考える生き方のヒント       ~今、伝えたいこと~

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僕の宝


毎日、色々な患者さんのお宅を訪問するうちに、
在宅生活を送るご本人やご家族の、切実な思いに気付かされることがある。

たとえば、いつも突然ふいに襲われる孤立感や寂しさ。
それを自分一人ではどうしようもできない現実が、確かにあるのだということも、
そのひとつなんだと思う。

重度のCOPDを患った方と、その夫を一人で介護する妻がいる。
血液検査の結果のこと、痰の吸引のこと、呼吸苦が齎すパニックが怖いこと、
妻自身も抱えている健康不安や夫の予後のこと....、

訪問する度に打ち明けられる内容からは、悩みや不安はいつも尽きることがない。

それらの問題は、根本的には解決できないことであるかもしれないし、
必ずしも解決に拘っているわけではない、
彼ら自身そう分かっていても、それはきっと、癒されることのない不安なのだと思う。


毎日の生活で経験する現実を、とにかく誰かに打ち明けてしまいたい、
そうしなければ、自分を保つこともできなくなってしまいそうな不安....。

その姿を前にしたとき、その負担の何分の一かを分けて貰うことが、
僕がこうして関わることの、ひとつの意味になるのかもしれないと思うことがある。

現状や予後、介助の仕方について、
患者さんやご家族には、わからないことはわからないと正直に伝えることも大事だけど、
そのわからないことを、そのままほかっておくのではなく、
一緒に悩み、考えられたなら、僕にも何かができるに違いない。

そう感じてしまうのは、明らかに僕の信念なのだろうけど、
それを受け止め、分け合うために必要な術を知ることは、
僕自身が、自分で自分の責任を果たすことに繋がっていくように感じる。

それが、僕が訪問リハという仕事を通じて学んだ、大事なことのひとつ。
そして、そういう気持ちは必ず相手にも伝わるのだということも学んだ。



ある患者さんは、こう言って教えてくれた。
「気持ちのない共感というのは伝わるものです。理解なんてできないかもしれないけど、
 痛いよ、辛いよって認めてもらえるだけで、患者の心は救われます。」と。

この患者さんは、人の気持ちや思いを共感したり、共有できたりするということは、
単に私に分かるとか分からないとか、そういうのものではなく、
伝えたもの、伝わったものを確かに受け取ったという、
その感触を、お互いにしっかりと確かめることなのだという大事なことを教えてくれた。

だから、そうして伝えることや伝わることで何かが始まるのなら、
それはきっと、僕の宝と呼んでいいものだと気付くことができた。


これから、在宅医療の充実を訴えるだとか、訪問リハの普及促進を考えるだとか、
そんな大きな設計図のようなものは、残念ながら僕には描けない。

僕は、専門的態度に固執する保守派にも、
いつでも新しい方法論を是とする進歩派にもなりたくはない。

その代わりせめて、直接関わる人たちが抱えるもののうち、
その何分の一かでも、しっかりと共有できる人でありたいと思う。

患者さんやご家族と触れ合うことで、
悩みや辛さにさえも意味があるのだと、そう信じることができたなら、
それが、僕の宝になっていくのだと思っている。


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Commented at 2015-04-22 11:17 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by hiro-ito55 at 2015-04-22 20:26
そうですよね。患者さんとしてだけじゃなく、人として接するなら、それは当たり前な思いなんですよね。
僕らは、人の弱い部分に触れてしまう仕事だから、人としてひとつの全体として感じるものを、大事にしなくちゃいけないと思います。
それを気付かせてくれたのは、いつも目の前にいる患者さんたちでした。

頭の眠った保守派も、将来を空想する進歩派も、夢を見ているという点で共通している。
僕は、そんな夢想家にはなりたくはない。
ただ人として、相手からしっかりと受け止めることのできる人になりたい。
僕に大事なものを教えてくれるのは、いつも患者さんたちですから。

ぬか床さん、いつもありがとうございます。
またコメント下さい(^_^)。
Commented at 2015-04-22 22:14 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2015-04-23 13:56 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ヒカリサスミチ管理人 at 2015-04-28 09:03 x
「患者さんやご家族には、わからないことはわからないと正直に伝えることも大事だけど、そのわからないことを、そのままほかっておくのではなく、一緒に悩み、考えられたなら、僕にも何かができるに違いない」

素晴らしいお考えだと思います。
わたし自身、ギランバレー症候群を患い、さまざまな医療従事者の方々と接しました。
「どこまでよくなるのかはわかりません」「どうしてこういう症状になっているのか、よくわかりません」
たしかに、それはそのひとにとって正しい見解ではあります。
ですが、こちらからすると、それはあなたが単にわかっていないだけじゃないの? ちゃんと調べればわかることじゃないの? と感じざるを得ません。
寄り添う気のないひとの言動は、寄り添う気がないことを如実に物語ります。わたしたちは敏感です。

わたしのリハビリを担当したスタッフは、「どこまでよくなるのかはわかりません」とは絶対に言いませんでした。
「確実によくなりますから、そのときまで拘縮しないようにしましょう」と、わたしの回復を信じ、寄り添ってくれました。
また、こちらの問いかけの答えが見つからないときにはいつも「調べてみます」と答えてくれました。
わからないというのは簡単です。わからないというところに逃げることは簡単です。
でも、彼らはいつも彼らなりの答えを用意してきてくれました。
正直に言って、その答えが正しいかどうかは、わたしにとってもう重要ではありません。
確実によくなるかどうかが誰にもわからないこともわかっています。でも、そんなことは重要ではありません。
わたしに寄り添い、痛みや不安を一緒に背負い、わたしの将来を信じてくれていることがわかっていれば、それでいいと思うのです。

わたしは、リハビリスタッフとそのような信頼関係を築けたことを誇りに思っています。
Commented by hiro-ito55 at 2015-04-28 22:09
ヒカリサスミチ管理人様、ご無沙汰しております。
患者さんには、「あなたの気持ち分かるよ」と簡単に同情してもらいたくない場面があります。
どんなに親身になってもらっても、病気でもないあなたにその一言だけは言ってほしくはなかったと、深く傷つくことがあります。
患者さんと同じ視線で見るということが、いかに難しいことなのか、同専門職や文献からではなく、それをしっかり僕に教えてくれたのは、幾度となくそういう経験をしてきた患者さんでした。
方法論に慣れてしまった僕らは、迂闊にも「傾聴する」「寄り添う」という言葉を、あまりにも簡単に使いすぎる傾向があります。空想することと想像することは根本的に異なるものです。その意味するところの実に深いことを、自分の経験に照らし合わせて反省する人は、実は稀なのかもしれません。
そして、それを一番よく知っているのは患者さん自身だということは、僕らはよくよく考えなければいけないのだと思います。
だから僕は、空想家が大嫌いです。正しいか正しくないかではなく、患者さんは自分自身を映す鏡です。ただ実地に経験したものを信じ、そこから、一緒に自分にできることを精一杯探していける人、そしてそこに共有の財産があるのだと、そうはっきり信じられる人でありたいと思っています。

ヒカリサスミチ管理人さまは、良いリハビリスタッフに巡り合えたようですね。微力ながら僕も応援しています。
またコメントをお待ちしております。
by hiro-ito55 | 2015-04-21 22:38 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(6)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー