カテゴリ:医療・福祉・対人支援( 82 )

客観的な立場の第三者が存在しない

厚生労働省の分科会に提出された統計によると、

訪問リハビリ件数は、ここ数年増加傾向にあるようで、

その傾向は今後も続く見通しであるようだ。

                ・

訪問リハビリに従事するリハ職が増えているのは良いことだとは思う。

けれど、訪問リハビリという仕事はやりがいもあるが、

自分の身は自分で守らなければならない仕事でもあることは忘れてはならないと思う。

               ・

病院や施設では、

決められた場所に利用者や患者さんが集ってそこでリハビリを受けるけれど、

訪問リハビリでは利用者さんの自宅がリハビリを受ける場になる。

そこには当事者同士しかいないし、そういう場で仕事をするのが在宅医療なのだ。

               ・

それはどういうことかというと、客観的な立場である第三者が存在しないということ。

もっと言えば、

何が事実で何が事実でないかをしっかりと証明する人間が誰一人いない場で、

僕らは仕事をするということだ。

               ・

利用者や家族から寄せられる苦情。

医療者側と利用者側間の見解や方針のくい違いであれば修正も可能だろうが、

ケアマネや他事業所を経由して伝えられたものの中には、

明らかに事実と異なるものも含まれていることがある。

               ・

その際に、自分の身をどうやって守るのか。

どこまでが事実であり、どこからが事実と異なるのか。

それを証明することはたいへん難しいし、その困難さを僕も経験したことがある。

               ・

介護力が不足していたり、利用者さん本人の現実検討力に問題があったりする場合、

精神的に追い詰められた状態で生活しているケースが多い。

               ・

他者の言動に過剰に反応するお宅においては、

一旦苦情が出てしまうと、どこまでが厳密に事実であるかを証明することは、

ほぼ不可能に近いことがある。

               ・

言葉は悪いが、100%言ったもん勝ちにされるリスクが存在するのも、

訪問リハビリという仕事だと思う。

               ・

その際に、自分をどう守るか。

アセスメントは、事実をひとつひとつ積み上げて、

それを確認しながら方向性を示していく作業であるけれど、

同時にそれは、自分自身を守るための作業でもあると思う。

               ・

何が事実で、何が事実でなかったのか。

いざという時にそれを証明できるのは、

アセスメントの積み重ねと記録と、その共有しかないのかもしれないが、

それさえも歪められてしまう現実も存在するということは、

個々のリスクマネジメントをよほどしっかりしていかないと、

少なくとも自分の身を、自分の力で守ることはできないということでもある。

               ・

多くの人の目に触れる機会の多い病院や施設で働くこと以上に、

リハ職としてのアセスメントやリスクマネジメント能力を高めなければいけないのが、

訪問リハという仕事であると思う。

               ・

               ・

               ・

               ・

               ・


[PR]
by hiro-ito55 | 2017-12-11 19:10 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

マッサージ依頼ならお断りなんて、そんな姿勢はただの自己満足だと思う


「うちはマッサージ屋ではないんで...。」
病院から退院後に在宅でのケアを始める際、
そういって他事業所からリハビリを断られた利用者さんがいる。

確かに、要介護5ともなると、リハビリでやれることは限られてくる。
家族からの要望が、関節が硬くなるのを防ぐROM-ex.のみであることも多い。
そうなれば、リハビリの内容はマッサージ的なものとなってしまうのかもしれない。

でも、それを理由にして断るっていうのは、正直どうかなと思う。
やはり、利用者や家族から望まれているのなら、その依頼は受けるべきだと思う。


利用者や家族は医療の専門家ではない。
マッサージとリハビリの違いについて、よく知らない人だって当然いるだろうし、
彼らの立場からすれば、そんな違いは、はっきり言ってどうだっていいだろう。

たとえ要介護5の方であっても、
臥床時のポジショニングや、誤嚥防止のためのアドバイス。
可能なリクライニング座位の時間や、医療的な注意点についてのアドバイス。
車いすに座れる時間ができれば、外出の方法について一緒に考える....。

初めはマッサージだけでも、
そこから僕らがやるべきこと、形にできる可能性はいっぱいある。


でも初めから僕らが、マッサージ依頼なんてそんなのリハビリじゃない、
そんな変な拘りを持っていたりすると、その可能性は拾えない。

拾えないことが、利用者や家族からも、どれだけ多くの希望を奪っているのかすらも、
分からなくさせてしまうのだと思う。


たとえば、
ベッドの上からでも、久しぶりに会いに来た孫たちと、同じ空間で過ごすことができた。
家族と一緒に、一度だけ梨狩りに出かけることができた。
週一回のリハビリの時間だけでも、家族と話す機会を持つことができた。
介護を通じて、親父のためにできることを精一杯やってあげられた....。

マッサージの依頼から始まった人でも、
最期まで、人間らしい生活を送ることのできた人はいっぱいいる。
そんな人を、僕は今まで何人も見てきた。

そして、そのお手伝いができたことは、
彼らの生活を支えることができたことの、何よりの証であると僕は思う。


僕らは対人支援の専門家だし、
利用者や家族の思い、そして価値に共感し共有することで、
一緒にそれらを何かの形にしていくのが、作業療法だと思う。

僕らの専門性は、彼らの思いや価値を形にしていく段階で初めて発揮されるものだ。
僕らの価値観が、それら全てに先立ってあるのではない。

それがちゃんと分かっていれば、「うちはマッサージ屋ではない」なんて、
そんな姿勢がどれだけ馬鹿げたものであるのかも、ちゃんと分かるはずだ。


僕らの専門性は誰のためにあり、誰のために使われなければいけないのか....。

マッサージを望んでいるのなら他を当たって下さいなんて、
そんな姿勢は、ただの自己満足だと思う。

b0197735_2104021.jpg









[PR]
by hiro-ito55 | 2017-07-04 21:02 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

お花見


「あそこにサルノコシカケができとるから、これももう老木なんだろうなぁ」
妻が握ったおにぎりを頬張りながら、樹齢50年にもなる桜の木を見上げ、その人は呟いた。

サルノコシカケとは、茸の一種で、
木の幹にこれがいくつもできると、桜の木もそろそろ寿命を迎える時期になるのだそうだ。

その日は、庭に咲いた桜を眺めながら、家族そろってのお花見。
今年はリハビリの歩行練習がてらだけど、
去年亡くなった娘さんの遺影とともに、無事桜を愛でることができた。

桜の真横には、いつのまにか椿の真っ赤な花が数輪咲いている。
どこからか、鳥が種を運んできたようだ。

そして、数メートル横には剪定したばかりの杉の木が三本並んでいる。
紫陽花は葉を着けたばかり。檜は去年のままの姿だ。


椅子に腰かけ、この一年間庭に起こった出来事を妻から聞かされた。
夏には、毛虫が着いてたいへんだったこと。
秋には、台風で枝が何本も折れたこと。
冬には、息子家族が雪かきの手伝いに来てくれたこと。

妻が話すたびに、「ああ、そうかそうか」と頷く。
今年も変わらず木や花が、それぞれの姿で育ってくれている。
今は、それが何よりも嬉しい。

娘がもういないことと、自由にならない自分の体があること。
それでも季節は、巡ってくるのだとしても。

ひとつの家族に起こった、いくつもの出来事など、
まるで関係がないかのように、月日は流れていく。


その人の望みは、桜の木を見ることだった。
それに触れ、娘と変わらぬ笑顔を交わすことだった。

笑い声の飛び交う桜の木の下で....。


b0197735_19432498.jpg









[PR]
by hiro-ito55 | 2017-04-09 19:46 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

桜の木


庭の入り口に、大きな桜の木がそびえている。
娘さんが生まれた記念にと植えた木だから、樹齢50年になるという。

毎年きれいな花を咲かせるこの木も、去年は見ることができなかった。
玄関から、ほんの15メートルほどの距離にあるのに、
その距離が、途方もなく長いものに感じられた。

今年も諦めかけていた。

でも、ほんの少しだけ春めいた日に、
何か月ぶりだろう、外の空気を吸うことができた。

午後の暖かな春の空気を、全身で味わうようにゆっくりと顔を上げ、
その人は、まだ咲かぬ桜の木を眺めている。

その木に、その手で触れるまで、まだ10メートル以上の距離がある。

何でもない距離だったはずなのに、
椅子に腰かけ、傍らに立つセラピストに娘の思い出話をすることが、
今のその人の心を落ち着かせている。


なぜ、自分の力で歩きたいのか。
それは、桜の木を自分の目で見たいから。歩いて、自分の手で触れたいから。

頑張りたいからじゃない。
自分にもできることを、家族やセラピストに見せつけたいからでもない。
ただ、自分で植えたあの桜の木を見たいだけ。


毎年毎年、満開の花を咲かせるたびに一番に喜んでくれたのは、
障害を持って生まれてきた娘だった。

不自由な体を不憫に思うこともあった。
こんな形でしか生を与えることができなかったことを、申し訳なく思うこともあった。

でも、今年も元気に咲いてくれたこと、娘の笑顔を見られたこと、
満開のその木を眺めるたびに、家族でいることの幸せをいつも感じることができた。

その木には、
成長とともに重ねた年月と同じだけ、今も変わらぬ大切な思いが詰まっている。

だから今年も、あの桜を一緒に見たい。
咲き誇る桜の木に、今年も変わらぬ姿を見せられるように。


歩きたいと思うその人の願いは、桜の木を見ること。
歩いて、自分の手でそれに触れることなんだ。


b0197735_21485414.jpg








[PR]
by hiro-ito55 | 2017-04-01 21:53 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

この仕事をしていて嬉しいこと


この仕事をしていて、嬉しいことがひとつある。

それは、歩行練習や筋力強化など、
満足なリハビリができなくなるほど、その人の状態が悪くなってしまったとき、
ご本人やご家族の方から、「それでも来てほしい」と言って頂けること。

その言葉は、僕があくまで機能や能力の回復に拘ったリハビリをしていたら、
けっして言われることのない言葉だと思う。

もちろん、訪問してもやれることはごく限られてしまうけれど、
それでも待っていてくれるということは、そこに何らかの意味や価値があり、

それがたとえ数値化できないものであったとしても、
或いは、効果を上手く説明できないものであったとしても、
僕は全然かまわないと思う。

利用者さんやご家族にとって、
そして僕にとってもそれは、かけがえのない時間であるに違いない。

実際に僕にできることは、ほとんどないかもしれない。
一緒に時間を共有できたとしても、それだけなのかもしれない。

でも、
僕らが在宅医療に関わる意味は、そういうところにもきっとあるのだとも思う。


b0197735_2030693.jpg










[PR]
by hiro-ito55 | 2016-10-05 20:31 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

エンゼルケアを終えて


先日、看護師さんのエンゼルケアに立ち会った。
長女さんの懸命の呼びかけにも拘らず、その方は二度と息を吹き返すことはなかった。
そして、父親の最期を看取ったの長女さんは、母と交代で一年以上も介護に携わってきた。

自分にとって大切なその人が、老いや障害によって、誰かの手を借りなければ、
生きていくことが困難になる瞬間は、たぶん誰にでもやってくる。

そのときに、愛する人への介護を選択するということは、
自分にとって大切な近しい人と、ともに奮闘していく毎日を通して、
一緒に生きることを目指す厳しさに、自ら身を置く決断をするということだ。

そうして時に、自分にとって大切な人のことが、無条件には愛せなくなる瞬間もあり、
そうした辛い現実とも、しっかりと向き合わなければならなくなることもある。
それは、とても悲しいことなのだと思う。

けれどそれでも、介護を受ける側にしても、介護者にしても、
同じように奮闘していく毎日であることに変わりはない。

実際に介護を進めていけば、
そこには、一緒に生きることを目指して、懸命に介護を続けているという思いもあれば、
その苦労を、頼みたくて頼んでいるわけではないという思いもあるかもしれない。
介護を通してそんな毎日が、やがて巡ってくる可能性はきっと誰にでもある。

けれど介護に関わる以前は、
その本当の大変さについて知らないというのが、ごく一般的な感覚なのだと思う。

だから、誰もがとても戸惑うことになるのだし、
今回、父親の最期を看取ったご家族たちも、
介護が始まってから大変なご苦労をされて、ここまでやってきた。

仕事の有給休暇を介護の時間に充てることや、昼夜交代で休みを取りながら看る毎日は、
介護を受けるご本人も含めて、家族としての生活そのものを一変させてきた。

だからこそ、在宅医療・介護に関わる僕らが、
彼らの苦労に少しでも寄り添い、ともに奮闘することが大事になるのだし、
在宅生活の質を支えるという意味において、その関わりは強い意味を持つのだと思う。

介護は、喜びと悲しみが激しく入れ替わる毎日に、
当事者である彼らが戸惑いながらも、それでもめまぐるしく進んでいくものだ。

いいことばかりではない。でも、辛いことばかりでもない。
そうやって、最後まで人間らしく生きようと奮闘する彼らに対して、
その時々で、彼らに寄り添うケアというものが、僕らはできたのだろうか。

エンゼルケアを終えた後、
大切な人を見送るご家族の姿を見て、僕は今までの自分の姿を振り返っていた。


b0197735_2155131.jpg









[PR]
by hiro-ito55 | 2016-08-18 21:07 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

映画「風は生きよという」上映会開催


去る3月13日、
以前ご紹介した映画「風は生きよという」の上映会が開催されました。

僕もボランティアで参加させて頂いたのですが、
200席以上ある客席はほぼ満席の状態でした。

映画の内容は、ドキュメンタリーということもあり、
当事者の声や思いというものが、脚色なく直接的に伝わるような内容でした。

そして何より、今回の上映会開催の代表として奔走したT氏が、
自身も呼吸器を常時使用している当事者でもあることから、
上映会の前に行われた彼女自身の挨拶を聴いたときに、
その思いの一旦を、少し知ることができたように思います。

「風は生きよという」というタイトルの「風」とは、
呼吸器を伝わり流れてくる空気のことです。

それが「生きよ」と語りかけてくる、
その本当の意味を感じているのは、彼女のような人たちです。

僕は週に一度、T氏には訪問リハという形で関わらせて頂いていますが、
今回は上映前に語ったそんな彼女自身の言葉を、紹介させて頂きます。


本日3月13日、愛知県で初上映となります、
映画「風は生きよという」をこの尾張旭市で開催することができました。

御覧のように私自身も地域で生活をする人工呼吸器ユーザーです。
はっきり言います。
この映画は、某テレビ局の頑張っている障害者に焦点を当てて感動を誘うような映画ではありません。
あくまでも人工呼吸器をつけ地域で生活する障害者の日常のドキュメンタリー映画です。

この映画監督である宍戸大介さんからは、私が人工呼吸器ユーザーであり実行委員長であるとわかり、
メールをいただきました。彼も初めはそういった同情的であったり感動的な映画が撮りたかったそうです。
だけど、日々カメラを回しているうちにそうではないということに気づいたそうです。

これからみなさんに観ていただくわけですが、彼のように何かを感じ、何かに対しての気付きをみなさんもしていただけるかもしれませんし、ただのつまらない映像になってしまうかもしれません。
それは、もうみなさんの感じ方次第ということになります。

ただ、これだけの方がこの映画を観るためにここまで来てくださったというのは、
大きな一歩だと私は思っています。大きな前進です。

今は元気でも今後もしかして、みなさんも人工呼吸器をつけるかどうか迫られる時がくるかもしれません。
きちんとした数字は把握していませんが、今現在、医療現場で与えられる情報は「人工呼吸器をつけるか?つけないか?」の2択の場合が多い状況です。つけた後の生活について詳しい説明を受けることは少ないように感じています。私自身が「在宅生活をする」と決めた時は、どんな暮らしが待っているのかについての安心な話は誰からも説明は全くありませんでした。だから、呼吸器をつけたまま遊びに行けるなんて考えてもみませんでした。

だけど、本当はメリットもデメリットも含め、
「人工呼吸器をつけたらどんな生活になるか」を知らされるべきだと私は思っています。

人工呼吸器をつけたら・・・
「生きている意味がない」「活かされてるだけ」「家族に迷惑がかかる」「死んでしまいたい」「生きていく自信がない」など・・・そんなネガティブな理由で、生きるのをやめないでほしい。
「人工呼吸器をつけていても普通に楽しい人生を送ること」だって自分次第では可能です。

それは、障害者自身の問題だけではなく受け入れるために「社会」がどう変わるのか?
そこが問題のひとつだと私は思っています。病気やケガで動けなくなさって混乱している患者やその家族などの個人だけで解決できるような問題として扱うべきではないのかなと思うのです。

私は、障害を持っていてもそうでなくても、誰もが地域で暮らすことを選択できる当たり前な社会が理想です。
「障害があっても地域で暮らす」ことが特別だと取り上げられるような社会ではなく、それが当たり前であるべきです。現在は、不自由ながらも楽しく生活しています。

「NPO法人」という、次のアクションを起こそうとしている最中です。
NPO法人名は、「ピース・トレランス」という名前にしました。「平和」と「寛容」という意味です。
「みんな許しあって、寛容で幸せな世の中になろうよ」という気持ちを込めて決めました。
4月か5月くらいには設立できると思います。

年に数回ですが、このような「地域福祉」に関することや、4月から施行される「障害者差別解消法」などに関する上映会や講演会なんかも企画していく予定でいます。
みなさんのご意見もお伺いしながら企画していくつもりです。

その他には、「困っている人に対する相談事業」です。
「困っている人」はきっとたくさんいるのだけれど、どこに相談していいかわからない。
何度市役所に出向いて訴えかけても話が進まない。
そんな方のお手伝いをしたいと考えています。

まず今日は、この映画を通して地域で生活する人工呼吸器をつけた方の生活を「知り」、
住みよい街にするための啓発活動をしていきたいと思って企画しました。
今回の上映会を通して、みなさん持っている人工呼吸器や人工呼吸器ユーザーに対するイメージが「少しでもいい方に変わればいいな」と地域で生活する人工呼吸器ユーザーのひとりとしても思っています。

今回は、会場の都合もあり車いすでの鑑賞が限られてしまったので、第2回目はバリアフリーを目指した上映会を企画しようと準備しています。車いすの方とそうでない方、一緒に鑑賞できる会を開きたい。
これがまず私たちの次のステップです。

最後になりましたが、本日はたくさんの方に遠方からも足を運んでいただき感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
私が話していても仕方ないですし早く観たいと思いますので、そろそろ上映会を始めたいと思います。

それでは、
この映画がみなさんの気持ちを少しでも変える「きっかけ」になることを期待して開始したいと思います。
ありがとうございました。

                                     2016年3月13日(日)

                            映画「風は生きよという」尾張旭実行委員会
                                        実行委員長 T.O.

                            








[PR]
by hiro-ito55 | 2016-03-17 21:37 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

対人支援の一環を担う者としての在り方の模索


僕はOTだけど、
ケアマネさんが作成する担当者会議の要点を纏めた書類なんかを見ると、
僕の欄には「PTの○○さん」と記載されていることが多い。

正直、最初は気にしてた。
けれど、今はさほど気にもならない。

確かにOTは応用動作に、PTは動きやすい身体作りに、
それぞれ焦点を当ててアプローチするという違いはあるけれど、
他職種から見たら、それが具体的にどんな違いになるのかということは、
非常に分かりづらいことだと思う。

病院、特に回復期のようなところでは、
PT,OTそれぞれの担うべき役割が、比較的しっかりと分けられているけれど、
ADL動作に焦点を当ててリハを進めることが得意なPTだっているし、
逆に、基本的身体作りから関わらなければいけないOTだっている。

特に、在宅分野でリハを提供するということは、
その人の、実際場面での生活を行いやすくするための介入、という側面が強くなる。

少なくともニーズを把握した段階から、
リハは、生活支援の中のサービスの一環として捉えられる。


僕らはリハを提供することで、それを具現化していくことを目標としなければならないし、
基本的身体作りから必要な場合は、そこから介入していかなければならない。
OTだからといって、その段階からのアプローチはできませんとは言えない。

歩行練習だって、筋力強化訓練だって、
歩行のための練習でも、筋力強化のための運動でもない。
必ず、歩行できた先には、筋力が向上した先には、といった目標があり、
僕らはそれを見据えて、ともにリハビリを進めていく。

もちろん、日常動作は今のままでも何とか自分で行えるから、
とにかく体力をつけるための運動を提供してほしい、と要望されることだってある。
そういった場合でも、そのニーズを満たすためのリハを提供していかなければならない。

今やるべきことは何かが見えているのなら、そこに焦点を当てたリハを提供する。
そこで、PTとOTの違いはこうですと言っても、何も始まらない。

少なくとも、ケアマネや他職種からすれば、僕らはそういうふうに見られている。


PTもOTも、
どちらも生活支援のための専門職と見られてはいるものの、
リハが、その中でのサービスの一環として、その全体の必要十分が捉えられている以上、
両者の違いについて問うことはほとんどないだろうし、
それについての必要性を感じることは、まずないと思う。

実は僕自身も、その必要性をあまり感じていない。
元々、PTとOTの違いは名称独占にあるのだから、
それを、業務独占に当てはめるような捉え方は、ナンセンスだと思っている。

それよりも、違いを強調するより、対人支援という枠の中で、
僕らが個々の力量で、何ができるのかを模索していくことの方が重要だ。


利用者さんの利益を第一に考えた場合、
ケアマネや利用者さん、ご家族へのリハビリに対する理解が深まることと、
僕らの質的な違いを説明することの間に、直接的な関係はない。

求められたことに対して、応えられるかどうかが問題なのであって、
個々の専門職としての役割は、その中で見つければいいと思っている。

専門職としての誇りを持つのは、とても大切なこと。
けれどそれは、拘りを持ち続けることとは、少し違うような気がする。

分かりにくいかもしれないけれど、
二つの姿勢の間には、何か質的に大きな断絶があるように思う。
それを僕は、他職種の方たちから教えられているのかもしれない。

そうであるなら、利用者さんとともに向き合いながら、
もっと大きな枠の中で、答えを見つけ出していける自分でいたいと思う。


b0197735_19131721.jpg









[PR]
by hiro-ito55 | 2016-02-16 19:16 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(2)

リハビリに取り組む価値


最期のときまで、なんとか自宅で生活してみたいと頑張る人がいる。
ほんとうは、娘家族の許で同居すれば、いろいろと援助してもらえるし、
自分の毎日はもっと楽になるはず。

けれどその人は、住み慣れた我が家での生活を選んだ。
死に別れた妻との思い出が、いっぱい詰まった終の棲家だ。

40年の暮らしの中で、子供が生まれ、育ち、ずいぶん賑やかなときもあった。
そしてまた、二人きりになってみると、そこには細やかで静かな生活だけが待っていた。

毎朝同じ時間に起き、一緒に食事をして、
妻が買い物に出掛けている間、自分はテレビや新聞を見て過ごす。

夜になればまた一緒に食事をして、
妻の洗い物や洗濯が終わるのを待ち、一緒に晩酌をして寝床につく。

そんな、当たり前の生活。
細やかでちっぽけだが、それだけで満ち足りていた。


若い頃から、妻にはずいぶんと苦労をさせたが、
今、唯一の心残りは、葬儀に出席しなかったこと。

葬儀の日は、頑として家から一歩も出なかった。
その残酷な現実を、正視することができなかった。
棺の中に眠る妻の顔を見ることが、どうしてもできなかった。


今、いつも毎朝6時に起き、遺影の前で妻に静かに語りかけている。
「今日も一日始まるよ。ありがとう。」

そして、デイサービスやリハビリに、一所懸命取り組む一日が始まる。
妻の墓参りに、欠かさず行けるように...。

何だかんだ言っても、自分自身のためには違いない。
でももし、妻のためでもあるならば、
ここでの毎日の意味もまた、違ったものに変わるかもしれない。
だからそれが、自主トレやリハビリを頑張りたい理由であり、目標でもある。

その頑張りは、
人生全体からみれば、ほんの小さな出来事になるのかもしれない。

けれど、一緒に過ごす僅かな時間でも、
一生忘れることのできない思い出ができるように、
そこに、どういう意味や価値を見出すことができるかで、その価値が変わることがある。

たかがリハビリ。されどリハビリ。
でもその価値や意味は、その人自身が知っているから尊いのだと...。

それは、その人自身が大切にできるもの。
その人自身が育むもの。
そこに、掛けがえのない物語がある。


b0197735_2042289.jpg









[PR]
by hiro-ito55 | 2016-02-05 20:06 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

映画「風は生きよという」in尾張旭


僕の担当している利用者さんが、この度NPO法人を立ち上げます。
その立ち上げに際し、主催者として映画上映を行うことになりました。

呼吸器を常時装着している方たちが、生活者としてどのように生き、悩み、
そして関わる人たちとの触れ合いの中で、どのように暮らしているのかを追った、
ドキュメンタリー映画です。


障害を負った方たちは、病院を退院して自宅で生活するようになっても、
障害者や療養者としての生活が待っています。

しかしそうではなく、彼らが地域で生きる人、つまり生活者としての視点で、
何を感じ、何に価値を見出しているのかを知ることは困難です。

だから、人間として、本来は当たり前に営むことのできる生活を、
彼らはどのように感じて生きているのか、
当事者の目線から、それらの少しでも理解することができたなら...、
この映画の上映を前に、僕はそう思っています。





既に他県では上映されているところもあるようですが、
愛知県では今回が初上映となります。

当日は、僕もボランティアとして関わらせて頂きます。
愛知県、もしくはその近隣にいらっしゃる方たちに、ぜひ足を運んで頂ければ幸いです。

上映日時や会場、その他詳しいことは下記までお問い合わせ下さい。
                ⇓⇓⇓
『映画「風は生きよという」in尾張旭 ご案内トップページ』



b0197735_20594286.jpg










[PR]
by hiro-ito55 | 2016-01-20 21:03 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー
プロフィールを見る
画像一覧