直接に経験することから考えればいい
2016年 05月 12日
この前、久しぶりに何人かのOTさんやPTさんと話す機会があった。
在宅や病院や研究職、それぞれ挑んでいる分野は異なるだけに、
お話を聞いて、なるほどと感心することがいくつもあったが、インテリジェンスが高い人ほど、
物事を抽象的にというか、観念的に考える傾向は、確かにあるように思う。
自分もいくつか意見を述べさせて頂いたけど、
結局は、自分が関わっている利用者さんやご家族から日々感じること、
或いは、彼らから直接伝えられたことに対して、自分がしたことやできなかったこと、
それに対する思いなどを、雑多にお話しさせて頂いた。
でも例えば、在宅医療やリハをこの先どうしていくべきか、
或いは、どうあるべきかについて聞かれても、たぶん僕は何も答えなかったと思う。
僕も駆け出しの頃は、「OTの将来はこうあるべきだ」などと、
生意気にも周りに吹聴していたことがあったが、
今は経験が身になっていないことを語るのを、極力避けるようにしている。
だから、
自分が実際に見聞きしていないことについて意見を聞かれたときは、
「分からない」と答えることも多くなった。
抽象的に考えることは、何か物事全体を捉えているかのように錯覚しやすいし、
毎日の現実的な選択よりも、高次な価値観を持っていると誤解しやすい。
けれどよほど注意していなければ、観念的に捉えたその言葉の意味についての無知や、
責任についての無関心に、気づくことはできない。
錯覚や誤解に基づいて語られる言葉は、非現実的なただのお喋りにすぎないということに、
なかなか気づくことができない。
「認知症で普段喋らない母が、食事介助中に私の目を見てありがとうと言ってくれた」
「妻が亡くなり、昼間独りになるけれど、デイに行く気にはなれない」
「夫の物忘れや世話は大変だけれど、息子と協力して家庭を守っていこうと決めた」
「車いすにもう少し長く座れれば、一緒に買い物を楽しむことができる」.....。
毎日のように利用者さんや、それを支えるご家族たちと接していると、
実に様々な悩みや喜び、楽しみがあると気づくことは多いと思う。
そこから僕らは、その人たちが在宅で充実した生活を送るためにはどうしたらいいかを、
自分なりに考えていく。
それは、相手について考えることと同時に、自分自身に何ができるのかという、
相手との間で共有しえた、現実問題を考えることにも繋がる。
そうして得た答えや疑問が、
自分が本当に考えたい問題であったり、取り組むべき課題となっていくこと、
それが何よりも大事なことで、
それが僕らにとって、遥かに現実的な力を持っているのだと信じている。
在宅医療やOTの将来をどうしていくべきかについて、考えることも必要かもしれないが、
利用者さんの前にいる、たった一人の臨床家であろうとする限り、
直接的な経験から自分の言葉が生まれ、世界を語ることができるのではないか。
そうして生まれた言葉は言葉で終わるのではなく、
利用者さんたちを支える様々な選択肢や、可能性という形になっていくことを、
僕らは日々の実践を通して経験している。
雄弁な主義者にも、ただのお喋りにもなる必要はない。
僕らはただ、現実に悩む人の選択肢であり、戸惑う人の伴走者であればいいと思う。
by hiro-ito55
| 2016-05-12 19:44
| 作業療法
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