リスクとデンジャー
2013年 07月 01日
危険のことを英語でriskやdangerと言います。
riskは、人がしっかりと認識してコントロールしたり回避したりできる危険で、
dangerは、一旦そこに足を踏み入れれば、何が起こるか分からない、
予測することやコントロールすることが不能な恐怖や脅威のことです。
認識しコントロールすることができる危険だからこそ、
それを回避するためのrisk hedge(危険回避)という言葉もあるのですが、
予測することもコントロールすることもできない危険を回避するために、
danger hedgeするとは言わないのです。(というか、言えないのです)
もし僕らにdangerを回避するための方法があるとすれば、
それは、『それに一切近づかない』ということだけです。
だから、
人がアプローチできる危険はdangerのほうではなく、riskのほうだ
ということも分かります。
同じ危険でも、riskは目に見える形でしかも回避(hedge)可能なものなので、
そこに関わる人はこれを管理し、コントロールしようとしますが、
専門家というのは、そのリスクをはっきりとした形で予測したり、
そこから対策を立てたりすることができる人たちです。
例えば身近なところでは、生活リスクという言葉がありますが、
障害者や医療・介護サービスを受けている人たちが在宅で生活していくためには、
健常者であれば普段は意識することのない危険(つまりリスク)も伴ってきます。
呼吸器の管理、褥瘡の管理、栄養の管理....
これらはみんな、リスクを回避するために行なうのであって、
そのために人手が入ったり、必要な機器・道具をレンタル・購入したりします。
障害者であっても、生活に伴うリスクさえしっかりと管理できていれば、
少なくとも、暮らしを続けていくことはできますが、
お腹が減れば、自分で弁当を買ってきて食べることができる、
という簡単なことも含めて、
健常者であれば、普段は意識することがなかったり、
意識しても自分一人で回避できるリスクであったりしても、
何らかのサービスを受けている人にとっては、
生活リスクを回避するために、様々な人やモノに頼らざるを得なくなります。
支援する側から見れば、
支援が目に見える形で行われているということは、
リスクの形もまた見えてしまうということで、
形が見えてしまう以上、
支援している人たちは、それを放っておくことはできないし、
形として、リスクを回避しなければいけないと思ってしまいます。
けれど、支援される側から見れば、
自分が生活していくために、多くの人が直接関わったり連携したりすることは、
自分の生活の場に、他人が入り込んでくるということでもあって、
リスク管理のために、他者からの見守りや関係性を保持していくことが、
それがあることによって安心に繋がるものなのか、逆に窮屈に感じるものなのか、
よく考えてみると、それはとっても微妙なことでもあるのです。
あくまで支援する側から見れば、
関わる相手のriskを、dangerに変えてしまうわけにはいかない。
予測されるriskを、放っておくわけにはいかない。
そこに、支援する側とされる側のジレンマも発生してしまう...
そういうこともあると思います。
僕自身は支援する側の人間ですから、
少なくとも、専門職から見た場合に、支援を受けている人たちが抱える危険というものは、
健常者が普通に生活するときに感じる危険よりも、
リスクの形が、遥かに具体的なものとして現れてしまっています。
そしてそのリスクは、
放っておけば、dangerに変わってしまうものもあります。
支援を受けている人にとって、自分で回避できると感じるリスクも、
支援する側から見れば、その人の自己管理に任せることがdangerだ、
と映ってしまうこともあるのです。
そこに、リスク管理の難しさというものがあります。
またそもそも、リスクの感じ方は人によってそれぞれで、
自分が関わる相手と、自分自身のrisk hedgeというものを考えたとき、
どこまで介入していくべきなのか、或いは、どこまで介入を許すべきなのかというのは、
人の尊厳や自立性にも関わってくることなので、
支援する側される側、双方にとって、本当に難しい課題であるなと思います。
余談ですが、
自分の生活に、もしリスクを感じたことがないという人がいれば、
それは、『自分の人生を生きていない人』なのかもしれません。
リスクヘッジとは、
自分の人生を、自分らしく生き抜く創意工夫のためには必要な視点であって、
もしそういう視点が無ければ、たった一度の自分の人生は、
逆にリスクに怯えるだけの、味気ないものになってしまうのではないでしょうか。
それから、
リスク管理の話で言えば、数年前から色々と言われている、
所謂『訪問リハステーション』推進の動きには僕は反対なのですが、
その話は次の機会にしたいと思います。
by hiro-ito55
| 2013-07-01 00:58
| 医療・福祉・対人支援
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