限られた時間を共に過ごすということ


僕らは短い一生の間に、様々な人たちとの出会いを経験します。
そして、人がなぜ出会うのか、別れが訪れた後も、
その根源的な理由を、きっと最後まで僕らは知ることができません。

でも、
根源的な理由を知ることができない代わりに、共に時間を過ごすことで、
自分自身や相手と向き合う大切さを、ひとつひとつ確認していくことはできます。

そして、共に過ごしていく中で、
その時間にも限りがあること、それがはっきりと分かってしまったときに、
人は、その人との時間を、切実に振り返ることができるものなのかもしれません。


これから自宅での看取りを行おうとする、いわゆるターミナルの方。
彼らの場合、家族と一緒に過ごせる時間が本当に限られています。

彼らを見ていると、
きっと全部を受け入れて、終末期を迎えているわけではないように思います。

少し元気があるときには、外で散歩でもしてみたい...。
残り数か月の命であるけれど、それを本人に打ち明けられずにいる...。
もう少し頑張れば、なんとかなるんじゃないか...。

そこには少しぐらいの希望だってあるし、
その願いが叶わないことを確かめたはずの覚悟だってあります。

だからこそ、
お互いにどのような言葉をかけていいのか分からずに絶句してしまう時間、
そういうものがきっとあると思うのです。

確かに別れほど、人を悲しみの深淵に追いやるものはないのかもしれません。
それに対して、掛ける言葉が見つからないというのも、たいへん辛いことです。

でもだからこそ、
誰かに決して分かったように語ってもらいたくないような精一杯が、
その限られた時間の中には、あるのだと思います。

そして、それを確かに受け取ったという思いをしっかりと確認し、
それを別れの日まで大事にしていくことができるのは、
一番大切に、その人との時間を過ごした人だけであろうと思います。

彼らを見ていると、人は悲しい気持ちを残さずに、
大切な人の前を去る人ことができないのかもしれない、そんなふうに思えてきます。

人は、悲しみを残さなければ去ることができないのならば、
それこそが、生きた刻印のようなものであるのかもしれません。

そして、それを受け取る資格のある人は、
その人との時間を、大切に過ごした人だけであろうと思います。

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by hiro-ito55 | 2013-10-06 22:16 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


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