考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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カテゴリ:作業療法( 96 )


毎週訪問させて頂いている利用者さんの中に、町工場の社長さんをしてらした方がいる。

リハビリをしながら、働いていた頃の話をよくされるのだけれど、
「へぇー」と思わされることも度々あって、営業職の若い社員にいつも語っていたという言葉も印象的だった。
                    ・
                    ・
――「取引先で、自社をアピールして帰ってくる奴は、まだまだ半人前。
   相手の話をよく聞き、その要望を満たすために、
   自分のできることを見つけようと努力することができれば、やっと半人前を卒業できる。
   そして相手の望むものを理解し、自分から先にそれを提案できるようになれば一人前。」――
                    ・
                    ・
そういうことが、段階的にできるようになっていく人は、
相手先と長い付き合いができる営業マンに育っていくというのだ。

つまり、
営業先で自社製品の特徴やメリットを、熱意を持って語るだけでは、
相手先の信用は全く得られない。

逆に、
話の中から相手の望むものや期待しているものを素早く感じ取り、
それに合わせたディールを展開するためにはどうしたらいいか、
そのことを常に考え、商談を進めていこうとする者が、営業マンとして一人前になっていくということだ。


リハビリもそうではないかと思った...。

自分の知識やスキルを、利用者さんの前でアピールできるのはいい。
それだけ自身があるのだろう。

しかし、それだけでは利用者さんからの信頼は得られない。

初めて利用者さんとお会いするときに、いつも感じるのは、
僕らが望むと望まないとに限らず、治療者と被治療者の間には、
治療者優位の力関係が、既に存在しているという事実だ。

そこで望まれていることは、専門性のアピールよりも、
まずは、僕ら側から積極的に相手の立場になって考えていく姿勢なのだと思う。

相手が何をしてほしいのか、どんな姿を望むのか、
それに対して自分のできることは何なのかを、まず考える。

そして、
相手の望む形に自分の専門性を上手く乗せて、ひとつひとつそれを具現化していく。

作業療法は、相手から共感し、共有しえたものを、ひとつの形にしていく行為だから、
それが上手くいったとき、初めてそれはいいリハビリだったと言える。
スキルや知識の展開は、それを踏まえた上で実を結ぶものだと思う。


良い営業マンと、良い作業療法士。
製品を売ることと、治療することとでは、確かに次元の違う話なのかもしれない。
けれど、相手から信頼してもらうことが必要な点は、両者とも共通している。

では、信頼を得るためにはどうしたらいいか。
それが、自己アピールではなく、むしろ逆の姿勢から始まると考えたら、
この仕事は、とても奥が深く魅力的なものだと感じる。


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by hiro-ito55 | 2016-12-06 22:03 | 作業療法 | Comments(0)

未だ個人的な質問が多いので、
この記事⇒ PTとOTの違いを上手く説明するために について補足する。

補足内容は、僕らの仕事が名称独占であるということについての、その法的な裏付けである。
以下は、理学療法士及び作業療法士法(昭和四十年六月二十九日法律第百三十七号)より抜粋したものである。


第一章 総則 第二条
 この法律で「理学療法」とは、身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マツサージ、温熱その他の物理的手段を加えることをいう。
2 この法律で「作業療法」とは、身体又は精神に障害のある者に対し、主としてその応用的動作能力又は社会的適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作業を行なわせることをいう。
 この法律で「理学療法士」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、理学療法士の名称を用いて、医師の指示の下に、理学療法を行なうことを業とする者をいう。
 この法律で「作業療法士」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、作業療法士の名称を用いて、医師の指示の下に、作業療法を行なうことを業とする者をいう。


上記「総則第二条」の1,2の「主として」という表現が、
例えばもし「専ら」であったならば、それは「専従」を意味することになるため、
「主として」以下に記されている内容以外の業務を、
作業療法(若しくは理学療法)だと謳うことは、一切許されないことになる。

が、実際はそうではない。
「主として」という表現が成されている以上、
1,2は、業務の専従性についての規定ではなく、
作業療法(若しくは理学療法)という、業務の性格性を明記したものということになる。

そして、
理学療法士とは、理学療法士の名称を用いて理学療法を行う者を指し、
作業療法士とは、作業療法士の名称を用いて作業療法を行う者を指すことが、
3,4に明記されている。

つまり、
作業療法士が歩行練習や機能訓練をしてはならない、
或いは、理学療法士が作業や工作をしてはならないという業務についての規定はなく、
同時に、作業療法士が歩行練習や機能訓練を行えば、それが作業療法となり、
理学療法士が作業や工作を行えば、それが理学療法となるのだという名称の独占が、
法的に担保されているということになる。

こういった名称の独占であるということは、逆に言えば、
作業療法士が歩行練習や機能訓練を行っても、それを理学療法と名乗ることはできないし、
理学療法士が作業や工作を行っても、それを作業療法と名乗ることはできない、
ということも意味することになる。


また、名称の使用制限については、
以下の「第四章 業務等 第十七条」においても、はっきりと規定されている。

第四章 業務等 第十七条(名称の使用制限)
1 理学療法士でない者は、理学療法士という名称又は機能療法士その他理学療法士にまぎらわしい名称を使用してはならない。
 作業療法士でない者は、作業療法士という名称又は職能療法士その他作業療法士にまぎらわしい名称を使用してはならない。


これらが、
リハビリを行う際に、作業療法士でも歩行練習や機能訓練を、
或いは理学療法士でも、手芸や工作を行えることの根拠であり、
その内容については、作業療法士が行うから作業療法となるのであり、
理学療法士が行うから理学療法となることの根拠、つまり名称独占についての根拠である。

以上、疑問に思っている方々も、これで少しは理解しやすくなったと思う。


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by hiro-ito55 | 2016-09-05 19:32 | 作業療法 | Comments(0)

この前、久しぶりに何人かのOTさんやPTさんと話す機会があった。
在宅や病院や研究職、それぞれ挑んでいる分野は異なるだけに、
お話を聞いて、なるほどと感心することがいくつもあったが、インテリジェンスが高い人ほど、
物事を抽象的にというか、観念的に考える傾向は、確かにあるように思う。

自分もいくつか意見を述べさせて頂いたけど、
結局は、自分が関わっている利用者さんやご家族から日々感じること、
或いは、彼らから直接伝えられたことに対して、自分がしたことやできなかったこと、
それに対する思いなどを、雑多にお話しさせて頂いた。

でも例えば、在宅医療やリハをこの先どうしていくべきか、
或いは、どうあるべきかについて聞かれても、たぶん僕は何も答えなかったと思う。

僕も駆け出しの頃は、「OTの将来はこうあるべきだ」などと、
生意気にも周りに吹聴していたことがあったが、
今は経験が身になっていないことを語るのを、極力避けるようにしている。

だから、
自分が実際に見聞きしていないことについて意見を聞かれたときは、
「分からない」と答えることも多くなった。


抽象的に考えることは、何か物事全体を捉えているかのように錯覚しやすいし、
毎日の現実的な選択よりも、高次な価値観を持っていると誤解しやすい。

けれどよほど注意していなければ、観念的に捉えたその言葉の意味についての無知や、
責任についての無関心に、気づくことはできない。
錯覚や誤解に基づいて語られる言葉は、非現実的なただのお喋りにすぎないということに、
なかなか気づくことができない。


「認知症で普段喋らない母が、食事介助中に私の目を見てありがとうと言ってくれた」
「妻が亡くなり、昼間独りになるけれど、デイに行く気にはなれない」
「夫の物忘れや世話は大変だけれど、息子と協力して家庭を守っていこうと決めた」
「車いすにもう少し長く座れれば、一緒に買い物を楽しむことができる」.....。

毎日のように利用者さんや、それを支えるご家族たちと接していると、
実に様々な悩みや喜び、楽しみがあると気づくことは多いと思う。

そこから僕らは、その人たちが在宅で充実した生活を送るためにはどうしたらいいかを、
自分なりに考えていく。

それは、相手について考えることと同時に、自分自身に何ができるのかという、
相手との間で共有しえた、現実問題を考えることにも繋がる。

そうして得た答えや疑問が、
自分が本当に考えたい問題であったり、取り組むべき課題となっていくこと、

それが何よりも大事なことで、
それが僕らにとって、遥かに現実的な力を持っているのだと信じている。

在宅医療やOTの将来をどうしていくべきかについて、考えることも必要かもしれないが、
利用者さんの前にいる、たった一人の臨床家であろうとする限り、
直接的な経験から自分の言葉が生まれ、世界を語ることができるのではないか。

そうして生まれた言葉は言葉で終わるのではなく、
利用者さんたちを支える様々な選択肢や、可能性という形になっていくことを、
僕らは日々の実践を通して経験している。

雄弁な主義者にも、ただのお喋りにもなる必要はない。
僕らはただ、現実に悩む人の選択肢であり、戸惑う人の伴走者であればいいと思う。


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by hiro-ito55 | 2016-05-12 19:44 | 作業療法 | Comments(0)

ともに歩むために


僕らOTは、病前のその人の姿を知らない。

治療者と被治療者という関係が始まる前、
その人が、何を好きで、何に夢中になり、
何に価値を見出していたか。

或いは、
どのような環境の中で、
どのような人と交わり、
どのような社会で、自分の役割を感じてきたのか。

その人の生活する上での安らぎや葛藤とは何か、
その人の生き方を支えていた仲間や価値観とはどういうものなのか、
そして、今の自分をどのように受け止めているのか、
そこから、何に価値を見出していくのか....。

僕らは何も知らない。


でもだからこそ僕らは、
ともに探し、ともに悩み、ともに課題を乗り越えようとする。

今のその人に共感し、共有しえたものを、ひとつの形にしていくため、
僕らは一緒になって考え、悩み、支援しようとする。

それこそが、
これからの、その人にとっての大きな力となっていくことを、僕らは知っている。

過去を知らない代わりに、
その人の今と未来の1ページを、活動を通してともに作っていくことができる。


作業療法士は、病前のその人を知らないけれど、
今のその人を総体的に理解し、支援する方向へと導くことができる。

他人同士だから、その人と全く同じものを見ることはできない。
でも他人同士だからこそ、共感し、共有することができる。


その人の話を本当に聞きたいと僕らが願ったとき、
その人の中で、僕らの姿が明確になっていく。

同時に僕らの中にも、その人の希望や葛藤、
今向き合うべきものや、これから向かっていく姿が少しずつ現れてくる。

それが、人が人を知るということに繋がっていくのだと思うし、
作業療法における全ての支援は、そこから始まる。


僕らが目指す本当の支援とは何か。
専門性を発揮していくために、ひとりひとりの作業療法士は、
そのことへの一番の理解者であるべきなんだと思う。


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by hiro-ito55 | 2016-03-02 21:32 | 作業療法 | Comments(0)

突然の連絡だった。
昨年から今年の夏まで、リハビリの一環として水彩画に一所懸命に取り組んできたNさん。
(*過去記事:描き始める人 、在宅での作業療法の実際 )

ケアマネからの連絡で、一昨日亡くなられたことを知った。
最後はたった一人の息子さんに見守られ、病室で静かに息を引き取ったという。
               ・
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               ・
OTジャーナルに、
Nさんが全力で描き上げた3枚の絵を応募したのが半年前だった。

当時のNさんが、訪問に入っている看護師に
「病気になってから初めて心から笑えるようになった」と話していたことを、
後から聞かされたこともあった。

作品送付後、ステーション宛てに送られてきた応募作品受領の通知ハガキを読み、
一緒に喜んだ彼の顔は、本当に嬉しそうだった。

けれど、今年の夏は暑かったせいか、
その後体調の優れない日が続き、ベッドで横になっていることが多くなっていた。
「描きたいけど気力が沸かない」と、再開していた絵も手つかずのまま。

そんな中、応募作品採用見送りの連絡通知が送られてきた。
応募した3点の作品とともに、ステーション宛てに送られてきたのだ。

報告すれば、きっと彼は笑顔で「そうかぁ、残念」と答えるだろう。
けれど、今このタイミングで伝えるのは酷な気がした。

本当は、僕自身に本当のことを伝える勇気がなかっただけなのかもしれないけれど、
そう考えて、訪問中は応募した作品の話題に触れないようにしていた。

話すのは、もう少し元気が出てからにしよう....。
そうやって、その後も元気のないNさんを見る度に、
伝えることをズルズルと先延ばししていた。

やがて10月初旬になり、Nさんが体調不良で入院してしまった。
不採用通知の連絡が届いてから、一月ほどが経っていた。
そしてその後も、一度も自宅に戻らないまま、彼は病院のベッドの上で息を引き取った。
               ・
               ・
               ・
去年、Nさんから40年間大事にしてきたカメラを見せて頂いたとき、
ちょうど忘れ物を取りに来たヘルパーさんに、
そのカメラで記念に一枚撮ってもらったことがあった。

自宅のテレビの前で笑う、奥さんとNさんと僕の3人が映っている写真。
その写真を手にしたその時も、とても嬉しそうだった。

それから数週間後、外出先で突然奥さんが倒れた。真夏の暑い日だった....。
その日以来、元気のなくなった彼を勇気づけたのは絵だった。

――OTジャーナルの表紙絵に作品を応募しよう――。

再び描き始める目標を見つけられたことが、
もう傍に見てくれる人もいなくなったのに、描く意味などない
と、考えていた彼を奮い立たせた。

気を抜けば、喪失感に飲み込まれてしまいそうになる生活の中、
白いカンヴァスと向き合い、完成させた絵。桜に染まる錦帯橋....。
最初にできた作品は、とても穏やかな明るい色使いだった。

「まだまだだけどなぁ」
一緒に喜ぶ僕に向かって、照れながら見せた彼の笑顔が今も忘れられない。


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by hiro-ito55 | 2015-12-03 22:07 | 作業療法 | Comments(4)

歩行困難となってリハが開始された方。
下肢の痺れにより屋内を這って移動することも多くなっており、
歩行能力改善目的にて介入が始まった。

初回面接では、ケアマネさんからの情報もあり、屋内移動能力の向上を希望された。
本人から、トイレまでは楽に移動できるようになりたいと、
具体的な訴えを聞き出すこともできた。

しかし、最初にそういった表面化したニーズを捉えることはできたとしても、
どうしてそういう訴えが出るのかといった動機について、
もう一歩踏み込んで的確に捉えるのは難しい。


リハを進めるうちに、
歩けないことで何を問題と考えているのかが、明らかになってきた。

事前の情報では、「最近は自宅に閉じこもりがち」とあったが、
聞けば、整形の定期受診や息子さん付き添いでの買い物、娘宅への外泊と、
外へ出る機会は少なくない。

言葉の微妙なニュアンスかもしれないが、
どうやら、完全に一日を屋内で過ごす毎日ではなさそうだ。

定期受診に行くためには、玄関の上り框や外の階段も越えねばならず、
トイレに歩いて行けるようになったぐらいでは、能力的に不充分なのは明らか。
買い物には車いすも使用しているようだが、娘宅で過ごすにはそんなわけにはいかない。

でも、平地歩行と階段昇降、
或いは、車の昇降や人込みでの移動に求められる能力や環境の違いを、
的確に捉えることができていないからといって、それは本人のせいではない。

歩けないこと自体を、本人は確かに問題として捉えている。
しかし、その背景には、それを問題として捉えるための動機があり、
それを明確にして課題や目標を、段階付けして提示していくのは、僕らリハ職の役目だ。
ともに進めるリハだからこそ、深いところでの課題や目標の共有が重要となる。


整形の定期受診、買い物、外泊。
本人は、それら全ての生活場面での移動能力向上を望んでいる。

トイレまでの移動能力向上の訴えは、
彼の中での能力向上を実感するための、ひとつのバロメーターに過ぎない。

また、主介護者である息子さんからは、
屋内でも屋外でも、リビングから一歩外に出るときの移動介助がたいへんだとか、
親父がもう少し歩けるようになれば、自分も安心して外出できるだとか、
外出するたびに、親父が自分に気を遣っていることが心苦しいだとか、
そういった思いがあることも分かってきた。

つまり、本人や息子さんの思いであったり期待であったり、
それらを踏まえての「歩行能力向上」だということが分かってきた。


最初のニーズを、顕在化したニーズと呼ぶなら、
後から出てきたニーズは、潜在的なニーズと呼べるかもしれない。

それを真のニーズとは言わないまでも、
潜在的なニーズ或いは、社会的なニーズが明らかになってきたところで、
例えば、どこまで息子さんが継続的に介助できる能力を持っているのかや、
歩行能力の回復がどこまで可能で、必要な歩行補助具は何が適切かといった判断など、
今後必要となってくるであろう課題や変更点が見えてくる。

それら全てを、リハだけでカバーすることはできないかもしれないが、
それを踏まえてリハを進めるのと、そうでないのとでは、
同じ歩行練習でも、取り組むための意味が違ってくる。

その人における建設的なリハを行うためには、
ニーズや課題や目標を、本人にも見えるように常に賦活していくことが必要だ。

それらを早期に把握し、
そこから具体的な支援の形に結び付けていく洞察とスキルこそ、
対人支援の場面でリハ職に求められる、一番大事なニーズ(要求)なのかもしれない。

さあ、この人のために具体的に何ができるか。
自分も試される。


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by hiro-ito55 | 2015-11-25 20:37 | 作業療法 | Comments(0)

在宅での作業療法の実際

本日、研修会での発表が無事終了した。
タイトルは「在宅での作業療法の実際」。

時間の関係で、事前に準備した前半部分のみの発表となったけれど、
聞きに来て下さったケアマネさんやヘルパーさんたちに、
OTが、利用者さんのどんなところに着目してリハビリを進めているか、
それを、少しだけでも分かって頂けたように思う。

今回は、事前に利用者さんの許可も頂けていたので、
このブログでも、その内容を紹介させて頂く(長文です)。



           ――『在宅での作業療法の実際』――

病院や施設など、どの分野にもOTはいますが、
具体的に、「OTって何をやる人なの」、「作業療法をやることで、どんな効果があるの」
と、疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。

ですので、OTはどんなところに着目してリハビリを行っているのか、
僕の方から事例を上げて、少しお話させて頂きたいと思います。

まず最初の事例ですが、
病院から退院されることを機に、訪問リハが依頼された方です。


事例
・Nさん(男性)83歳 要介護3(アパート1階で奥さまとの二人暮らし)
 既往歴:脳梗塞後遺症(右不全麻痺) 胆管ガン 軽度構音障害
 ADL状況:起き上がり~端坐位までと、着替えは可能(筋力不足のため時間が掛かる)
 介助下で四点杖での短距離歩行は可能(バルーンカテーテル留置)
 他職種の介入 ⇒ ヘルパー:毎日の食事準備 全身清拭 居室の掃除 尿処理
          看護  :服薬管理 状態観察 尿処理 嚥下体操


こうして、Nさんの在宅生活が継続できるよう、
ヘルパー、看護、リハが共同して、支えていく体制がとられました。

リハとしては...、
本人の「自分の力で歩きたい」、「動けなくなるのやイヤだ」という要望を受けて、
まずは、機能訓練をしながら、基本動作能力とアパート内での移動能力の向上を図る、
という目的でOTが始まりました。

その後は、デイサービス定期利用や、
趣味活動の再開なども視野に入れながらの、介入となっていきました。

リハ開始時点では、機能訓練に対する意欲はみられましたが、
デイや趣味の再開といった、目的を持った活動に対するモチベーションは結構低かった方です。

「人と話をしたり、絵を描くことは好き」だけど、
それを上手く実現するための具体的な方法も分からないし、
本当にやれるのかどうか、その時点では、現実的な自信がなかった方です。

ここまでのことを整理しますと、以下のようになります。

ICF分類
健康状態:脳梗塞後遺症 胆管ガン 
心身機能・身体構造:右不全麻痺 筋力低下 軽度構音障害
活動:起床~歩行まで可能だが、歩行はしていない
参加:臥床しているかベッドに腰掛けてテレビを観ている
    離床するのはP-トイレ使用時
環境因子:介護力不足(奥さまが重度の認知症のため) 活動支援不足
個人因子:目的を持って離床・活動する意欲の喪失


ヘルパーさんは、毎日の食事準備、全身清拭といった支援で、
介護力不足を補うことができますし、
看護師さんは、服薬管理、状態観察といった支援で、
心身を良好に保ち、健康状態の悪化を防ぐことができます。

こういった支援が、「活動」や「参加」にも良い影響を与えていくものと思われますが、
リハとして僕が着目したのは、環境因子の中の「活動支援不足」と、
個人因子である「目的を持って離床・活動する意欲の喪失」、の2つの部分になります。

この2つの部分を補うことができれば、
活動や参加の幅が広がって、QOLが上がり、生活にハリが出てくるのではないか、
と考えました。

僕に限らず、だいたいのOTさんは、
環境因子と個人因子を改善することで、活動や参加の状態を良い方向に持っていく、
という点に着目しますが、Nさんに関しても、そういう観点からリハを進めていきました。

「動けなくなるのイヤ」「自分の力で歩きたい」という動機があったので、
機能訓練には、このように頑張って取り組んで下さいました。

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その結果、だいたいリハ開始から三か月ぐらいで、
見守りで玄関まで移動できるようになりまして、
その頃になると、本人にも少しずつ気持ちの変化が現れ始めました。

少しずつですが、
デイサービス利用について、前向きな発言が聞かれるようになったのが、
この頃からです。

「人と話をしたい」という隠れた動機がまずあって、
それが最初は「行きたいな。でも行けるかな」だったのが、
「ひょっとしたら行けるかもしれない」というふうに、心境が変化していきました。

「ICFの分類」に沿って考えてみますと、
環境因子の中の「活動支援不足」をOTが補うことで、活動や参加の幅が広がり、
個人因子である「目的を持って離床・活動する意欲の喪失の意欲の喪失」
を、少し改善することができました。

これが、初期の段階でみられた効果です。

そして、玄関まで見守りで歩けるようになったことで、
心身の活動性は上がってきたのですが....、

アパートの玄関を出るとすぐに、写真のような階段がありまして、
もし仮に、デイの定期利用が可能になったとしても、
この階段昇降の動作は、どうしても必要となってきます。

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        注):手摺りが一方にしか付いていない

ですので、玄関前までの歩行が可能になった時点で、階段昇降練習を開始しました。
Nさん自身、とっても頑張って階段昇降練習に取り組んで下さいまして、

昇りは、「左手で手摺りを掴んで、自力で体を引き上げ、二足一段で昇れる」、
下りは、「右手で手摺り、左手で杖を使って、介助者に体を支えてもらいながら、
ゆっくりと降りることができる」といったところまで、行えるようになりました。

そして、そういったここまでの細かな現状も含めて、
ケアマネさんに現状を報告したところ、早速、デイと連絡を取って下さいまして、
デイの方から、昇降介助を送迎スタッフで行うので、一度お試しで来て下さい
という返事も頂けました。

その後、一度実際にお試しでデイを利用したときに、
スタッフの介助に安心できたという感想を持つことができまして、
そこから、支援開始から凡そ6か月で、無事デイサービス利用へと、
結び付けることができました。

.....、これでまたひとつ、活動の幅を広げることができました。


また、デイの定期利用が可能になると、
Nさん自身から、趣味の絵画について語って下さることが多くなりまして、
「ボチボチ描いてみようかなぁ」という発言も、聞かれるようになりました。

部屋には、Nさんが描いた絵や撮った写真が飾ってあります....。

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アルバムに収められたものや、壁に飾られたものを見ると、
今までに恐らく、1000枚以上の絵は描かれてきたと思われます。
でも病気になって、身体が不自由になってからは気力がなくなり、
描くことをぱったりと止めていました。

それでも、絵の具や筆といった画材道具、白紙の色紙やカメラなどは、
今でも大切に保管されていました。

絵自体もお上手なんですけど、
Nさんは、描いた絵を人に見てもらうことが、とても嬉しい方です。
今までも、描いた絵のほとんどは他人にあげています。
リハ中にもアルバムに収められた絵の写真を見せてくれることが、何度もありました。

ですので、問題は、「ボチボチ絵を描いてみようかな」、と思うようになった、
そういうNさんの活動意欲を「人に喜んでもらえるような活動へと結び付けていく」、
そのための上手い方法が、あるかどうかということでした。

そして、ひとつ思いついたのが、
OTジャーナルという機関誌(全国紙)の表紙に応募することでした。

OTジャーナルは、利用者さんや患者さんの描かれた絵を、毎号表紙に採用しています。
これを実際に本人にも見て頂き、お話もさせて頂いたところ、興味は持たれましたが、
「やっぱりまだ、昔のように上手く描けるか、自信がない」という返事でした。

ですので、
まずは、雑誌の写真を模写することから始めてみては、と提案しました。

その時にその話と合わせて、
「描いた絵を見せるのは、僕と訪問に入っている看護師さんだけ」
という約束もしました。

幸いにも、「まあ、それならいいよ」と言って下さったので、
早速Nさんと一緒に、リハの合間に写真を選ぶ作業に取り掛かりました。

で、いくつか気に入った写真を選んで頂きまして、
そこから、本当に何年ぶりかの絵を、少しずつですが、描いていかれました。

そこからだいたい一か月後...。
1枚の絵が完成しました。
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完成作品がとても立派なものであることに、僕自身もびっくりしたのですが、
訪問に入っている看護師さんにも見て頂いたところ、
「Nさん、こんなに上手に描けるんだ」と、たいへん驚いていました。

そして、その感想を本人にお伝えしたところ、とても喜んで下さいまして、
そこからさらに、3枚ぐらいの絵を描いて頂きました。

そしてその後、改めて応募に向けて描いてみては、とお話させて頂きましたところ、
良い返事が頂けましたので、そこからOTジャーナル表紙絵応募に向けて、
描いて頂けるようになりました。

途中、閉塞性黄疸や脱水の治療のために入院して、何度か活動が中断しましたが、
3枚の絵を、5か月ほどかけて丁寧に描き上げることができました。

そして先月、僕が責任を持って、出版元の三輪書店に作品を送付させて頂きました。
もし採用されれば、来年のOTジャーナルの表紙になりますので、
今からNさんも、それをとても楽しみにしています。

絵を描き上げて下さったその後は、デイの方でも絵手紙を描いて下さっていまして、
継続的に絵を描くことを、続けていらっしゃいます。


訪問させて頂いているリハの時間だけでは、正直やれることには限界がありますので、
こうやって、Nさん自身が自主的に活動して頂けるようになったことで、
楽しみだって続けられるし、生活の質を変えることができる、

その結果の喜びを、Nさんを含めたみんなで共有することができたこと、
それが、チーム医療で支えることの意味のひとつでもある、と感じました。


まとめ
今回ご紹介させて頂いたのは、ほんの一例にすぎませんが、
利用者様に生活にハリを持って頂き、生きがいを感じて頂いたり、
或いは、QOLを上げて生活を支え、希望を持って過ごしていただけるようサポートし、
その人らしく生活できることを支援していくのも、チーム医療の中でのOTの役割です。

ですから、リハビリを行って、単に身体機能が向上したというだけではなく、
他職種の方と情報を共有しながら、連携していくことが重要なのだと感じています。

そして、その結果の喜びを、利用者様を含めたみんなで共有できるということも、
チーム医療で関わることの効果になるのだと思います。

OTは、利用者様の抱える問題点をこのような形で捉えて、
それを改善していくためのよい方法を、一緒に考えていく職種ですので、
利用者様のことで何かお困りのことがありましたら、何でもご相談下さい。

ご清聴ありがとうございました。

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by hiro-ito55 | 2015-07-14 22:21 | 作業療法 | Comments(0)

このところ公私ともに忙しい日が続いていて、
なかなかブログに手を付けられずにいたので、今回は久しぶりの更新になります。


今月から、とある有料老人ホームに訪問に伺っているんだけれど、
そこのスタッフさんたちから、リハ内容を把握したいという要望があった。

初めての訪問リハサービス導入ということもあり、
職員全員にリハの効果を周知させたいという、トップの意向に沿っての要望のようだ。
そのため、詳細なリハメニュー表を急ピッチで作成して、今日完成させた。

来月には、ケアマネさんやヘルパーさんなど、
近隣の事業所で医療・介護に携わるスタッフ向けに、
作業療法についての自主研修会を行うことになっているので、
それに向けての下書き作りの合間に行った。

研修会の依頼を受けてから、どんなことを話そうかとずいぶん迷っていた。
当初は、以前記事にしたPTとOTの違いについての内容を中心に話そうと考えていた。

今まで、看護師さんやヘルパーさんから、
両者の違いについて訊かれることが多かったからだ。

なるほど、在宅分野ではPT、OTとしてというよりはむしろ、
リハビリとして依頼を受けることが多いけれど、
リハを開始してからも、
僕のことを、ずっと理学療法士と思いこんでいるケアマネさんもいらっしゃる。

なので、ここはひとつと思って下書きも進めていたが、
内容が業務独占や名称独占についてのことになるので、
書き進めるうちに、この内容は正直どうかなぁと思い始めていた。

これを知ったところで、
わざわざ時間を割いて聞きに来て下さる方たちの利益に直結するとは、
どうも考えにくいような気がしてきたのだ。

だって、
PTとOTの違いについて知ることは、僕にとっての必要ではあるかもしれないけど、
それは必ずしも聞きに来て下さる彼らにとっての必要ではない。

患者さんやご家族の意向を受けてリハを依頼するケアマネさんにとっては、
OTとしてこれをやって下さいと言っているのではなく、
リハとして期待する効果を望んでいるのだし、
介護を担当するヘルパーさんにとっても、それはきっと同じことであるはず。

すると案の定、知り合いのOTさんから、
「研修会に来る人はこんなコト聞きたいんじゃないと思う。」
「みんな「?」と思うし、かえって反感買うよ。」
という厳しいご指摘を受けて、やっぱりこの案はお蔵入りさせることにした。


今は、「在宅でのOTの実際」という題で、
OTとして具体的に取り組んだ事例を紹介することを軸に、下書きを進めている。
機能訓練から関わり、その成果を応用動作や社会活動に結び付けられた事例だ。

リハ職として、どんな視点で関わっていくことができたかも話すつもりでいるけれど、
でもこれだけでは、何だかただの自慢話に聞こえるような感じもするし、
聞きに来て下さる方にとっては、正直退屈な内容になるかもしれない....。

日常の困ったことを一緒に解決するのもOTの仕事なのだから、
チーム医療の一員としての役割についても、話に盛り込まなければいけないだろうし、
そのために必要なことは何でも相談して下さいということも、
しっかりと伝えておかなければならない。

う~ん....。
PTさんからは、あなたの自由にやっていいよと言われているけれど、
それらを全部伝えるために、20~30分ぐらいの内容で収めることができるかどうか....。

僕にとって必要なことと、聞きに来て下さる方にとっての必要。
それらを合致させて上手く伝えることって、案外難しい。


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by hiro-ito55 | 2015-06-30 00:01 | 作業療法 | Comments(2)

優しい感性の人


その人はいつも、自分よりも周りのことを優先する。
自己主張をしないから、彼には個性がないように見えてしまう。

でも、周りのことを優先するのは、
自分の個性よりも、まず相手の個性を尊重しているから。

それだって立派な個性だし、
それがあなただってことぐらい、大切に思う人たちには伝わっている。

相手のことを我が事のように感じる、優しい感性の持ち主だからこそ、伝わるものがある。
エゴを個性と勘違いする人もいるけど、それを知っているあなたは、立派な人だと思う。

だから個性がないなんて、自分でそんなふうに思う必要はどこにもない。


ともに作業をしたとき、本当は泣きたいだろうにと思った。
泣いて、いっそのこと我がままを、全部ぶつけてしまいたいだろうにと。

でもそんな気持ちは、本当の辛さは、自分にしか分からない。
だから、そんなものは自分の胸の奥深く仕舞っておくことにする。
仕舞い込んで、いっそ知らない振りをしておくのがいい。

それは、諦めたからなんかじゃない。
むしろ、自分の人生を人と一緒に生きるために標した、彼の美意識に近い。


だから、掛けがえのない、その日一日一日をともに進んでゆこうとする、
その前向きな姿勢を、感じるみんなが見守っている。

やたらと自分を主張し、人を遠ざけていることにさえ気付かない人がいる。
自分を押し通し、人を傷つけていることにさえ気付かない人もいる。

そんな愚か者より、それはよほど立派な、人間らしい生き方なんだと思う。



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by hiro-ito55 | 2015-03-12 00:01 | 作業療法 | Comments(2)

描き始める人


あれほど大好きだった絵を描かなくなってから、もうどれくらいだろう。
春の鳥、夏の山、庭先に咲く名も無い花....、

下手でもなんでも、何度も飽きずに描いてきた、
そんな景色の欠片があった。

完成までにはいつも時間が掛かったけど、
出来上がると、それを一緒に見てくれる人がいた。

よっこらしょと画材を背負って出かけていく自分に向かって、
いってらっしゃいと優しく声を掛けてくれる人がいた。

ときには一緒に探しに出掛けて、じっと描き上がるのを待っていてくれた。

だからあんなに夢中に、カンバスを景色で染めていくことができた。
いつまでも、傍で見てくれる人がいたから....。


訃報を聞いたのは、入院先のベッドの中だった。
ショッピングセンターの駐車場で、倒れているところを発見されたという。
帰っても、もう誰もいないんだなと、そのときは不思議と素直に受け入れられた。

そして、ほんとうの気持ちに気付いたのは、退院した日のこと。
夜ベッドに入り、物音ひとつしない自宅がこんなにも辛いものだと、初めて分かった。

今はもう、絵の具もパレットも画板も、
そして、書き上げた何十枚の思い出も、みんな倉庫の中に眠っている。

絵が嫌いになったわけではない。
描いても、見てくれる人など誰もいないことに、描く意味などない。
それに、歩くことも満足にできないこの身体では、どうにもならないと感じたからだ。


10年ほど前に描いた白い花の絵。
それを膝の上に置き、彼はゆっくりと話してくれた。

だからそのとき僕は、もう一度絵を描きませんかと言ってみた。
歩けないなら、昔撮ってきた写真を画材にすればいいと言ってみた。

彼は笑いながら断った。
自信がなかったからだろうか。それとも冗談だと思ったのだろうか。

見てくれる人ならいる。それも全国に。
その目標を示し、週一回の訪問日に何度も話してみた。

彼はずっと笑って聞いていたけれど、
ベッドサイドに真っ白な色紙と、絵の具が置かれているのに気付いたのは、
彼が話をしてくれてから、数か月の後のことだった。

しばらくはそのことに触れずにいたけれど、
「ありがとうな」と口にする彼の表情が、穏やかになっていく度に、
僕はなんだか、安心したような気持ちにさせられた。


そしてそれから数か月。先週、一枚の絵が完成した。
桜の季節に染まった錦帯橋。
聞けば雑誌の写真を切り抜いて、それを画材にしたとのこと。

「まだまだだけどなぁ」
照れながら見せる彼の笑顔に、僕は胸がいっぱいになった。

初めは同情の気持ちだったかもしれない。
でも、必要のない同情はただの差別にしかならない。

ただ話を聞くだけではなく、ただ一緒に立ち止まるだけでなく、
気持ちを形にするために、できることがあるなら一緒に探していきたい。

そんな僕の気持ちなど、恐らく伝わってはいないけれど、
彼は今週から、二枚目の絵を描き始めている。
題材は、昔旅行先で撮ってきた川の写真。

妻はもういない。
完成まで一緒に画材を見つめる人は、もう傍にはいない。

でも、それが分かって尚、いちばん大事なものが遠くへ行ってしまわないように、
彼は再び描き始めたのかもしれい。


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by hiro-ito55 | 2015-02-04 00:13 | 作業療法 | Comments(3)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー