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寄り添うことの難しさ


事務所のトイレで見つけた、相田みつをの言葉

 花には人間のようなかけひきがないからいい
  ただ咲いてただ散ってゆくからいい
  ただになれない人間のわたし ―



これを見たとき、小林秀雄の言葉を思い出しました。

― 美しい花がある、花の美しさというようなものはない。―

上手く言えないけれど、
この二つの言葉は、どこかで繋がっているように思う

『かけひき』や『花の美しさ』を作り出すのは、
そのままの姿を見ようとしない、或いは見ることのできない、
人の持つ弱さや悲しさかもしれない。

何かを見て、誰かに触れて、
そこから意味なり何なりを読み取ろうとする姿勢。

それは、人として重要な姿勢でもあれば、
時として一方通行な解釈と、紙一重な場合もあるのです。

僕らの世界では、
よく『その人に寄り添う』という言葉が使われるけれど、

自分なりに解釈してしまうことの恐ろしさを知らないと、
寄り添うことなんてできないと思う。

利用者さんは時として、
セラピストや介護者に、様々なことを訴えることがあります。

それは聞いてほしい、分かってほしいという要求であったり、
或いは、こうなりたい、ああなりたいという願望であったり...。

僕らは専門職なので、
それらを自分の専門性に照らし合わせて解釈しようとします。

けれど、ただ一緒にその時を過ごす、
そういう時間を持てたことだけで、それらが解決してしまう場合もあります。

そういった場合そこには、専門職としての専門的な言動が、
却って、利用者さんの孤立感を深めてしまう、そういう事実があるのだと思います。

僕らの言動によって、治療者と被治療者という関係性を確かめること、
それが、両者の距離感を作り出してしまうのかもしれません。

私は治療者で、あなたは被治療者である、
そういう距離感が、僕らとしては当たり前のものでも、
利用者さんにとっては、不自然なものであったりする....。

特に、訪問リハビリや訪問看護といった在宅医療の世界では、
相手からの要求や願望が、被治療者としてのそれではなく、
生活者としての心の葛藤から来るものであることが多い。

まずはただ、額面通りに受け取ってほしいという訴え。

それは、専門的な解釈を求めているのではなく、
まずは、ただ受け止めてほしいという、切実なサイン。

その時に、僕らに求められるのは、専門職としての見解ではなく、
ただここにいる一人の人間として、それを聞いてあげられるという姿勢。

でもそれが、寄り添うことの難しさでもあると思うのです。

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by hiro-ito55 | 2013-04-08 20:18 | 医療・福祉・対人支援 | Comments(0)

作業療法士です。日頃考えていることを綴ります


by いとちゅー