カテゴリ:日本人( 19 )

からくり儀右衛門


みなさんは、「からくり儀右衛門」をご存じだろうか。
幕末から明治にかけての発明家で、本名は田中久重。

今から150年以上前に、万年時計を作ったことで有名だが、
制作のために必要な天文学の知識や、工学技術は独力で学んだ。

昼間は生計を立てるために働き、
仕事が終わると、徒歩で数十km離れた学者の下に赴き、必要な知識を学んでいったという。

しかもそれを10年間、ただの一日も欠かさず続けたというのだから、
たいへんな努力家でもあったらしい。

苦学の途上、足繁く通う夜道を照らす満点の星空に、
この苦学の発明家は、毎日何を思っていたか....。

それまでにも、「和時計」と呼ばれる不定時法に対応した時計は存在していたが、
彼が作り出した万年時計は、ただ正確に時を知らせるだけの時計ではない。

定時法と不定時法、月の満ち欠けや太陽の軌道の変化、
日の出や日の入りの時刻、或いは、曜日や二十四節気の巡り合わせまで、
それら全てを連動させて、同時にひとつの時計で表現する仕掛けが施されていた。

完成させた万年時計は全て彼の手作りだが、
現代の最新技術をもってしても、それと同じものを作ることは不可能らしい。

動力となる発条(ぜんまい)から、様々な形をした歯車や螺子の一本一本に至るまで、
全てをどのように組み合わせて動かせば、寸分違わず正確に刻むことができるのか。

凡人には気の遠くなるほど壮大な計画だが、
一見、それぞれがバラバラに刻んでいる時は、統一されたリズムを持っていて、
それらを結びつける、時というものに対する彼なりの地図だけは、
ひょっとしたら夜道を歩く彼の頭に、すでに描かれていたのかもしれない。

あとは、その確信をいかに正確に表現することができるか。
その情熱と信念は、彼の抱えたカラクリでもあり、彼を魅了した夢でもある。
きっとそれが、彼の独創を独創足らしめていた。
そんなことを想像してみる。










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by hiro-ito55 | 2016-04-05 22:10 | 日本人 | Comments(3)

言霊(ことだま)


言葉には、力があるという。

詩でも、誰かの言葉でもいいけれど、
世の中には、確かに僕らの心を捉える言葉というものがある。

言葉によって自分の心が動かされたとき、
僕らは、その言葉の姿や表現性、或いは、その言葉の持つ力を感じることができる。

そして、
その力を感じつつ、驚き、或いは戸惑いながらも、心が動かされるということ。
そのとき僕らは、言葉の持つ働きを深く信じていることになる。

現に、誰かの言葉に心打たれるように、誰かの詩に感動するように、
それぞれが、それぞれの仕方で、その力を感じることができるのは、
紛れもなく、僕らが言葉というものの働きを信じているから。

そこには、
それぞれが、それぞれの力量に合わせて感じられるだけの、
言葉に対する信頼と呼べるものしかないと思う。

もし、「誰かが○○と言ったから、△△という結果になった」
という、言葉と結果の間に生じた、現象としての理解の仕方を信じ、
それを指して言霊と言うのならば、それは最早、言霊信仰という馬鹿げた捉え方だ。

そんな薄っぺらなところには、言葉の魂など存在しない。


誰かの言葉に心打たれること。
誰かの詩に心から感動すること。

そこには、僕らの心をそのように導いてきた、言葉に対する親しみがあり、
それが、どんな物的な結果を齎そうとも、或いは齎さなくても、
僕らは、この信頼自体を笑い済ますことはできない。

言葉に心を預け、
言葉に備わっている固有な働きを、そのままの形で受け取るということ。
それを言葉の魂、言霊と言うのだと思う。


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by hiro-ito55 | 2014-09-24 19:32 | 日本人 | Comments(0)

いろは


皆さんは、この歌をご存知でしょうか。

  色は匂(にほ)へど 散りぬるを
  我が世たれぞ 常ならむ
  有為の奥山  今日越えて
  浅き夢見し  酔ひもせず


この歌の解釈には諸説あるようで、一般にこの歌は、
仏教の世界にあるような、人生の無常観を歌ったものだと言われていますが、
僕は、それだけで終わらないような気がしています


試しに、素人の自分なりに解釈してみましたが、

「色の匂いは残っているが、散ってしまった美しい花のように、
この世に生きる私というものが、この先もずっと存在すると誰が言えようか。
(その儚い世に生きて)
毎日、様々な因縁から生まれる一切の事物を、今日も乗り越えてはいるが、
その中で、浅はかな夢や酔いに惑わされることは、ないようにしよう。」

大筋にはそういう解釈の仕方が、自分には一番しっくりとくるのです。


つまり、
人生に於いてあらゆる無常というものが、確かにあることを知りつつも、
自分はただこれに流され、無意味な空想や無力感に囚われまいとする、

そういう、実際問題としてのその人が直面する現実、
これに生きることを覚悟した人だけに言える、
偽りのない決意のようなものを、歌った歌だと思えてくるのです。

もっと言えば、
人生のあらゆる苦難を達観した人、それを仏教だとか儒教だとかといった教えを通さずに、
直に自分の人生と向き合うこと、その本当の意味や味わいを知った、
「やまと心」に目覚めた人に歌える歌ではないか、と感じるのです。
そういう力強さが、きっとこの歌の中にはあるのだと思っています。


また、この歌を全部ひらがなで表すと、

  いろはにほへと ちりぬるを
  わかよたれそ つねならむ
  うゐのおくやま けふこえて
  あさきゆめみし ゑひもせす


になります。

皆さんよくご存知の「いろはにほへと」、
今でいうなら、平仮名を覚えるための50音表となります。

日本語の50音を過不足なく使って、しかもそれを歌で表現するという言語センス、
誰が作った歌なのかは定かではないようですが、とても鋭いものだと思いませんか。


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by hiro-ito55 | 2014-06-09 21:51 | 日本人 | Comments(0)

言霊について少しだけ...


日本には「言霊(ことだま)」という言葉があります。
言霊とは、呪術的なものや暗示のようなものではなくて、言葉の表現性である
少なくとも僕は、そのように理解しています。

僕らは、
言葉によって、色々と経験したものをはっきりと意識化することができます。

人は、物事を「理」というもので説明されると、
何か、とても高尚なことを言われたように感じるものですが、

世の中の姿や、人の心の知りようは人それぞれで、
いつでも、自分の力量に応じてその都度経験し、これを味わい、
自分のものにしているはずです。

だから、
言葉は、その人の経験と切っても切り離せないものだと思います。

理が先にあるのではなくて、物に対するそれぞれの経験が、誰にでもまず先にある。
それをうまく表現しようとして、言葉の持つ力に捕われる。
そういう働きが、経験と言葉の間にはあるのだと思います。

だから例えば、音楽について知識をいっぱい持っている人よりも、
たった一曲でもいい、それに感動できる人の方が、遥かに音楽の何たるかを知っているし、
そういうところから、言霊というものが生まれてくるのではないかと思うのです。

或いは、どうしてもこの物事には、こうという言葉しか思い浮かばない、
そんな経験は、それぞれが、すぐには言葉で言い難いような体験を通して、
そこから言葉の持つ力の、その不思議さを経験することだと思うのです。


物事には、それが持つ、それぞれのリズムというものがありますが、
そのリズムに応じるのが、僕らの経験であり、それを見定める言葉というものです。
そして、そこを離れて言葉を扱えば、きっとその言葉は、ただの記号になってしまいます。

経験があって、そこから理が生まれてくるのはいいと思います。
けれど、理で人の経験の全てが言い尽くされていると思ってはならないし、
経験と理が離れてあるのなら、その理はウソになる。

言葉で言い難いというのも、
逆に言えば、それを何とか言葉で見極めたいという、僕らの願いの現れであって、
それは経験の自覚化・意識化への渇望に他ならないのだからだと思います。

言霊
それは、けっして識別標として言葉を扱うということではなく、
それぞれの人が、経験する物事に直に触れる不思議さに捕われながらも、
これを何とか見定めようとする、人の表現性のことではないでしょうか。


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by hiro-ito55 | 2013-12-23 20:56 | 日本人 | Comments(0)

死んだらみんな仏さま


死んだらみんな仏さま』という言葉があります。
これは、日本人の死生観であり、宗教観を表す言葉でもあります。
いい人も悪い人も、死んでしまったらみんな平等という捉え方は、
世界的に見て、とても珍しいものだと思うし、同時に一番誤解されやすい考え方だと思う。

例えば、家康公を神として祀った日光東照宮や、
大国主命を祀った出雲大社などは、今も破壊されずに残っています

そもそも明治政府から見れば、
徳川幕府創始者の家康は、錦の御旗に仇成す賊軍の象徴で、
維新の過程において、彼を神として祀る東照宮などは、
破壊されても不思議ではなかったはずだし、

また、国譲り物語で有名な大国主命を祀った出雲大社も、破壊されずに守られ
いずれも現代まで、人々の信仰を集めたり観光名所となったりしています。

こんなことは、
例えば、易姓革命政権の正当性の根拠とする中国大陸や朝鮮半島では、
歴史的に見ても、まずありえないことです。

易姓革命を根拠に権力者となった者は、自らの正当性を確保するために、
前政権の一族を、遠い親戚にまで遡って抹殺する『九族皆殺し』が当たり前で、
長い間、それを繰り返してきた歴史があります。

漢民族や朝鮮半島の人たちが、今でも自分の非をなかなか認めないのは、
こういった歴史が背景にあるからで、
東亜に限らず、むしろ世界的に見たらこっちの方が常識であったりするのです。

彼らには、
『死んだら悪人も善人もみんな同じ仏さまなんですよ。大切にしましょう。』
という考えは、容易には通じない。


例えば、中国の杭州に岳廟という有名な史跡があります。
岳廟は、中国の英雄岳飛(がくひ)を祀った史跡ですが、
そこには、岳飛を裏切ったとされる秦檜と、その妻の座像があります。

周りを檻で囲まれ、後ろ手に縛られて跪かされている二体の像で、
英雄である岳飛を裏切った仕打ちとして、
ここを訪れる中国人観光客は、この像に唾を吐きかけます。

彼らにとっては、
悪人は死んでも悪人なのだという考え方の方が、むしろ常識なのです。


しかし重要なのは、
そういうことが我々日本人から見て野蛮な考えだから改めろ、
などと言うべきものではない
、ということです。

例えば、死んだ人を、土葬や水葬にする国や地域が今でもありますが、
火葬が当たり前の国から見て、土葬や水葬は衛生上好ましくないから火葬にしなさい、
などとは言わないし、そういう考えを押し付けること自体、
その国の文化を否定することにも繋がってしまいます。

悪人は死んでも悪人という捉え方は、
儒教文化圏に生きる彼らの死生観であり、常識であるのだから、
他所の国民が、どうこう言うレベルの話ではないのです。


そして日本では、皆殺しの代わりに例えば島流しがあり、
武士道で言うところの、惻隠の情というものがあった。

『何も命まで奪わなくても』という考えは、
『死んだらみんな仏さま』という日本人の死生観と繋がっています。
そういう視点で見れば、靖国神社の合祀は当たり前のことなのです。

政治家の公式参拝や、分祀か合祀かで、毎年揺れる靖国問題ですが、
死んだ人間をどう祀るかは、その国の人が決めること
他国の人間がどうこう言うものではないのです。

靖国での祀り方や参拝に関しては、
『死者を同じように祀るのは日本人の死生観であり、宗教観である。』
と、一言政治家が言えば済むことで、

その国の死生観と政治問題は、
本来は切り離して論じなければならないものである筈なのに、
あれを、戦争責任や政治と絡めて問題化させているのは、むしろ中国や韓国なのです。

それにもし、分祀することが日本人として正しいのならば、
江戸城も日光東照宮も出雲大社も、蔑むような祀り方をするか、破壊してしまわなければ、
論理としては矛盾してしまいます。


そして、
『死んだらみんな仏さま』というのは、
実は、老人医療や介護に携わる僕らコメディカルにとっても、
とても重要な価値観ではないでしょうか。

死者を平等に扱うということは、生を平等に扱うということです。

たとえば年老いていく者や、死にゆく者を見て悲しいと感じ、
同時に、彼らの在りように尊敬の念を抱きながら、手を差し伸べていくのが、
老人医療や介護に携わる、僕らコメディカルの仕事。

専門性は、そのために発揮される手段であり、
何も共同体やコミュニティーなどと、取って付けたようなことを声高に言わなくても、
それを当たり前のこととして、今自分にできることを、黙々と実行している人たちが、
全国にはたくさんいると思う。

共に生きるということが僕らの価値観を支えている限り、
お互いを尊敬し合うことができる
それが分かっていれば、
生や死を平等に扱うということが、みんな同じように扱うということではない
ということにも、気付くはずです。

隣人は、自分と違って当たり前
それを尊重する視点から出発することでしか、僕らはこの世界に生きることはできないし、
それを支えるために、個性や専門性というものがあるのだとすれば、
共存することの意味というのも、きっとそこにあるのだと思います。

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by hiro-ito55 | 2012-09-23 19:19 | 日本人 | Comments(0)

言葉に対する感覚


今年古事記撰録から、ちょうど千三百年
古事記日本の始まりを語る神話

当時、書き言葉としての日本語
つまり、平仮名やカタカナが存在していなかった中で、

借り物の漢文ではなく、
日本人の心を、何とか日本語で表現しようとした、
古事記そんな書物

その結果、
としては、日本語の読みを強引に漢字に当て嵌めるといった、
非常に難解な文章になっています。

だから、
稗田 阿礼(ひえだのあれ)口誦を、
太安万侶(おおのやすまろ)らが書き写してから数年で、
誰も正確に本文を読めなくなったといわれています。

なぜ
そんな複雑なことをしたのか。

それは、
今、日本人の精神や世界観を表す最初の言葉を、
そのままの形で残しておかなければ、

今後、日本人の心を、
日本語で表現することができなくなってしまう

という危機感が働いていたからだと、言われています。


当時は、文章はみんな漢文で書かれていました

漢字表意文字だから、
文字の表す意味に強く惹かれてしまう

例えば、『』という文字は、
日本語で『あめ、あま』などと訓読されますが、

漢文の持つ『』の意味と、日本語の『あめ、あま』のそれには、
微妙なニュアンスの違いがあります。

書き言葉としての日本語がないということは、
この微妙な違いを無視して、『』=『あめ』というふうに、

日本人の感じ方が、
漢文の世界観に同化してしまう危険があるということ。

例えば、現代において、
日本の公用語英語にしてしまったとしたら、
数十年後には、『枝ぶり』や『咲きわう』といった、
日本語の持つ意味や世界観は、分からなくなってしまうでしょう。

コトバ輸入するということは、
文字だけを取り入れるという、そんな単純なことではなく
コトバの持つ世界観

つまり、
輸入元の文化や歴史までをも受け入れることなんだ、
ということは、忘れてはならないことです。


現代は、書き言葉としての日本語存在しますが、
当時の文章の公用語漢文で、それに対抗する言語を持っていない

しかも、
圧倒的な文化力の差でもって、漢文はどんどん輸入されている

そんな状況が、どれほど危険なものであったか

複雑表記古事記撰録背景には、
そういう言語に対する非常に鋭い危機感が働いていた
読むことができます


そしてその古事記本文を、
約千年振りに、ほぼ完全な形読み解いたのが、
本居宣長

千年も昔の日本人の心を、甦らせることができたのだから、
彼もまた、言語に対する非常に鋭い感覚を持っていたのでしょう。


言語に対する鋭い感覚を持っている人は、
文化や歴史、そこに生きる生身の人間というものを大事にする

逆に、
言葉を大事にできない人間は、
文化や歴史はおろか、人を大事にすることができない

というのが、僕の持論です。

報奨契約インセンティブと言ってみたり、
先導主導権イニシアティブと、
カッコよく言い換えてみたりする一方で、

遵守を『そんしゅ』、他人事を『たにんごと
言い間違えるようでは、言語に対する感覚は、鈍い


現代に生きる僕らは、コトバに対する感覚というか、
敬意というものを見失いがちで、

それが、自分や他人の持つ世界観を狭め
自分自身の感じ取る能力をも、削いでいるのではないか、


古事記撰録の背景から、翻って現代というものを考えてみると、
そんなふうに思えてきます

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by hiro-ito55 | 2012-09-16 16:21 | 日本人 | Comments(0)

満たされるモノ


90歳代の利用者さんから教えてもらった言葉

人は奪い合えば足りないが、譲りあえば余る。』


素晴らしい言葉だと思う。

もそれは私のモノだと言えば、
いつまでも足りない気持ちにさせられるけれど、

お互いを思いやるような心持ちで臨めば、
それはいつでも満ち足りている

同じ物や心でも、
分け合うこと不安安心に変わったりする。

たったひとつしかないモノでも、
十分に多くの人を満たすことができる。

これはひとつの真理だろうし、
その真理は、数多の経験が、
きっと、自然とその人自身に語りかけてきたものに違いない。

そんな凝縮された人生経験に裏打ちされて、
しっかりと支えられているように思えてきます。


有名な人だから必ずしも偉いのではなく、
偉大な人はいつでも、僕らの身近にいる

ふとしたきっかけで、
そんな当たり前のことに気付かされます。

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by hiro-ito55 | 2012-06-15 19:45 | 日本人 | Comments(0)

端午の節句


明日、五月五日端午の節句。別名、菖蒲(しょうぶ)の節句とも言います。
日本には五節句というものがありますが、
明日の端午の節句もその一つ。

現代では、
男の子の健やかな成長を祈願する日として、
屋内に五月人形を飾ったり、
庭先やベランダにこいのぼりを立てたりします。

端午の 『』 には、『はしっこ』 という意味の他に、
もともとは 『始まり』 という意味があり、
端午とは、古くはその月の初めの 『午の日』 のことを差していました。

そして、諸説ありますが、
午(うま)は、十二支でいうと七番目に当たり、
旧暦では午の月五月に当たることと、
は 『』 とも読めることから、
五月の五日を 『端午の節句』 と言うようになったようです。

そして単に語呂がいいからそう決まったというのではなく、
月数日数奇数で一致する日は特別な日
と考える重日思想とも、結びつけられました。

また、日本には古くから五月を 『悪月』 と呼び、
この月は、悪いことが起こりやすいとして忌み嫌う習慣がありました。
皐月(さつき)忌み』 と言って、
菖蒲(しょうぶ)蓬(よもぎ)を使って身を清め、
邪気を祓う風習です。

現代でも、菖蒲湯という形でこの風習が残っていますが、
この皐月忌み重日思想が結びついて
端午の節句が我が国に定着した、というのが定説のようです。

ですから、
もともとは男の子のための行事というわけでもなかったようですが、
やがて、
菖蒲尚武(しょうぶ)に通じるということから、
を屋内に飾り、男子の武運を祈る習慣変化していったようです。

それが、平和な江戸時代になると、
武運立身出世を果たす機会はなくなり、
代わりに縁起の良い登り鯉が使われるようになりました。

は 『鯉の滝登り』 と言われるように、
龍に出世する縁起の良い魚で、
こいのぼりは、男の子の立身出世を祈願する象徴として、
端午の節句の時期に飾られるようになったのです。

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by hiro-ito55 | 2012-05-04 19:49 | 日本人 | Comments(0)

個性を尊重する日本人


日本人は、個人よりも組織や社会優先して考える
という話を、よく耳にします。

そしてそれは、日本人には個性がないのだ、
或いは、日本人は個性を尊重しないのだという意見と、
結び付けて論じられることが、多い話でもあります。

現実には、外国の方だけではなく、
一般人であろうが有名人であろうが、当の日本人の中にも、
それが自分たち日本人の欠点であるかのように
思い込んでいる人がいます。

けれど、僕はけしてそうは思わない

日本人が、個人よりも社会組織
優先させて考える傾向にあるのは、個性がないのではなく、
それは、周りの人を尊重する姿勢なのだと、僕は思うのです。

俺が、俺が、と自分を主張して押し切るのではなく、
自分の周りのことを考えてみる。

そういうことができるのは、
自分よりも周りの人や繋がり尊重する姿勢があるからで、
自分のことなど二の次だ、という謙虚な姿勢を持つからです。

いわば、自分よりも他人の個性を尊重する姿です。

この部分が見えていないと、
日本人の側からも、日本人は付和雷同気質だとか、
全体主義だとかという話になってしまう。

そうではなく、組織や社会を優先して考えるのは、
自分よりも他人の個性を尊重するという、
広い意味での個性の尊重なのであって、

それは、
個人から見た人間社会に対する美意識でもあるのだと思います。

そうやって考えると、
日本人が個性を重んじていないとは、
一概に言うことはできない。


東日本大震災からもうすぐ一年が経ちます。

アメリカから被災地の支援活動にやって来た方の中には、
支援物資を手渡すたびに、ほとんどの被災者の方から
 『ありがとう』 とお礼を言われたことに、
とても驚いたという話を、聞いたことがあります。

また、一人ペットボトル2本まで
という制限を受けていたにも拘らず、
給水車の列に皆、整然と並んで
自分の番を待っていられる姿感心した
という外国人の話も、聞いたことがあります。

こういうのは理性ではなく、情緒の働きでできることだと思うし、
それが、日本人の社会に対する美意識なのだと思います。

そういった、日本人に自然と備わっている素晴らしいもの
僕らは大事にしていきたい。

そんなふうに思います。

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by hiro-ito55 | 2012-03-07 18:33 | 日本人 | Comments(0)

デジカメで上手く撮れなくても...

仕事帰りに夜空を見上げると、
がとてもキレイだったので、
持っていたデジカメで一枚撮ってみた。
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が、倍率最大にしても、
なかなか上手く撮ることができない...
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...どころか、
肉眼で眺めた方が、キレイな気がする。


デジカメじゃ、やっぱりダメかな、
ちゃんとしたカメラだと、もっとくっきりと写るかな、
などと考えていると、

小林秀雄の 『お月見』 という随筆を思い出しました。


小林の知人が、京都の嵯峨で月見の宴をしていた時のこと。
若い会社員たちが、酒を呑みながら月見をしている席に、
たまたまスイスから来た客人が数人、同席していた。

彼らには、日本人たち一座の
月見』という雰囲気が、どうしても理解できず
今夜の月には何か異変でもあるのか』 
と、怪訝な顔で質問したという話。


それについて、
小林秀雄は、次のように書いています。

この日本人同士でなければ、容易に通じ難い、
自然の感じ方のニュアンスは、在来の日本の文化の姿に、
注意すればどこにでも感じられる。

ところが、近代化し合理化した、現代の文化をいう場合、
そんな話を持出すと、ひどく馬鹿げた恰好になる。
何か全く見当が外れた風になるのはどうしたわけか。

意識的なものの考え方が変っても、
意識出来ぬものの感じ方は容易には変らない。

いってしまえば簡単な事のようだが、年齢を重ねてみて、
私には、やっとその事が合点出来たように思う。

新しい考え方を学べば、古い考え方は侮辱出来る、
古い感じ方を侮辱すれば、新しい感じ方が得られる、
それは無理な事だ、感傷的な考えだ、
とやっとはっきり合点出来た。

何んの事はない、
私たちに、自分たちの感受性の質を変える自由のないのは、
皮膚の色を変える自由がないのと
よく似たところがあると合点するのに、
随分手間がかかった事になる。

お月見の晩に、伝統的な月の感じ方が、
何処からともなく、ひょいと顔を出す
取るに足らぬ事ではない、
私たちが確実に身体でつかんでいる文化とはそういうものだ。

古いものから脱却する事はむずかしいなどと口走ってみたところで
何がいえた事にもならない。

文化という生き物が、生き育って行く深い理由のうちには、
計画的な飛躍や変異には、
決して堪えられない何かが在るに違いない。

私は、自然とそんな事を考え込むようになった。




デジカメで上手く月を撮れなくても、
月をキレイだと思える日本人としての感性があれば、
とりあえずは、それでいいではないか。

それに何の不足があるのだろうか。

そんな気持を、
小林秀雄が教えてくれました。







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by hiro-ito55 | 2012-01-25 20:25 | 日本人 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー
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