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桜の木


庭の入り口に、大きな桜の木がそびえている。
娘さんが生まれた記念にと植えた木だから、樹齢50年になるという。

毎年きれいな花を咲かせるこの木も、去年は見ることができなかった。
玄関から、ほんの15メートルほどの距離にあるのに、
その距離が、途方もなく長いものに感じられた。

今年も諦めかけていた。

でも、ほんの少しだけ春めいた日に、
何か月ぶりだろう、外の空気を吸うことができた。

午後の暖かな春の空気を、全身で味わうようにゆっくりと顔を上げ、
その人は、まだ咲かぬ桜の木を眺めている。

その木に、その手で触れるまで、まだ10メートル以上の距離がある。

何でもない距離だったはずなのに、
椅子に腰かけ、傍らに立つセラピストに娘の思い出話をすることが、
今のその人の心を落ち着かせている。


なぜ、自分の力で歩きたいのか。
それは、桜の木を自分の目で見たいから。歩いて、自分の手で触れたいから。

頑張りたいからじゃない。
自分にもできることを、家族やセラピストに見せつけたいからでもない。
ただ、自分で植えたあの桜の木を見たいだけ。


毎年毎年、満開の花を咲かせるたびに一番に喜んでくれたのは、
障害を持って生まれてきた娘だった。

不自由な体を不憫に思うこともあった。
こんな形でしか生を与えることができなかったことを、申し訳なく思うこともあった。

でも、今年も元気に咲いてくれたこと、娘の笑顔を見られたこと、
満開のその木を眺めるたびに、家族でいることの幸せをいつも感じることができた。

その木には、
成長とともに重ねた年月と同じだけ、今も変わらぬ大切な思いが詰まっている。

だから今年も、あの桜を一緒に見たい。
咲き誇る桜の木に、今年も変わらぬ姿を見せられるように。


歩きたいと思うその人の願いは、桜の木を見ること。
歩いて、自分の手でそれに触れることなんだ。


桜の木_b0197735_21485414.jpg








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by hiro-ito55 | 2017-04-01 21:53 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


by いとちゅー