちらが、
一般的なリハビリや対人支援のイメージかもしれません。

でも、そうではなく
自分や対象者の今日の歩き方が、
そのまま自然と目標を作り出していくということ、

それが当たり前の日常であれば、
今日の歩みを積み重ねていくことが、
そのまま紛れもなく、目的を貫いたということでもあり、

そのため継続的な支援の内に、
作業療法本当の正体があるのではないかと、

最近僕は、そんなふう考えるようになっています。


こうあるべき』という未来の話ではなく、
対象者自身向かっている今という現実に、どのように処するか
という姿勢のうちに、今日の歩き方というものはある

それを、
誇りを持って大事にしていけること未来があるし、

そこに、
対象者の作業選択や、生活の自由があるように思うのです。

自分自身や相手と争ってまで掲げなければならないような、
何かの代償を求めて止まないものなど、きっと自由とは呼ばない

それを、支援する側に立って考えてみれば、
各スタッフ考え方やり方を、何もひとつに統一する必要はなく、

僕らに出来ることは、
それぞれが自分の能力役割自覚しながら、
お互いの差異を認め合うことで、

それが、
結果として、各専門職の多様性引き出し
良い支援へと結び付けていくこと可能にする。

本当のチームアプローチとは、そういうものだと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-09-13 19:38 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

新しいスタート


新しい職場に勤め始めて、およそ二週間

当初の予定では、
訪問リハビリに配属予定だったのが、

巡り巡って、
結局、デイサービスの管理者を務めさせて頂くことに。

デイサービス定員15名以下小規模型で、
築40~50年の、普通の民家を借りて行っています。

民家だからもちろん室内は段差だらけで、寝浴などもないけれど、
利用者さんにとっては家庭的というか、
近所の集会所に出掛けて座談会に参加しているような、
何か皆さん、そんな気持ちで通って下さっているようです。

勿論、僕個人一作業療法士として、
現場での仕事にも、同時進行の形で関わっています。


管理者としての最初の仕事は、
周辺の、お世話になっている各居宅介護支援事業所への挨拶まわり

管理者が代わったことの連絡と、
うちのデイの特色再度アピールして、
引き続きお付き合い下さるよう、お願いに上がる

この挨拶まわりで、二週間の半分が過ぎました。


これからは、
作業療法士管理者の、二つの役割を担うことになるけれど、

各スタッフの考え方やり方を、ひとつに統一するのではなく
それぞれが自分の出来ることや役割を自覚して、お互いを認め合える

そんな職場作りをしていくことで、専門職の多様性引き出し
利用者さんへの対人支援に結び付けていきたいと考えています。

管理者作業療法士という、求められる役割は違えども、
僕にとってそれは、同じことである気がするし、

時間は掛かるかもしれないけれど、
これから、そんなことを少しずつ具現化していきたい気持ちでいます。

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by hiro-ito55 | 2012-08-31 20:34 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

ナースコール


先日、多床室であった話。

Sさんには、Aさんという同室者がいます。
そのAさんが夜中に 
痛い、痛い、』 
ベッドの中でずっと呻いていました

心配になったSさんは、起き上がって歩いてAさんの枕元まで行き、
どうしたの。大丈夫?』 と気遣ったとのこと。

訊くと、
腰が痛くてたまらない。』 
というAさんからの切実な訴え

だから、動けないAさんに代わって
Sさんは脇にあるナースコール押してあげた

すぐに夜勤のナースが来て、処置をしてくれたけど、
Sさんはその駆けつけたナースから、感謝されるどころか、
ダメじゃない、一人で歩いたら! 転んだらどうするの!』
と、逆に激しく叱責されてしまいました。


リハビリの合間に廊下の椅子に腰掛けて、
その時の出来事を、笑顔で話してくれたSさん

しょうがないよね、怒られても。
 みんな心配してくれてるんだから
。』 と。

自分はリウマチで、体のあちこち痛むはずなのに、
そんなことには頓着せず、
目の前に困っている人を見かけたから、
自分でできる方法で、気遣ってあげた


とても人間らしい行為です。

けれど、
人として当たり前のことをしたにも拘らず、
怒られてしまった。


その一方で、
これは他の多床室での話。

昼間体調の悪かったYさんという男性が夜中にが上がり、
眠れずに魘されていました

クーリングをして暫く様子を見ても、はなかなか下がらず、
ベッドの上で苦しそうにされていました

そして、
午前零時すぎ同室者のDさんからナースコールがあったため、
夜勤のナースが訪室。

すると、
コールを押したDさんは、駆けつけたナースに向かって、
うるさくて眠れないから黙らせろ。』 と、ご立腹

ナースがYさん体調等を説明するも、Dさんは聞き入れず、
その後もナースコールを頻回に押しては、
同じ主張を、明け方まで繰り返したそうです。


かたや、同室者を気遣うSさん
一方で、他者の苦しみより、
他者の行動が自分を眠れなくさせている、なんとかしろと、
被害的立場で苛立ちを訴え続けるDさん

そして、自分のしたことを咎められても、
いつまでも自分の訴えに固執するのではなく、
けっして感情的になったり、怒ったりすることもなく、
しょうがないね。』 と、受け入れることのできるSさん

そんな、
とても寛大な心には、頭が下がります

こういう人を目の前にしたとき、
例え、それで転んでケガをしたとしても、
僕らに、それを責める資格があるだろうか

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by hiro-ito55 | 2012-06-29 19:00 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

有料老人ホームの数が急増している。⇓⇓
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        (内閣府消費者委員会資料より抜粋)


現在、
全国で特養入所者約44万人
有料老人ホームとその他の施設・居宅系サービスでは約50万人
高齢者向けバリアフリー住宅では約10万人いる、
とされています。

また、平成20年10月現在で、
特養、老健、介護療養型医療施設
いわゆる介護保険3施設が、
全体で約83万人入所者を抱えています。

その中で、
特養入所申込み者数は、約42万人(平成21年12月現在)。
入所者数とほぼ同数です。

特養以外にも、老健や介護療養型医療施設に入れない人が、
恐らく相当数いるものと思われます。

有料老人ホームの数が急激に増加したのは、
平成18年の老人福祉法改正で、
老人ホームの定義が緩和された影響もあるかと思われますが、

特養の入所者数と入所申込み者数が、ほぼ同数である現状を鑑みても、
この急激な増加は、
老人ホームへの需要の高まり自体が進んでいる影響推測できます。

そして、今後この傾向
しばらくの間は続いていくのではないかと考えています。

例えば、今年の介護保険法の改正で、
老健在宅復帰支援機能の強化型が示され、
その基準を満たした老健に算定される加算が優遇されることから、
今後は、老健の生き残りをかけた競争激化していくでしょう。

しかし、
以前の記事でも触れたように、
今回の改正では、見せかけの在宅復帰増える可能性がある
という問題点もあります。

それとは別に、
在宅復帰の見込みが低いと判断される対象者
重度の要介護者や、家族からの介護支援が困難な対象者など)は、
老健への入所を敬遠されていく可能性が高まることも、
今後の問題点として浮かんできそうです。

つまり、利用者の差別化を進める
そういった動きの温床になる可能性があるということですが、

恐らく、個人的には、こういった人たちを対象に、
今後の老人ホーム需要が増えていくと予想しています。


また、現状をみると、
老人ホームの「設置主体」は株式会社民間企業が中心です。

老健や他の施設を抱える医療法人も、老人ホームを新設して、
そこに在宅サービスを展開させていくという動きも出てくるでしょうが、

問題は、そのような営利目的複合型抱え込み型経営というものが、
サービスの偏りを生み出すのではないかということです。

本来ならば、同じ30分未満のサービスであれば、
訪問看護ではなく訪問介護でも十分であるはずが、
算定できる加算の違いから、訪問看護優先的に配置する。

利用者にとって本当に必要なものではなく、
加算の大きいものをサービスとして提供するのであれば、
それはサービスの質の低下をも招きかねません。

いずれにしろ、このような流れの中で、
差別化も含めて、利用者が喰い物にならないような在り方
今後、検討していくべき課題になっていくと思います。


*関連記事高齢者在宅生活の方向性
      『退所後、在宅復帰できるのは...
      『在宅復帰支援<家族のレスパイト
      『介護保険施設に対する厚労省の姿勢







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by hiro-ito55 | 2012-06-12 01:58 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

サービス検証の視点


対人支援という視点でずっと仕事をしていて、最近思うのは、
こちらから、させていただく』 という姿勢は
僕らにとっての当たり前であるうちはいいけど、
それが相手にとっての当たり前となると怖いな、ということ。

例えば、
施設で提供される食事は、おいしくて当たり前
リハビリは、こちらの要望に応えて丁寧にやってくれるのが当たり前
少しでも不便と感じる動作は、介助してくれて当たり前

それはお店に行って、
自分がお客様扱いされるということと、
どこか似ているような気がする。

現場で対人支援をしていて、
もし、そういうふうに考える人が増えてくれば、
少し心配になってきます。

これからそういう価値観を持つ人たちが増えた場合、
現場ではどう対処していくのだろうか。


僕らの仕事は、ホテル飲食店サービス業のように、
相手の要望に沿ったものを丁寧に提供するだけでは、
事は済みません。

目的は、客の財布の紐を緩めることではないのですから、
当然、提供されるサービスの質は、それらとは異なってきます

僕らのサービス、つまり対人支援では、
確かに相手の満足感を引き出すことも重要ですが、

それよりも、
僕らが提供したことが、相手にとって本当によいことなのかどうか

そういう検証の視点を常に持つことの方が、もっと大事だと思う。

相手してほしいと思うから、
或いは、相手困っているから介助をして、

それを積み重ねた結果、
相手の潜在能力引き出す機会を奪ってしまい、
介助依存度を高めてしまったとしたら、
結果としてその支援は失敗です。

相手望むから、或いは困っているから介助しました、だけでは、
それは対人支援とは言えない

相手の要求を受け入れて満足させることだけが、
僕らのサービスではないということ。
僕らのサービスというのは、そういったサービスであって、

ここのところをしっかりと認識しておかないと、
それが相手にとって本当によいことなのかどうか、
いざというときに、適切な判断に基づく対処ができない、
なんてことにも成りかねない。

だから、
楽しく盛り上げながらレクやリハを行ない、
あの手この手を使って、相手を気分良くさせて満足させることを、
リハや介護の基本姿勢だと勘違いしていると、
将来、とんでもないしっぺ返しを食らうような気がする。


今、介護保険を利用してサービスを受けている方々の多くは、
戦前に育った人たちですが、
これからは、施設利用者も戦後に育った人が増えてきます。

今の80歳代以上の方と、60歳代の方では
利用者の持つ価値観がずいぶんと違うように思えるし、
50歳代や40歳代になると、もっと違ってくる

それに伴って、今後は利用者像も、
今とは随分と違った形になっていくはずです。

確実に言えるのは、
個性が社会規範よりも優先されるという自我的な個人主義が、
今よりももっと、介護や医療の現場に持ち込まれるということです。

モンスターペアレント
モンスターペイシャントという言葉が流行って久しいですが、

5年後、或いは10年後には、
ひょっとしたら、
自分をお客様扱いしてくれることを当然だと思う人
激増しているかもしれない。

現場で仕事をしていると、
そういったことにも
準備しておかなければいけない時代にきているのかな、
と個人的には思うし、

対人支援をする側としては、
これから、例えば重度の要介護者が増えていくことよりも、
将来的には、こちらの方が切実な問題になるかもしれない
と思ったりします。

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by hiro-ito55 | 2012-05-17 19:02 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(2)

作られるBPSD (後)


利用者に 『今日の日付けは何月何日でしょう?』 
と、スタッフが質問している場面。

老健などの施設で、日常的に見られる光景です。

認知症の利用者とコミュニケーションを取って、
色々とやりとりをしながら、
共有する時間を持つこと自体はいいのですが、

しかし、
何故その質問をするのか
或いは、そのアプローチの仕方は、
その人に対して本当に適切な方法なのか


考えながら実施できている人は、
どれだけいるのでしょうか。


ご存知のように認知症の症状は、
主に、中核症状と呼ばれるものと、
BPSDと呼ばれる症状の、二種類に分けられますが、

今日の日付が分からなかったり、
今いる場所が分からなかったりといった
日付や場所の失見当識や、
少し前に昼食を摂ったこと自体を忘れる短期記憶の低下などは、
認知症の中核症状の代表例です。

そして、
認知症の中核症状を、
本人が自覚することによって生じる具体的な混乱が、
暴言暴力やる気や自信の喪失といった
BPSDと呼ばれる症状です。


まず、
認知症の中核症状自体は、
薬剤を用いない僕らコメディカルには、
直接的には、改善させることが望めない症状です。

そうならば、
そこを不必要に刺激して、
本人に自分の中核症状を自覚させるような行為は、
医療・介護従事者として、厳に慎むべきだと思います。

以前書いた記事と内容が重複しますが、
僕らのそのような行為によって、
やる気や自信の喪失も含めて、
利用者のBPSDを、顕在化させることもあるからです。


例えば、
冒頭にも挙げたような、
利用者に 『今日の日付けは?』 と、職員が質問している場面。

もし、その質問に答えられなかった(間違った)場合、
それは、自分に欠けているものがある(喪失体験)ことや、
間違ってしまった(失敗体験)ことを、
他人によって、改めて自覚させられるということです。

利用者の中には、その原因を、
自分がボケてきているためだと、
はっきり認識できる方だっているのです。


できない体験』 を、
改めて 『できないこと』 として本人に確認させる

そのことに、
やる気や自信の喪失という結果以外に、
それを打ち消すほどの、何か大きな利点があるのでしょうか。

僕が、
入所後、しばらくしてからBPSDが顕在化してくるような場合は、
原因が、薬剤の変更などによるものでないならば、
それが、
施設生活によって作られたBPSDである可能性が高いと思うのは、
職員が中核症状を不用意に刺激している現実もあるから
だと思うからです。

だから、
リハビリやレクリエーションの度に、
認知症のある方に 『今日は、何月何日ですか?』 などと、
不用意に訊くべきではないのです。


しかし、そもそもこういった質問を日常的に行うというのは、
中核症状 = 問題点 と捉える考え方が、
専門職の中でも、まだまだ根強いのかもしれません。

例えば僕の職場では、
BPSDのことを 『問題行動』 と呼んでいる職員が、
リハ職員も含めて、未だに数多くいます

対象となる利用者には、
毎日の記録に 『問題行動の有無』 という形で、
確認したその 『問題行動』 を記載しています。

今日は、何月何日ですか?』 などと質問して、
利用者の中核症状を本人に確認させる機会を提供しながら、
その結果、生じた行動を問題行動として捉える

という二重の苦痛を、利用者に与えているのです。


中核症状それ自体は、
その段階においては、別に問題行動ではないのですから、

それを周りが問題視することで、
本人にもそれを 『問題』 としてフィードバックさせてしまう
というのは、

明らかに、
認知症の方に対する差別的行為です。


その結果、利用者に様々な混乱がもたらされたとしても、
そのことに無自覚であれば、

自分たちが問題を作り出している
ということが分からない


最初から 『問題』 だったのではない
ということが分からない



こういった、
認知症の方に対する間違った接し方は、
早晩、なんとかしなければならない問題だと思うのです。


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by hiro-ito55 | 2012-04-22 23:42 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作られるBPSD (前)


入所当初元気だった利用者が、
しばらくするとBPSDが顕在化してくるということがあります。

そしてそれは何も暴言暴力という形だけでなく、
自信ややる気の喪失といった形で、表面化することもあります。

こういった場合、
現場としてはハードソフトも含めて
その人の生活環境をよくよく観察して見直し
善後策を練ると思います。

カンファレンスなどを利用して
その利用者に関る各専門職が話し合い、
ケアマネを中心に、
チームとしてどのように支援していくかの確認と、
具体的な見直しのための合意形成が成されていくのですが、

入所後、しばらくしてからBPSDが顕在化してくるような場合は、
原因が、薬剤の変更などによるものでないならば、
それが、
施設生活によって作られたBPSDである可能性が高いということを、
まずはしっかりと受け止めることも重要です。


しかし、
こういう話し合いの場に参加すると、
自分たち職員からBPSDを作り出しているかもしれないと、
自省的に考えられる人もちゃんといますが、
むしろそういう人は少数派で、

反対に、そのことに対して最後まで無自覚であったり、
或いは、ひどい場合には、
自分たちのやり方をただ否定するだけの非建設的な意見として、
被害的に捉えられたりすることがあることには、驚きです。

それも、
認知症は進行していくものだから』 という漠然とした常識が、
各職員の無自覚さに繋がっていたり、
言い訳に利用されていたりする。

そんな姿勢を、強く感じることがあります。

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by hiro-ito55 | 2012-04-19 19:21 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

食事が違う...。


私事ですが、ここ三日間ほど風邪気味で
やや体調不良の日が続いています。

いつもよりテンションは低いですが、
リハ誘導のため、利用者の居室にお邪魔すると、

いきなり両手を掴まれ、泣きつかれる


話を聞けば、その日の昼食は味噌カツだったけど、
自分だけ他の入所者とメニューが違うとのこと。

この方は、栄養管理の関係上、肉類は提供禁止で、
出された食事は野菜中心のもの。

しかも、細かく刻んだきざみ食のため、
綺麗に盛り付けされている他の方とは
見た目も、それとはっきり分かるほどの違いがあります。

その食事を、何の説明もなく黙って差し出されたため、
皆と同じ、おいしいものを食べられない
自分の不甲斐なさが感じられ、
今まで溜めていた感情が、爆発したようです。


自分が肉類を食べられないことは、ちゃんと承知しておられ、
けれども、それならそれで事前にちゃんと説明してほしかった

その説明が一度もないことが、
悔しくて堪らなかったようです。


大勢の中で、他人と違うということは、
時に利用者の孤独感を、強調させてしまうものです。

もし、
食事をおいしく食べられることも、生活リハビリならば、

僕が、
認知症の方の生活リハビリは、人間関係そのものだ
と思うのは、こういうときです。


以前にも、この方が近くの職員を呼び止めて、
ねぇ、なんで私の食事だけ皆と違うの?
と、尋ねている姿を目にしたことがありますが、

この方は、どんな気持ち
他人と違う食事を、毎日食べているのか。

ひょっとしたら、今までもずっと、
できた食事を、そのまま漫然流れ作業のように、
この利用者の下へ配膳していたのではないか。

職員のそういう無自覚な態度が、
利用者に孤独感を与えていたのであれば、

自分たちの日常的なその動きが、
ものを扱うような、ルーチンなものになっていた可能性があります。


認知症があっても、利用者はちゃんと見ています

自分たちがもののように扱われていれば、
それを、敏感に感じ取ります。

そして、
それらは、BPSD感情の爆発として現れます。

そのような反応を、どう受け取れるかは、
普段の僕らの、心掛けしだいだと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-02-23 20:13 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

沈黙の時間に耳を傾けられない人は
コミュニケーションを上手く取ることはできない
。』

これは、
認知症の利用者と接する際の、僕の持論です。

ひょっとすると、
認知症の利用者とコミュニケーションを取るときには、
BGM笑いを利用して、とにかく場を盛り上げなければならない

そんな風に思い込んで、介護やリハをしている方は、
案外多いかもしれません。

しかし、
そういった勘違いをしてしまうと、
利用者の 『声』 は、僕らにはけっして届きません


僕らは、何のために利用者とコミュニケーションを取るのか。

それは、
相手のことをよく知り
よいものを上手く引き出し、それを活かすためです。

そのためには、
相手が表現できる時間と場作りをすることが、
利用者とのコミュニケーションでは求められます。

その中では、
沈黙も大事な利用者の声です。

そのを聴き取るために、
相手の言語・非言語に表現される 『』 を
まずは、よく聴き取らなければなりません。

沈黙を恐れて、無理に場を盛り上げようとしたり、
或いは、笑いを取ろうとしたりするのは、
時に、その大事な声を遮断してしまいます。

相手が表現できるまで待てない人は、
場を上手く盛り上げなければならないと、焦ってしまいます。

しかし、
場を盛り上げることだけに一所懸命になっていると、

自分が、
とても一方的なコミュニケーションの場を作り出している
ということが分かりません


コミュニケーションの場が、
利用者の時間ではなく、その人の時間になっている
ということが分からない
のです。


レク、リハ、日常生活動作介助
施設生活のあらゆる場面において、
利用者は案外と、職員に気を使っているものです。

これまでに利用者の口から、
忙しいのにごめんね』 『次の人も待っているでしょ
といった台詞を、何度聞いたことか。

利用者に気を使わせているのは、
レク、リハ、動作介助など利用者と接する時間が、
職員の時間で動いているということです。

コミュニケーションの場に限らず、
利用者の時間が、職員都合の時間になっていれば、
僕らの仕事が、自己満足に陥っている可能性があります。

利用者と接するときは、
相手のをよく聴き取るよう心掛けているか、
利用者の時間を奪ってはいないか、

自戒の意味も込めて、
自己反省してみるのも、大事なことだと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-02-21 17:40 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー