考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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うまくきっかけが掴めればいいけど....。


よく、患者さんと接するときには「話を傾聴する」とか、
「患者さんの気持ちに寄り添う」ということが大事だと言われる。
実際に僕も、記録用紙には「○○さんの訴えを傾聴しました。」と書くことがある。

でも、後から振り返ってみると、
本当に自分は患者さんの声に耳を傾けていたのだろうか、
患者さんの気持ちに寄り添うことの意味を、ちゃんと理解したうえで、
記録として残していたのだろうかと、疑問に思ってしまうこともある。


担当する患者さんの中に、去年長く連れ添った夫を亡くされた方がいる。
夫の死以来、鬱的になり、半年ほどで認知症状も出始めた。

深い喪失感とともに、
日中一人暮らしとなってしまった状況も良くないと判断した僕らは、
デイサービスの利用なども勧めてみたが、そういう気力もなく、
いつも利用開始日直前にキャンセルされ、家に閉じこもってしまっている。

ヘルパーの受け入れも進んでおらず、
朝から夕方まで、毎日テレビの前で過ごすことが日課となり、
ただ溜め息ばかりが増えていく。

原因は分かっている。

しかし、こちらからそれに直接触れることは避け、
時折語られる、ご主人との思い出話などをリハビリの合間に聞かせて頂いていたが、
鬱的に過ごされている現状を、何とかしたいという気持ちから、
「大丈夫です。」「分かります。」とうっかり口にしてしまったことがある。

ご主人の突然の死が齎した喪失感について、本人が語ったときに、
つい口をついて出てしまった言葉だ。

聞こえるか聞こえないか分からないほど、弱々しい声で呟いた、
「分からないわよ...」という言葉を耳にしたとき、僕は自分の軽率を後悔した。


患者さんには、
ときに「あなたの気持ち分かるよ」と簡単に言ってもらいたくはない場面がある。
気持ちに寄り添うことと、同情することとは違うし、
必要のない同情は、ただの差別にしかならないのだ。

自分にとっての分かるとか大丈夫とかが、
必ずしも患者さんの気持ちと一致しないということ、
その意味するところを理解せずに、自分の気持ちを示そうとするのは、
土足で人の心に踏み込むのに等しい。

そこに迂闊でいると、患者さん自身は、
病気でも何かを失ってもいないあなたに、その一言だけは言ってほしくはなかったと、
深く傷ついてしまうことがある。

だから、どんなに親身になって話を聞いたつもりでも、
「傾聴する」とか「寄り添う」ということを、簡単に考えてはいけないのだと思う。


対人支援の世界では、患者さんそれぞれの思いや価値感を第一に考え、
それを基にケアマネを中心にして、支援の方向付けが行われなければならない。

そして、家に閉じこもり、認知症状も出始めているという今の状況は、
けっして良いものだとは言えないし、
専門職として、何とかしたいという気持ちは常にある。

でも、患者さん自身が、たとえ悲しみの中で一日が過ぎようとも、
家で一人で静かに過ごしたいと感じているのも事実なのだから、
その扱いについては、難しい側面もあることは確かだ。

関わる人たちが、患者さんの思いや価値観に寄り添うことが、
支援のための基本となるとしても、やはり、気持ちの変化が訪れるまで、
辛抱強く待つしかないのだろうか。難しいな...。













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Commented at 2015-05-15 21:18 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by hiro-ito55 at 2015-05-16 19:10
いえ、ぬか床さんの仰ること、けっして分かりづらくはありません。
その人の生活や人生は、他人のものではありませんから、結局その人のいいように感じるものを支援していくのが、一番いい方法に違いないとは思います。
たとえ他人から見て問題があったとしても、それが本人にとって後悔のないものであれば...。
冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、利用者さんが必要のないサービスと感じるものは、支援者側の価値観が強く反映されている場合が多いことを考えると、支援って一体何なんだと考えさせられます。
Commented at 2015-05-17 13:32 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by hiro-ito55 | 2015-05-14 21:31 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(3)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー