考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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リハビリに取り組む価値


最期のときまで、なんとか自宅で生活してみたいと頑張る人がいる。
ほんとうは、娘家族の許で同居すれば、いろいろと援助してもらえるし、
自分の毎日はもっと楽になるはず。

けれどその人は、住み慣れた我が家での生活を選んだ。
死に別れた妻との思い出が、いっぱい詰まった終の棲家だ。

40年の暮らしの中で、子供が生まれ、育ち、ずいぶん賑やかなときもあった。
そしてまた、二人きりになってみると、そこには細やかで静かな生活だけが待っていた。

毎朝同じ時間に起き、一緒に食事をして、
妻が買い物に出掛けている間、自分はテレビや新聞を見て過ごす。

夜になればまた一緒に食事をして、
妻の洗い物や洗濯が終わるのを待ち、一緒に晩酌をして寝床につく。

そんな、当たり前の生活。
細やかでちっぽけだが、それだけで満ち足りていた。


若い頃から、妻にはずいぶんと苦労をさせたが、
今、唯一の心残りは、葬儀に出席しなかったこと。

葬儀の日は、頑として家から一歩も出なかった。
その残酷な現実を、正視することができなかった。
棺の中に眠る妻の顔を見ることが、どうしてもできなかった。


今、いつも毎朝6時に起き、遺影の前で妻に静かに語りかけている。
「今日も一日始まるよ。ありがとう。」

そして、デイサービスやリハビリに、一所懸命取り組む一日が始まる。
妻の墓参りに、欠かさず行けるように...。

何だかんだ言っても、自分自身のためには違いない。
でももし、妻のためでもあるならば、
ここでの毎日の意味もまた、違ったものに変わるかもしれない。
だからそれが、自主トレやリハビリを頑張りたい理由であり、目標でもある。

その頑張りは、
人生全体からみれば、ほんの小さな出来事になるのかもしれない。

けれど、一緒に過ごす僅かな時間でも、
一生忘れることのできない思い出ができるように、
そこに、どういう意味や価値を見出すことができるかで、その価値が変わることがある。

たかがリハビリ。されどリハビリ。
でもその価値や意味は、その人自身が知っているから尊いのだと...。

それは、その人自身が大切にできるもの。
その人自身が育むもの。
そこに、掛けがえのない物語がある。


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by hiro-ito55 | 2016-02-05 20:06 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー