エンゼルケアを終えて
2016年 08月 18日
先日、看護師さんのエンゼルケアに立ち会った。
長女さんの懸命の呼びかけにも拘らず、その方は二度と息を吹き返すことはなかった。
そして、父親の最期を看取ったの長女さんは、母と交代で一年以上も介護に携わってきた。
自分にとって大切なその人が、老いや障害によって、誰かの手を借りなければ、
生きていくことが困難になる瞬間は、たぶん誰にでもやってくる。
そのときに、愛する人への介護を選択するということは、
自分にとって大切な近しい人と、ともに奮闘していく毎日を通して、
一緒に生きることを目指す厳しさに、自ら身を置く決断をするということだ。
そうして時に、自分にとって大切な人のことが、無条件には愛せなくなる瞬間もあり、
そうした辛い現実とも、しっかりと向き合わなければならなくなることもある。
それは、とても悲しいことなのだと思う。
けれどそれでも、介護を受ける側にしても、介護者にしても、
同じように奮闘していく毎日であることに変わりはない。
実際に介護を進めていけば、
そこには、一緒に生きることを目指して、懸命に介護を続けているという思いもあれば、
その苦労を、頼みたくて頼んでいるわけではないという思いもあるかもしれない。
介護を通してそんな毎日が、やがて巡ってくる可能性はきっと誰にでもある。
けれど介護に関わる以前は、
その本当の大変さについて知らないというのが、ごく一般的な感覚なのだと思う。
だから、誰もがとても戸惑うことになるのだし、
今回、父親の最期を看取ったご家族たちも、
介護が始まってから大変なご苦労をされて、ここまでやってきた。
仕事の有給休暇を介護の時間に充てることや、昼夜交代で休みを取りながら看る毎日は、
介護を受けるご本人も含めて、家族としての生活そのものを一変させてきた。
だからこそ、在宅医療・介護に関わる僕らが、
彼らの苦労に少しでも寄り添い、ともに奮闘することが大事になるのだし、
在宅生活の質を支えるという意味において、その関わりは強い意味を持つのだと思う。
介護は、喜びと悲しみが激しく入れ替わる毎日に、
当事者である彼らが戸惑いながらも、それでもめまぐるしく進んでいくものだ。
いいことばかりではない。でも、辛いことばかりでもない。
そうやって、最後まで人間らしく生きようと奮闘する彼らに対して、
その時々で、彼らに寄り添うケアというものが、僕らはできたのだろうか。
エンゼルケアを終えた後、
大切な人を見送るご家族の姿を見て、僕は今までの自分の姿を振り返っていた。
by hiro-ito55
| 2016-08-18 21:07
| 医療・福祉・対人支援
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