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道と呼べるもの


人生の全ては偶然だと思う。と同時に、必然であるとも思う。
そして必然に変わったものが、その人の道になっていくのだと思う。

人にはそれぞれ道があるけれど、
いつだって、その都度拾い上げてきた選択の上に、その人の道ができていくもの。

だから、
偶然を必然に変えられるどうかは、その人次第。

その人次第ではあるけれど、
その道は、縁と呼ぶべきものによって、形を与えられていくように思う。


ひょっとすると、初めそれは、自分一人で拾い上げたと思えるような、
幾つかの偶然の重なりであったかもしれない。

けれど、世に捨てられたような世捨て人でもない限り、
一人ぼっちで生きられる人など、唯の一人もいない。


自分自身の力だけで切り開いてきたと思えるような道でさえも、
きっと、他人の影響や支えなしでは成し得ない、
大きな連環の中を通っていく一筋の道である以上、

それは、偶然の連続のようでそうではなく、
寧ろそれは、縁と呼ぶべきものによって形を与えられているように思う。

偶然が縁によって必然となり、必然がその人の道になる。
ならば、闘う必然もまた、その人の道の上でのこととなる、
そう言えるのではないだろうか。


闘うこと、生きること、
それらはけっして、抽象的な世界で起こる出来事なんかではないし、
まだ道のできていないところで闘うことなど、誰にもできる筈がない。
辛いことも、悲しいことも、嬉しいことも、みんなその人の道の上での出来事だ。


たとえばこの時代に生まれ、
この瞬間に自分が在るということは、ひとつの運命に違いない。
出発点としての、その座標軸を変えることはできないかもしれない。

しかし、
そこでどう生きるかは、いつだってその人の自由ではないだろうか。


自分の感じることや、大切だと思うこと、
そのどれを拾い上げ、意味付けしていくかは、その人の観じ方であって、
それに忠実であるということはまた、紛れもなく自分の生を生きることでもあると思う。

大きな連環の中でこそ、形を与えられ一筋に通る自分の道。
そこから、自分だけの地図を作っていくこと。

そのためにそこで闘うものがあるということは、
それならそれで、とても幸せなことではないかと思う。


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by hiro-ito55 | 2013-12-12 00:40 | 哲学・考え方 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります。


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