平和
2016年 07月 15日
人は、善悪の判断によって悪魔になるのではない。
思想の違いによって悪魔になる。
自分を律する判断ではなく、
思想の相違によって、平気で人を殺すことのできる悪魔になる。
臆病な心は人を支配したがるものだ。
そして、それが成されなかったとき、
その衰弱した精神は、最も残酷な姿を人前に曝け出す。
自分と他人との違いを認めることのできない、
臆病な心を社会に向かって使役する人間は、もう人間とは呼ばない。
思想の家畜だ。
主義主張を掲げることよりも、人が人であるために大事なことがあるとすれば、
それは、生きることへの敬虔を忘れずに持つことに違いない。
誰にとっても、生きることが経験することと同義であるように、
自分の直接経験をとことん信じることで、
他人もまた、同じ道を生きているのだと気づくことができるのだと思う。
そこに目を向けた人間は、
社会化された主義主張を掲げる人間よりも、よほど人間らしく生きることができる。
僕らが生きるということの根源には、
集団化も一般化も合理化も必要のない次元で、命への敬虔が確立していなければならない。
本当の平和が成るというのは、自分の経験を純化していくことに心血を注いだ、
そういう人たちの総意が、ある形になることなのだと思う。
by hiro-ito55
| 2016-07-15 20:31
| 哲学・考え方
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